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ゆたかさとは何だろう

noteのお題に正面から答えてみたいと思います。これから「ゆたかさ」「幸せ」の基準になっていくと思うものやこと。


お金やものが豊富にあることだけが、ゆたかさの基準ではないかもしれません。ゆたかな人生を送るために大切になってくること、新しいお金観やビジネスのあり方などを考えてみるのもいいかもしれません。

豊かさについて、極論を言ってしまえば、その人が豊かだと思えば豊かだと思います。豊かとは絶対的なものではなくて、感じる事だから。

その上で、敢えて豊かさを考えるとしたら、お金がたくさんあることイコール豊かなのか?

人が働く対価としてお金を得るとしたらあれば豊かなことは間違いないハズが、残業だらけでお金だけ手に入っても仕事が終わったら疲れて終わりで良いのか?

パッと見たらそれは豊かには見えない。けれどこれも本人が仕事に全てをかけているとして、幸せを感じるならばそれは豊かだったことになる。

しかし、そこに家族がいて、その彼なり彼女なりと一緒に楽しみたいと思っていた場合はどうなるか?本人が良くても家族にとっては良くないということになる。

豊かさとは絶対的なお金の多寡では測れず、仕事感、幸福論、人生論全てが絡まってくる。

よく言われる核家族化と、終電ばかりの仕事によって家庭崩壊していると言うこと。それはそれで問題ではあるが、昔は家族全員で囲む温かい食卓があった昔の方がモノは無くても幸せだったからそこに戻れと言う話もある。確かにステレオタイプの家族団欒は豊かさの象徴のように見える。

まるでサザエさんの家族。そんな幸せ家族偶像のステレオタイプに合う家族が今の日本にどれだけ存在するのか?

しかし、それとて、女性を家に縛り付けるがごとき不自由の上に存在していると感じる女性の意見があったら、誰かの犠牲の上に成り立つサザエさんの家庭なんて全然豊かでも魅力的でもない。

今どき、地方都市ならばそれが実現出来ているかと言うと、確かに17時に仕事が終わった後、旦那は外へ出てエンドレスに酒を飲んで帰ってくるのは真夜中なんて形だったりする。よっぽど都会の方が前向きな勉強会に参加出来たりして良いのではないか?

ところが、今回の新型コロナによって、スティホームになってどうなったか?家族愛に目覚めて仲良くなった家もあれば、離婚まで進んだ家庭もある。そこまで行かなくても旦那が家にずっといて困ると言う声が聞こえてきたり、要は壮大な社会実験が行われた結果、なあなあで曖昧にしてきた関係に再びフォーカスを当てることになり、離れだ方が良かった関係の肩を押したり、むしろ愛が深まったり、子供を授かる家庭も出来たことでしょう。豊かさとは幸福な家庭が前提であるのかもしれません。

「日本人の日本人的なこと、日本の古い文化に固執してしまっている。イギリスだっていろんな文化を取り入れた方が良い。」と、元TopGearのジェームス・メイ氏が日本を旅した番組の中で言われていました。

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豊かどうかは、はなはだ相対的かつ主観的なものだと言ったことに戻って、もう一度豊かさとは何か?を考えるに、お金の奴隷にならない程度の稼ぎがあって、自分の好きなことを仕事でも趣味でも出来て、家族が持てて、その家族と一緒の時間と考え方価値観を共有して、喜びを感じられるならば、稼ぎが幾らでもどこに住んでいても家族が何人でも構わないと思います。それが基準かと思います。

そして、これを基準と言うならば、おそらくこれまでもこれからも変わらないハズです。

いつになく主観を主張してしまいましたが、みなさまのご意見はいかがでしょうか?



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