マガジンのカバー画像

障碍から無碍へ(電動車椅子でGO!ほか)

56
障碍と無碍について考えてきたこと。 電動車椅子ユーザーとなって、見えてきたこと。
運営しているクリエイター

記事一覧

一緒につくるバリアフリー

バリアフリーなどが施設的にも整っておらず、対応にも慣れてないところでは、担当者がやたらつっけんどんな時がある。
実はそれは、本当に冷たい場合もあるにはあるが、罪悪感に苛まれて「うちはできないのに来てもらっても、できないものはできない」と言って、クレームに対して身構えているだけの場合もある。
こっちの方が場数を踏んでいるんだから、そんなときはこの目で状況を観て、じゃあ、車椅子をどこに置いとけば一番そ

もっとみる
韓国車椅子日記  2016

韓国車椅子日記 2016

まだ旅行記は続きますが。
総じて言って、電動車椅子単独の海外旅行というのは、まあまあ珍しいものだったと思います。
時々、「ひとりですか? この電動車椅子で?」
と聞かれました。
確かに故障したら、たちまち立ち往生です。
パンクしただけでも、自転車屋さんを見つけるのが、動かない車椅子でひとりでは大変です。
実は一度激しく転倒して、額から出血、血が飛び散りました。
多くの手が車椅子を起こしてくれ、紙ナ

もっとみる
ええようにはからう対馬

ええようにはからう対馬

天草でも言えたことだが、対馬でもバスの運転手は車椅子に慣れてない。
バスは低床化できるし、折りたたみスロープついてるし、座席をたためば車椅子スペースを作れる。
設備は車椅子ウエルカムだ。
だが運転手がそれをすることができない。
「そのタイプのスロープはもっと引き出してからパタンと一番上を広げます」
「その椅子はそこを押したままバタンと倒します」
「固定ベルトに慣れてないなら、黄色い車止めだけでもお

もっとみる
馬込教会への階段

馬込教会への階段

伊王島上陸。
リゾート化していて、なんだかなあ。
集落に花が多いのが救いだった。
馬込教会はコロナの影響で入堂停止だった。
硝子窓にスマホを密着させて中を撮影したが、撮影禁止を侵したことになるかも。
小雨が降っていた。
坂の下に車椅子を置いて、手摺りを握って階段を一段ずつ登っていった。
教会はいつも高いところにあり、教会自体が天を突き刺している。
逆に言うと、人々を見下ろしている。
しかし、ジーザ

もっとみる
軍艦島車椅子上陸

軍艦島車椅子上陸

どれくらい歩けるか、何の援助だけでいいか、説明し、ついに軍艦島上陸成功。

車椅子は船員が船内にロープで固定。

波止場にロープで繋留。船着き場を船内から下ろし、船内タラップをかける。手すりなし、ロープだけのタラップを歩いて渡った。

船着き場から30段の石段を持ってあがってくれた。石段には手すりがあったので、僕は手すりにつかまり、一歩ずつ上がった。

前に八重山諸島でバスに乗ったとき、車椅子固定

もっとみる
障碍と無碍

障碍と無碍

 (仏教を勉強したことのある私は)バリアフリーという言葉は、無碍、サンスクリット語のamitta、漢訳(音訳)経典の阿弥陀を英語にしたものではなく、福祉用語としてまったく別のルーツを持つものであることについて、改めて意識しようと思った。バリアフリーを漢訳仏典の無碍のことだと思うのは、この英語からの外来語にサービスしすぎだ。
 無碍というのはすべてに染み渡るように浸透して何物も妨げにならない融通無碍

もっとみる
車椅子の入るのを阻止してるau

車椅子の入るのを阻止してるau

説明しよう。
このauショップは車椅子では入れません。
まず車が駐車しているときは、車と車の間に車椅子の通れるスペースはない。
また駐車していなくても、車止めと隣の駐車スペースの車止めの間は狭いので車椅子は通れません。
唯一、駐車してないときなら、駐車スペースのど真ん中、車止めと車止めの真ん中なら、車椅子が通れます。
しかし、なぜかその先に赤白の妨害物があります。
これは何のためかよくわからないの

