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草間彌生美術館「毎日愛について祈っている」-ガラスケースの中の[永遠]

 草間彌生美術館(東京・新宿区)で、10月7日から始まっている「毎日愛について祈っている」(~ 2023年2月26日)を鑑賞してきた。

草間彌生美術館(東京都新宿区弁天町)

 同美術館は展示は2017年10月に開館、年2回のペースで草間作品を展示替えしている。

■外からも目を引く「水玉強迫」でスタート

 今回の展覧会は、外からも目を惹きつける、「水玉強迫」でスタートしていた。下記の解説通り「球形バルーンと円形ステッカーを使ったインスタレーション作品」だ。

「水玉強迫」作品解説
エントランスやショップ部分も含めた大胆な展示
外国人の来訪者が多かった

 以前のレビューの重複ともなるが、ポップな水玉のアーティスト、と誤解されているきらいもある草間彌生の「水玉模様」は、じっと鑑賞していると、なにかざわざわしたものが自分の中からこみあげてくる。もちろん、今回もやはり。

 それは、上記解説文の「水玉など単一のモチーフを反復、集積する手法は、自身を含む全てが、あるモチーフで覆われてしまう幼少期からの幻覚に由来し、草間の内的な強迫観念を作品化したものです」という文章で裏打ちされる。

 階段で2階へ。

上りは階段、下りはエレベーターの一方通行

■「EVERY DAY I PRAY FOR LOVE」

「EVERY DAY I PRAY FOR LOVE」-草間彌生の最新の絵画群の背面には、昨年以降繰り返しこのセンテンスが記されるようになりました。それは、書き添えられた詩とともに作品タイトルとなり、さらにはシリーズタイトルとなり、現在草間はこの新シリーズの制作に懸命に取り組んでいます。
 本展では、同シリーズをお披露目するとともに、近作から絵画作品を中心に展覧し、草間彌生の創作の現在地をご紹介いたします。2009年から2021年にかけて800点以上を描き上げた大型のアクリル絵画シリーズ「わが永遠の魂」は2018年以降小型化し、その流れはさらにもう一回り小型の絵画を中心とした新シリーズへと連なります。近年の「わが永遠の魂」の所産や、2000年以降断続的に取り組んできたマーカーペンによるドローイングの小品、最新作である覗き込むタイプの小型ミラールームやインスタレーションなどの草間の視覚を体感できる作品とあわせて、芸術に全身全霊をささげ、愛と死を想う草間の日々の祈りがつづられた近年の詩作もご紹介いたします。草間の現在の頭の中を体感するような展示をお楽しみください。

草間彌生美術館ウェブサイト 開催中の展示 より

 2階、3階が「毎日愛について祈っている」のメイン展示会場となる。

展示会場撮影不可のため、展覧会目録より、2階で展示の立体作品の頁を

 2階には、詩と近年の絵画並びに立体作品が展示。立体は、まるで自然界のもののようだ、という印象をうけた。形にしても、細かく描かれた模様、色彩にしても、無駄なく完璧、という意味だ。

 有名すぎる「南瓜」のモチーフにしても、直島のものはあれはあれで完璧な美しさなのだけれど、今回出展されていた2体の立体作品も、それぞれ一体一体なりの完成した形と文様と、吸い込まれそうなちょっとした怖さを持ち合わせていた。

■小箱の中に「永遠」を覗く

 3階の作品のなかで、もっとも惹きつけられたのは下記。さきに引用した解説文の中の「最新作である覗き込むタイプの小型ミラールーム」だ。

同じく、展覧会目録より「天国へのぼった階段で見た宇宙の夢」の頁

 80cm四方の箱の、レンズとおぼしき部分から中を覗くと、そこには、上の画像の右ページのような世界が広がる。自分の姿も、中を覗いているほかの人も、周囲の人や展示作品も映り込む。中は合わせ鏡なので、世界は永遠に続く。

 草間作品の「ミラールーム」には様々なタイプがあり、巨大な空間に設置されたものや、鏡が張り巡らされた小部屋の中に入って一定時間を過ごすタイプのものもある(そう考えると、草間彌生美術館のトイレやエレベーターも、ミラールームの一種といえるのかも?)。

例えば。エレベーターの中

 「覗き込むタイプの小型ミラールーム」は、画面を通じて何かに没入することの多い昨今の我々におなじみのスタイル、とも思える。

 これでもかというくらい、何度も箱の周りをぐるぐる廻ってその「世界」を覗いてみたのだけれど、まず、のぞき込む際のレンズの色によって印象が大きく変わる。また、永遠に拡張していくその世界の、どこに焦点を当てるによっても見え方が変わってくる。脳を試されているようだ。

 そしていずれの場合も、現実はもういいのでそちらにふっと行ってみたい、と思わせるような、不思議な魅力が漂っていた。

■1分間、作家の感覚を共有

 4階のインスタレーション「I'm Here, but Nothing」では、作家の視覚と、強迫観念の共有をさらに深めることとなる。こちらの作品は前回も体験(2分)したが、今回は1分、部屋の中で過ごす。

 草間彌生は、幼少の頃から、通常は人には見えないものが見え、聴こえないものが聴こえることに苛まされてきた。以前(松本で、だったかと思うが)鑑賞した、草間が子どもの頃に描いた人物画には、画面にびっしりと「水玉」のようなものが描かれている。そう見えたかから描いた、ということだろう。

 こうして作家の視覚をシェアし、テレビから流れてくる作家の映像と歌を聴くにつけ、作家の「私」の部分に、ほんの少しだけ近づけたのではないか、という幻想が味わえる。

■屋上展示「命」

 屋上には前回同様、「命」が展示。

「命」についての説明文

■「愛」という言葉の深み

 愛、という言葉は難しくて、安易に使うと軽くなってしまう。しかし、草間彌生の使う「愛」には重量感がある。

 幼少の頃から病に苦しみ、封建的な生家から逃げ出すためにあらゆる手を尽くし、渡米して前衛芸術家として成功するも、その活躍が日本では面白おかしく(悪意をもって)伝えられ、病が悪化して帰国してからの長い長い模索の時間。人生の後半になって再度のブレイクを経て、世界的な巨匠となってから、現在も続く旺盛な創作。

 2017年の開館以来、展示替えのたびに訪れては、草間彌生が七転八倒しながら得て芸術に昇華してきたものの、エッセンスを受け取っている。自分の中とも外とも闘いながら、長い長い創作期間を経て、到達した境地。翻ってわたし自身の最終地点もそこになるのだろうか、と、作品世界の余韻に浸りながら思いを巡らせている。


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