ほぼ毎日なにか書く0515

また5日空いた。
1日1日の出来事を記すより、数日かけてひとつのものごとを考える生活にシフトしたということかもしれない。

フッサールの現象学の入門書を何冊か読んで、いまはハイデガーの入門書を読んでいる。いきなりハイデガー自身の著作に当たってもまったく理解できないことが間違いないので、入門書。
ハイデガーは「生まれた瞬間に世界に埋め込まれている」という点が重要なんだろうな、とおもいつつ読んでいる。フッサールは間主観性の概念が重要と思ったけど、なぜフッサールの主張が成り立つのか、まだよくわかっていない。

アートや演劇を何かに「つかう」とき、客観的思考とか違った見方とかいうことばでその効用が語られることがあるけど、客観とか何か、が知りたくて現象学を辿りはじめた。どこまでいっても主観でしかないはずなのに、客観という言葉が当たり前のように使われているのはどういうことか。主観しかないとしても、熱中している主観と冷めている主観があるようにも思うそれはどういうことなのか、とか。

「客観」は一種の共同幻想で、あまり学術的なことばではないんだなというところまで理解した。客観を成り立たせる結果をひとつの事実として出すことは認められるだろうけど(じゃないと近代科学がすべて成り立たないし)、「わたしの思う客観」は、認識の一形態でしかない。当たり前だけど。

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