やめるという決断

やめるという決断

 軽い食事をするために、7月初めに家内と一緒に近所のいきつけの居酒屋に行った。その店の入口に6月20日付けをもって閉店しましたと書いた紙が貼ってあった。美人親子で一生懸命なオーナーを知るだけに、「しまった、もっと早くに行ってあげるべきだった」と後悔した。  
 ただ、そこの店は大きなビルの2階にあり、窓も開けられず、50席あるもののコロナ対策がしにくそうな店だったので、行くときも6時前の出来るだけ人の少ない時間帯を選んでいた。
 今となって思うのは、ギリギリまで我慢をして、お金を使ってしまっただろうな、他の場所に2店舗を持っているのだから、もっと早くに一旦閉じておけばキズが浅くて済んだだろうな、しかし以前から不採算店であったならともかく、そこそこ繁盛をしていたなら、やめるという決断は難しかっただろうなということである。
 また、コロナがこれほど長引くとは予想もしていなかっただろう。大きな店も小さな店も同じ補償額という理不尽がまかり通るというような事も読めなかっただろう (後日多少補正はあったが)。やめるにあたって無念さと忸怩たるものがあっただろうことは想像に難くない。今となっては、やめる時機はともかく、やめるという決断をした勇気を讃えたい。コロナが治まったら是非、再開をして欲しいと願うばかりだ。
 6月13日付の日経新聞の記事にこんなのがあった。日産自動車はスカイラインの開発を中止する。合わせて、シーマやフーガなどの開発も中止する、既にスカイラインGT-Rは生産を一旦打ち切っている。えっ、スカイラインといえば日産の顔ではないか、一番の強みではないかと眼を疑った。しかし20年の販売実績が約3,900台と聞いて納得した。自社の強みと思っているものが、既に強みで無くなっていたのだ。
 日産はコロナと直接関わり合いがないだろうが、コロナの初期の段階で大手旅行会社や大手飲食チェーン、多店舗型衣料品店などは、店舗数を大幅に減らした。大手は決断上手だ。悪く言えば情け容赦がない。
 このようにやめるという決断、つまり廃棄の決断はどうしたら出来るのだろうか。
 以前通ったドラッカー塾で次のように習った。
「もし、この事業を行っていなかったとして、今から始めようと思うか」
 我々はとかく思い入れや、しがらみに囚われて明確な判断を下せない場合が多い。しかし、この判断基準だけをモノサシにするならば決断がしやすいのではなかろうか。
 ギリギリまで頑張って体力を無くしてからやめるよりも、体力のあるうちにやめて次に備える。「イノベーションにおいて、もっとも重要かつ困難なステップが廃棄の決定である」とも聞いた。つまり、イノベーションは廃棄から始まる。これはトップにしか下せない決断だ。
 冒頭の居酒屋のオーナーにこんな声をかけていたことを後悔する。「大変だろうけど、頑張ってね」。正しくは、「あまり頑張り過ぎずに、早めに一旦やめるという決断もあるよ」だろう。 
 しかし、顧問先でもないお店の方に、そんな厳しい言葉はかけにくい。オーナーにしても、やめるにあたり、お客さんの顔を思い浮かべて、あと半年頑張れば、あと1年頑張ればと我慢に我慢を重ねて来たに違いない。我々の存在自体がなにがしらのしがらみになり、判断を遅らせていたとしたら、申し訳ない。あたりさわりのない挨拶もほどほどにすべきだ。
 このように無責任な客もいて、コロナで判断を狂わす状況があるにせよ、トップとしては周囲の声に惑わされずに、思い切った決断をすべきだ。雑音はどこにでもあるものだからだ。

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