障碍から無碍へ(電動車椅子でGO!ほか)
戦後障碍者運動の生き証人たち(4)点字パソコン
承前
さて、全盲の三上洋さんの取り出した点字パソコンである。
ざっと紹介されただけで、深く理解したわけではないが、わかる範囲で解説してみよう。
なんといっても最大の特徴は、文字入力のキートップが、6つしかない点だ。
それもそのはず、点字は6つの点の凹凸により、すべての発音を表現する文字である。
通常は、点字版で、尖った棒で6つのうちのいずれかに凹みを入れていく。
だからパソコン入力の際
戦後障碍者運動の生き証人たち (3)全盲
(承前)
次は全盲の三上洋さん。
ネット上に見つけた紹介記事で、全盲の方の公務員採用の草分けとなった方だとわかる。
非常にコンパクトな点字版をもっておられ、僕の持っていたカードに点字で僕の本名を書いてくださった。
そのスピードはとても速く、視覚文字で書くのと同じ程度か、個人差によっては視覚文字より早いと言えるかもしれない。
この宴会に招いてくださったK・Jさんによると、点字日本一だそうであ
戦後障碍者運動の生き証人たち (2)ポリオ
(承前)
そして、僕の隣に電動車椅子で座っておられたのが、牧口一二さん。
牧口一二
80歳をゆうに越えているという話だったが、60代ぐらいに見える。
僕は58歳にして40代に見えるといわれることもたまにあるが、80でこの若々しさの牧口さんには負ける。
なにしろ、この方のエピソードは、戦後すぐ、学校の前のプールが進駐軍によって接収されたときのことから始まる。
ポリオによる身体障碍のため体育
10歳でアスペルガー症候群と診断された甥 テルのおいたち (2)数学の道
そのころから、今日という今日までテルには会わなかった。
僕の母の火葬で、久しぶりに親族が集まると、食事の席の席順で自然に過去の人間関係が浮かび上がった。
母の妹の娘(僕のいとこ)の息子は、もう2歳の頃から僕の娘を慕っていた。
昨日もそのすぐ前に座っていた。
25歳の青年だ。
テルは僕の息子のコスモをコスモにいちゃんと言って慕っていた。
コスモは嫁が二人目を妊娠中、コロナの心配もあって、今回は
10歳でアスペルガー症候群と診断された甥 テルのおいたち (1) 将棋の道
甥のテルに会うのは久しぶりだった。弟の長男である。
私の母(テルの祖母)を火葬する火葬場の一階ロビーにその背の高い青年はいた。
23歳になっていた。
弟の転勤で岡山県の小学校に通っていたころ、幼いテルについて、特に何の異常も誰も感知していなかった。
岡山の少年野球のチームでのびのびと野球をしていた。
しかし、5年生で大阪府枚方市に転校してきたときから不適応は始まった。
(ちなみに、テルよ