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風立ちぬから、技術者について考える。

***この記事は、aba代表の宇井が個人的に書き綴っていたものを加筆修正し転記したものです。***

宮崎駿監督作品の「風立ちぬ」。

先週、地上波初登場だったため、映画館で一度観たものの、また見直してみた。

映画を観ながら、久しぶりに号泣してしまった。

号泣した理由が自分自身でもよくわからないため、ここで一つ一つ解明していこうと思う。

「ものづくりへの情熱」

最初に泣き始めたのは、主人公の堀越二郎が社内研究会で新型飛行機の発表会をしているシーンだ。

陸軍から要求されている仕様を超え、かつ自分たちの思想をありったけ乗せた夢の飛行機への情熱は、私にとって一番心踊るシーンだ。

このシーン中に、堀越二郎がユーモア含めてこんな発言をする。

「ただ…どうしても(飛行機が)重くなってしまうだが…ミサイルをおろせば問題をクリアできる」

その瞬間、場に爆笑が起こるのだが、わたしはこの一言に、堀越二郎始め、技術者の本音が詰め込まれていると感じた。

わたしは普段、介護現場への技術導入のため、現場に行くことを重んじている。

ものづくりにおいて、わたしにとって最も重要なのは現場であり、そこにいるユーザたちである。

ユーザ理解を深める一助として、自分で週末介護職もやっている。

一方で、社内で製品開発を行う中で、筋金入りの技術者たちと接する中で、彼らのものづくりへの考え方について一つ共通項を感じている。

「フィールドを、技術者として理解する」ことだ。

わたし自身は、あくまで企画屋であり、フィールドワークを行い、現場で見えた課題にどんな技術導入を行えばいいか、基本仕様書を書くところまでが仕事である。

そういう意味では、技術者は仕様書通りに開発さえしていれば、最低ラインの仕事を果たしているとも言える。

だが、現在共に製品開発している仲間たちは、こちらの要求の本音までを考慮し、よりよい案を提供してくれている。

最初の頃は、なんだかんだいっても介護現場に思入れがあるのかな?

だからユーザのことを考え、よりよい仕様書を提示してくれるのかな?と思っていた。

けれど、仕事を進めていく中で、彼らはあくまで”技術者として”、自分が開発したプロダクトがどのように使用されるのか、そして自分たちがどのようなサポートをしなければならないのかをより深く考え、その結果仕様書の提案に至っているのだと気付いた。

これに気付いたとき、彼らのプロフェッショナルとしての仕事に大変脱帽したのを覚えている。

介護現場への思入れ云々ではなく、一技術者として、自分の開発したプロダクトの行く末を先の先まで考え、仕事をしてくれていたのだ。

ここで堀越二郎の発言に戻る。

「ただ…どうしても(飛行機が)重くなってしまうだが…ミサイルをおろせば問題をクリアできる」

もちろんこれは冗談だし、堀越二郎は結局、零戦を作り上げる。

けれど、これが一技術者 堀越二郎の、本音だったのではと思う。

劇中、何度か「俺たちは飛行機が作りたいだけなんだ」という発言があったが、きっとその通りで、飛行機がどんな目的で使われるかは、本当は、本当のところはどうでもよくて、ただただ、飛行機を作りたかっただけだと思う。

ユーザ主義、現場主義のものづくりは確かに必要である。

使い手のことを考えるからこそ、工学は科学と一線を画し、より社会により身近な貢献ができる。

けれど、技術者とは、技術そのものを心底愛しているものたちとは、

作った先のことまで考える余裕すらなく、ただただ技術に惚れ込み、己の時間を全てそこに費やすものたちのことをいうのではないかと思う。

そしてそういった技術者が今のチームにいること、そして彼らの凄みを再確認できたことが、今回、私自身のハイライトとなった。

堀越二郎たちの社内研究会の熱にほだされた。

よし、仕事をしよう。


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