日本の教会に居た時の話

俺は教会が大好きだ。そこに集まる神の家族とも呼べる同志達と共に神の愛によって祈り合い、賛美を歌い、聖書を読み、共に過ごす。
そんな教会が心から好きだ。

日本に居た頃、青年部のリーダーを二年だけしていたのだが、神は俺に様々な試練を与えた。
苦しくて涙した事もある。その度に仲間や牧師には祈りながら励まされた。
それでも俺がリーダーという奉仕活動を続けられたのは、青年部のメンバー、一人一人を本当に好きだったからだと思う。

リーダーをやっていれば不平や不満がメンバーから出てくる事もあるし、リーダー、サブリーダー、書記の三役の関係がギクシャクしてしまう事もあった。
もう一度言うが、それでも俺はメンバー全員を心から好きだという気持ちがブレた事は無い。
今でも日本の母教会の同志達の事を韓国から日々いつも思い出しながら祈っている。

あれから三年が経って、当時を冷静に振り返り、この三年間で反省を通しながらリーダーシップについて考えた事がとても多くある。
当時は早くリーダーの任期が終わって欲しくてたまらなかったのだが、実は今ならもう一度挑戦したいと思っている自分も居る。
まあ…そんな事を思っても今後日本に帰る予定は無いのだが。
とにかく二年間リーダーをやりなりながら支えてくれた仲間達によって、俺は大きく成長出来た。心から感謝している。

毎週、金曜日の夕方には『Loved one』という夕食会を開いていた。主に若者達が集まって、一緒に夕食を食べ、賛美を歌い、牧師のメッセージを聞くという集まりだ。
俺もこのLoved one がきっかけで初めて教会に来た一人だ。

当時、金銭的に余裕がほとんど無かった俺は教会で作ったご飯を食べる事や余ったおかずを持って帰る事が出来たから本当に助けられた。
牧師のメッセージも大好きだった。
何よりも楽しかった。

他にも教会にはワクワクするイベントがたくさんある。クリスマス、イースター、バザー等、役員として働き、流した汗と共に終わった時の達成感は本当に気持ち良かった。
日曜日の夜の礼拝の司会もやった。いつも同じメンバーでこじんまりとしていてアットホームな温かい雰囲気が大好きだった。

俺は教会は楽しい場所である事が重要だと思っている。楽しくないなら、いくら神やジーザスを信じていてもほとんどの人は教会に行かないだろう。どんな教会に通おうと信仰生活には忍耐や試練は必ずあるが、そこに仲間の愛や励ましというものが無ければ、ハッピーにはなれない。

罪の悔い改めばかり強調され、さもなくば地獄に落ちるなどと脅されたら神は恐ろしい存在だという観念を植え付けられる。難しくて分厚い聖書の中身を細かく勉強させられたりするのもなかなか厳しい。いや、それはそれで多少興味はあるが、普通の信徒にはそれ程重要ではないと思う。

それよりも、シンプルに俺達は神に愛されているという事や救われた者としての喜びを共に分かち合える教会が良いと思う。それで十分じゃないか。神の愛を知る事、そして救いの喜びこそがクリスチャンとしてのアイデンティティの根本であるからだ。

さんざんつまらない教会には行かないと言ったが、つまらない教会を面白く変えていく姿勢や態度も必要だ。教会はみんなで作り上げるものだからだ。俺はリーダーとしてそういう『みんなで作ろうよ感』を大切にしていたつもりだ。

俺は本当に恵まれた教会に居た。
不思議なほど自分の居場所を感じていた。
たった四年くらいの教会生活だったが、人生が大きく変わった。

2020.4.22

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