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“素直に謝る方法”/問題点を分けて考える

【結果は変えられない】

私はどちらかというと
事実や結果を大切にする実利主義

実際に目の前で起きている
できごと だけでなく、
感じたこと相手に与えた感情
"事実であり結果"だと思っている

誤解があるとしても
それは自分の説明不足
勘違いされる言葉の使い方、
日頃の行動の積み重ねにより
引き起こされた結果

結果を導くプロセスの中
何かしら問題があるから
誤解やすれ違いが生じる

誤解を解くことは、
"原因となった問題部分"を
説明したり補足するためのもの

相手の感情を否定する効力はない

【誤解を解いても分かり合えない理由】

「そんなつもりじゃなかったのに
勘違いして傷ついたあなたが悪い

と言われたら、どう感じますか?
↑これは極端な例だけど(笑)

"誤解だった=自分は悪くなかった"
と勘違いする人も多いけれど
それだと相手にモヤモヤが残るのは
"できごと"という事実にしか
焦点をあてていない
から

プロセスの中にある問題点
相手の感情を無視している

相手の感情を否定すること
シャットアウトして壁を作ること

指摘されることへの恐怖心
心の弱さのあらわれによる
一種の防衛本能かもしれないけど

言われた側は悲しさを通り越して
呆れるか、笑うしかないと思う

【絶対しないこと&自分ができること】

深くしっかりとした人間関係や
信頼関係を築いていくために
相手の感情を否定することだけは
絶対にしない
と決めている

子育てや恋愛にも言えるけど
親であろうと恋人であろうと
相手の感情は、相手のもの

ジャッジできるものではない
自分の感情や都合とは別モノ
正しいも、間違っているも存在しない

自分ができるのは
相手に悲しい思いをさせたなら
"その事実"に対して素直に謝ること

たったそれだけで
仕事もプライベートも子育ても
驚くほど人間関係がスムーズになる

これらをごちゃ混ぜに考えると
否定されたと悲観的になったり

"責任逃れ"、"犯人探し"、
"罪のなすり合い"
をするような
なんの生産性もない会話で
怒りを増幅
させてしまう

お礼を伝えることはできても
素直に謝れない人は意外と多い


"相手の気持ちに対して謝ること"は
大切に向き合おうとする姿勢のあらわれ

“どっちが正しい、間違っている”
ひとくくりにして考えるから
問題がややこしくなる

嫌な気持ちにさせた部分に対して
お互いに素直に謝れるだけで
きちんと向き合ってくれている
感じられるんじゃないかと思う

私は雑に扱われることが一番、悲しい
だから相手にも絶対しない

謝ることは負けを認めることでもなく
プライドを傷つけるものでもない
とても魅力的な行為だと思う

ビブリオバトルみたいな
前向きな討論なら、したいけどね」
こないだ友人が言っていた言葉が
すごくしっくりきた。

戦闘力低めの、楽しい討論は好き

【問題点をわけて考える】

お客様からの指摘やクレーム
"否定された"のではなく
"感想や感情を伝えてくれた"
と捉えれば、自分が何に対して
謝罪し、お礼を伝えるべきか
冷静に考えることができる

①「〇〇をしてごめんなさい」

行為に対して謝罪

②「〇〇をして(結果として)
悲しい思いをさせてしまって/
ご不便をおかけして/ご迷惑をおかけして/
ご不快な思いをさせてしまって/ごめんなさい」

相手の気持ちへの謝罪

①は(自分なりの意見などがあり)
できない時があっても、②は常にできる

私も①が無理な時は

「嫌な気持ちにさせてごめんね。
でも私は〇〇に関しては〜と思っていて。
考えがあった上での行動なので
間違っているとは思っていない。
気持ち伝えてくれてありがとう
とっても嬉しかった❤」

と、自分の気持ちを添えて返事をする。

①だけだと簡単に謝れるけれど

「謝れば許してもらえるだろう」
と、捉えられてしまわないように
②にIメッセージを添えて
相手に伝える方法が好きです

相手がどんなに小さな子供でも
友達や恋人との不本意な喧嘩でも
「傷つけてしまったなら、ごめん」
「不安にさせてしまって、ごめん」

そのあとに誤解があれば伝え
自分の気持ちを必ず添える

傷ついたり悩んだり、嫉妬するのは
愛、好意、期待のあらわれだから

次に自然と出てくる言葉は
「ありがとう」とか
「だいすきだよ」かな😊

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