松陰先生のことば

 今年7月、農業法人の視察研修で山口県に行った。そのうち一泊は萩に泊まった。そのホテルの売店で面白いものを見つけた。それは萩市立明倫小学校監修の「松陰先生のことば」という小冊子だ。明倫小学校は長州藩教育の中核である藩校明倫館の跡に建つ。明倫小学校では昭和56年から「松陰先生のことば」を、その教育に取り入れているそうだ。 


  毎朝、各教室から松陰遺著の一節を朗唱する元気な声が聞こえてくる。高杉晋作や久坂玄瑞などを育てた吉田松陰のことばが百数十年後も、このような形で活用されていることが非常に興味深い。さらに子供たちが朗唱する言葉の高度さに驚く。言葉は学年ごと、学期ごとに変わるから、6年間で計18のことばを朗唱するわけだ。ここで全てを紹介するわけにはいかないので、各学年の1学期のみ紹介したい。


  1年生は、『今日よりぞ幼心をうち捨てて人と成りにし道を踏めかし』。解説文は、今までは、親にすがり甘えていたが、小学生となった今日からは、自分のことは自分でし、友達と仲よくしよう。

  2年生は『万巻の書を読むにあらざるよりはいずくんぞ千秋の人たるをえん』。解説文は、多くの本を読み、勉強しなければ、どうして名を残すような立派な人間になることができようか、しっかり勉強しなさい。

  3年生は、『凡そ生まれて人たらば宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし』。解説文は、人間として生まれてきた以上は、動物とは違うところがなければならない。どこが違うかというと、人間は道徳を知り、行うことができるからである。道徳が行われなければ、人間とは言われない。

  4年生は、『凡そ読書の功は昼夜を舎(す)てず寸陰を惜しみて是れを励むにあらざれば其の功を見ることなし』。解説文は、読書の効果をあげようと思えば、昼と夜の区別なく、わずかの時間でも惜しんで一心に読書に励まなければ、その功をみることはできない。

  5年生は、『誠は天の道なり誠を思うは人の道なり至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり誠ならずして未だ能く動かす者はあらざるなり』。解説文は、誠というものは人のつくったものではなく、天の自然に存する所の道である。この誠というものに心づいて、これに達しよう、これを得ようと思うのは即ち人の人たる道である。学んでこれを知り、つとめてこれを行うのは人たるものの道である。このように、誠の至極せる心に会っては、何物も感動されないものではない。誠というものはすべての元になるものである。

  6年生は、『体は私なり心は公なり私を役して公に殉う(したがう)者を大人と為し公を役して私に殉う者を小人と為す』。解説文は、人間は精神と肉体の二つを備えている。そして、心は肉体よりも神に近いが、肉体は動物に近い。ここでは、精神を公とよんで主人とし、肉体を私とよび、従者とする。すなわち、人間は公私両面を備えている。なお、精神を尊重するのは、良心を備えているからである。主人たる心のために従者たる肉体を使役するのは当然のことで大人の為すところ。これに反し、従者たる肉体のために、主人たる精神を使役するのは、小人の為すところ。同じことを繰り返すが、肉体を使役して、徳を修め、道を行うことに心がけるものは大人、反対に、道心、天理を犠牲にして肉体の欲望を満足する事を目的とするものは小人。

  いかがだろうか、小学生という多感な時期に、この難解なことばを朗唱しながら育った子供たちが、その後の人生でどういう影響を受けるかは分からないが、少なくとも心がすさむということはあり得ないだろう。会社でいえば、至誠にもとづく経営理念であれば、多少難解であっても、繰り返せばよく浸透することが分かる。

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