見出し画像

退職一歩手前の社会人一年目を支えた『夫のちんぽが入らない』

社会人一年目、私は非常に疲れ切っていた。
具体的に指示をせず、持って行った資料にダメ出しをするだけの上司。常に完璧を求められ、怒られるが褒められない仕事内容。わざと傷つけるように失敗を責める先輩社員。心が疲弊し、8月半ばから常に頭痛と吐き気と戦っていた。立っていると膝から崩れ落ちそうになる体を支えるのに必死だった。風呂や行き帰りの電車で毎日泣いていた。

9月頭、人事部の新卒担当に声を掛けられた。一緒にお昼に行こうというものだった。精神的な苦痛を抱えていそうな一年目に声を掛け、面談を行うのが目的だった。ついに私の番が来たと思った。

私の会社はブラック企業といいうほどではないがそれなりに休職者や退職者が多く、25人ほどいた同期は1年目の終わりには20人弱に減っていた。人事部の担当に声を掛けられた同期は私以外全員辞めた。

私も『夫のちんぽが入らない』に出会っていなかったら日々の労働に心を病み、休職や退職をしていたかもしれない。
それほどまでに大きな出会いだった。

『おとちん』が生きる原動力となった

いきなりだが『夫のちんぽが入らない』は『おとちん』と略すらしい。一気にかわいらしくなる。

おとちん

大学時代からずっと同じ人とお付き合いをしていること、母との確執、仕事の苦悩、いろいろなことが彼女と重なった。でも、彼女は私よりもかなり壮絶な人生を歩んでいる。私には少し嫌味で時折ヒステリックになる母はいたが、暴力を振るわれることはなかった。仕事で無能と言われることやきつい言葉を投げかけられることはあったが、いじめを受けることはなかった。

しかし、それでも彼女が自分の人生を歩むことを諦めることはなかった。彼女にとっては、きっと今日のこの日を生き抜くのに精いっぱいだったのだろうと思う。でも、自分と向き合い、人生を選択する姿は私の胸をいっぱいにした。

そして、彼女が幸せになってほしいという祈りが、辞めたい、死にたいでいっぱいだった私に生きる意味を与えた。23時頃家に着き、風呂から上がると彼女が救われることを祈って1時間ほど本を読む。そんな生活が続いた。

今も『おとちん』に生かされている

『夫のちんぽが入らない』に出会ったのは10月頃。1か月ほどかけて読了した。11月には仕事にも慣れてきたのか恒常的な頭痛と吐き気は収まっていた。日曜日の夜にはまだ毎回泣いてしまっていたが、平日に一人で泣く回数は週2・3回程度まで減っていた。当時担当していた本が11月末発行だったということもあり、その発行までは見届けようという気持ちが芽生えていた。

発行後は、とりあえず1年はやってみようとか、今年は嫌な上司が移動になったからやってみようとか、気づいたら3年目になっていた。

3年目になった今年。今年こそは絶対に辞めようと決意していた。しかしコロナの影響で転職市場は低迷。今年転職するなら相当な覚悟が必要ですねとデューダのお姉さんに言われてしまった。
なるほど、と、いつも受け身で変化を好まない私はそんな一言で転職活動をわきに置いてしまうのだ。

しかし仕事が大っ嫌いなことは変わらない。3年目になった今も明日の仕事が嫌すぎて泣いてしまうことが多々あるし、頭痛と吐き気でイヴクイック頭痛薬に頼ってしまうことも多々ある。だから今日も私は『夫のちんぽが入らない』を読み返したり、先日買った同一作者の『ここは、おしまいの地』を読んで自分を慰めるのだ。今日も『おとちん』に生かされている。

おしまいの地

ちなみにこの本もとても面白かったのでいつか紹介したい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?