もっとみる
八重山諸島方面旅行中

八重山諸島方面旅行中

そのため、小説「アミタの観た夢」(これ、めっちゃ、やる気あるんですけどw)その他、更新を休止しています。

車椅子の旅ゆえの苦労も感動も多いのですが、調べごとも多く、書く暇がありません。

車椅子の旅などは、普段からの以下のマガジンなどご参照ください。

障碍から無碍へ(電動車椅子でGO!ほか)|長澤靖浩 #note https://note.com/abhisheka/m/mbf0000484b

もっとみる

ろう文化宣言を巡って

古い原稿を少しずつ公開していきます。

 
 ろう文化を巡る現代の論争の起爆剤となったのは、雑誌『現代思想』1995年23巻3号に発表された「ろう文化宣言」(木村晴美+市田泰弘)である。「ろう文化宣言」はアメリカ合州国におけるデフ・コミュニティ(ろう社会)運動の影響を受け、日本のろう者と言語学者らが協力して立ち上げた。すなわち彼らのグループ「Dプロ」は、「手話は音声言語に匹敵する、複雑で洗練された

もっとみる

インクルーシブ教育としての特別支援教育になっていない

2012年の原稿です。

軽度発達障害とは本当は何なのか

 現状では特別支援教育が志向している障害観、能力観は、個人にその原因を帰するものとなっている。その子ども個人がいかに集団生活に適応していないかをチェックし、それらの子どもを特別支援の対象とすることが行われがちである。
 正式には専門家の判断を俟つのは言うまでもないが、ここで注意しておかなければならないことは、もともと精神医学においては専門

もっとみる

『見捨てられる<いのち>を考える』レビュー (仕切り直し)

部分を読むごとにレビューを書いていくとして、先に(1)を書いた。

それは読み始めるとどっと押し寄せてきた論点を覚えていられないという感覚があったからだ。

しかし、その後途中でのメモ的レビューを書くことなく、先ほど全体を読み終えた。一冊まるごと読み終えての、普通のやり方でレビューを書くことになる。

やはり論点は多岐にわたり、しっかりと認識していなかった歴史や、世界の動向など、整理のためにメモを

もっとみる
『見捨てられる<いのち>を考える』レビュー1

『見捨てられる<いのち>を考える』レビュー1

『見捨てられる<いのち>を考える』(晶文社) レビューです。

問題点が多岐にわたるのでメモを兼ねて少しずつレビューする。

第一部 第1章「安楽死」「尊厳死」の危うさ 安藤泰至

個人の自己決定による死と呼ばれているものには、実は「生きていても仕方ない」と感じさせる社会環境の問題という側面がある。→個人の価値観、死生観の問題に還元できない。
(長澤の感想。それは重病であるとか障碍があるとかに限ら

もっとみる
三回死んだ陶芸家@小陶苑 (1)

三回死んだ陶芸家@小陶苑 (1)

 陶芸家の長谷川さんは、嵐山の落柿舎をもう少し北へ進んだあたりに、店と工房を構えている。
 小道から覗くと、小昏い樹々の隙間から、やや薄暗い灯りの店舗が見え、陶芸品が並べてあるのがわかった。その店舗のたたずまいを一目見たときの印象は「センスがいい」に尽きた。
 どんな陶芸を焼いているのだろうか。庭に入っていくと奥の部屋の椅子とテーブルの並びが喫茶に見えた。そのうち、物音に反応したのか、70代ぐらい

もっとみる
AMITAの観た夢 (8)

AMITAの観た夢 (8)

 近鉄上本町、地下鉄谷町線谷町九丁目が交差する辺りは古い街だ。建物のバリアフリーもあまり進んでいない。
 キムソラに指定された店のあるはずの正面玄関を入った光一はたちまちにして、六段ほどの階段によって電動車椅子の行き先を塞がれた。
 見回してもエレベーターは見つからない。通りががった人に尋ねると、何人かの人に「ないと思います」と気の毒そうに見返された。この六段の階段は何のために必要だったのか。外の

もっとみる