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屋久島の贈与社会は心地よい

「大根あるから取りにきな!」
県道沿いを散歩しているとき、軽トラ運転中の近所のおじさんから声をかけられる。

モノの受け渡しが自然になった

屋久島に引っ越してきてから10ヶ月が経過して、そういうシチュエーションには慣れてきた。元々東京に35年以上に暮らしていたが、野菜や果物などのやりとりをそんなに頻回にそんなに当たり前のように行ったことはなかった。

屋久島に来てからというもの、モノ(野菜・果物・魚・お菓子など)のやり取りの多さ(流通量)にビックリしている。1ヶ月くらい前には、我が家はどこで買うわけでもなく、ポンカン、みかんが大量にストックされている状態だった。そしてそれがなくなりそうになると、またどこかしらの家庭からポンカン・みかんが届く。食べても食べてもなくならない。柑橘類の無限ループだ。

・おかずをもらったら、大根を渡して
・お酒をあげたら、お菓子が返ってきて
・挨拶したら、果物をもらって

そんな感じで屋久島で生活している10ヶ月間で、お金を通さない数えきれない受け渡しを経験した。贈与が生活に根付いていることを自然に理解できてきた。すると今までとても大事だと思っていたお金は、贈与が根付く地域で生活するにはそこまで必要ではないと感じた。なんせたくさんのモノが地域を循環してるから。

贈与は社会的なつながりを維持する

贈与は社会的なつながりを維持すると聞いてはいたが、まさに今体験していることがそれなんだろう。結婚式でお祝いあげたら、その日に値段に見合ったカタログギフトが返ってきたときのつまらなさや若干の冷たさを感じたのは、きっとそれが「贈与」じゃなくて「交換」っぽいから。1,000円の商品を買う時に1,000円札と交換する行為に社会的なつながりを感じるという方が無理あるし。

モノだけではなくもっと大事なものも循環する

東京は人が冷たいとよく言われる。東京には近所の人に野菜や果物を配り合う習慣はないだろう(そもそもそんなに野菜も果物も取れないか)し、仮に配り始めようとしたら周りの人に困惑されてしまうのではないだろうか。

贈与の文化が根付いている地域には、社会的なつながりを維持しようという力が働いている。魚や野菜や果物などのモノだけじゃなくて、同時に人と人のあいさつも笑顔も雑談も循環している。この地域に暮らしはじめて心地よいのは、そういった社会的なつながりが保たれていると感じるからだろう。

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