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自己紹介がてら

どうもこんにちは。
僕は東京に住む大学生です。

主にTwitter(現X)の政治界隈にいます。

noteは閲覧用としてアカウントを持っていましたが、最近、考えたことを具象化することは大切だと思ったので、すこしずつ文章を残していきたいと思います。とはいえ、気分の上下で消したりするかもしれません。

その時の気分で一人称が変わってしまいがちです。「私」「僕」「俺」「自分」など。同じ文章中ではなるべく統一できるようにします。


※この文章は東日本大震災に言及しています。ご注意ください。
なお、ここから先は文体が変わります。

都内で撮影した風景。おそらく世田谷区。線路の上の橋から、富士山らしきものを遠くから撮影した。

僕が政治に興味を持ったきっかけは何だったのか、考えてみた。

物心ついてすぐの頃、東北地方太平洋沖地震が発生した。
それは、今もなお続く「東日本大震災」の始まりだった。

関東地方の自宅にいたとき、グラッとした揺れがきて、当時持っていたカーズのおもちゃが戸棚から飛び出した。
テレビに映し出された日本列島の海岸線が真っ赤になっていた。
大人たちの表情が緊迫していた。
翌日の幼稚園では、みんな地震の話題で持ち切りだった。

幼い僕は何が起こっていたのか分からなかった。
ただ、どこかこの世界は脆くて、簡単に滅びてしまうんじゃないかと感じたのだと思う。

都内某所の神社の鳥居。夕方の暗い中、赤い鳥居が目立っている。

小学生の時、国会で安全保障関連法案が強行採決された。
当時は「集団的自衛権」の意味さえはっきりと分からなかったが、国会前で反対デモが繰り広げられている様子をニュースで見ていた。
周りの大人たちが「戦争ができる国になる」という言葉を口にしていた。

僕より10歳ほど年上の世代が、SEALDsという運動を結成して、連日のデモの先頭に立っていた。
当時の僕にとって、彼らはとても輝かしく見えた。
「若者は政治に関心が無い」「戦争体験者が減り、戦争の記憶はどんどん風化されていく」子供なりにそう思っていたから、なおさら彼らに希望を抱いた。

だが、与党の圧倒的な力の前に、法案は通過した。
漠然と、戦争への恐怖が高まった。

そんなわけで、自然と民共共闘路線の政党を肯定的に見るようになった。

2024年3月30日、パレスチナ「土地の日」に新宿駅前で行われたデモ。新宿駅を背景に、パレスチナ国旗がはためいている。

憲政史上最長の在任期間だった安倍晋三首相は、森友学園などの疑惑に揺さぶられていた。
森友の子供たちが「安倍首相がんばれ」とコールさせられている映像が報道された。教育の現場が、教科書で読んだナチスのように、ファシズムに引っ張られているように感じた。

ある時、図書館で核戦争を扱った本を読んだ。次に世界戦争が起こったら、人類は滅亡するのだと思った。

あるいは、手塚治虫の『火の鳥』2巻のような世界は、もうすぐそこまで来ているのではと思った。

あるいは、幼い頃から見ていた宮崎駿のアニメ映画、例えば「風の谷のナウシカ」「未来少年コナン」のような、暴走した科学技術や戦争で荒廃した地球、というような未来像を思い浮かべていた。

広島県某所の風景。車窓から撮影。全体的に緑が多い。田畑や民家が写っている。

僕は21世紀が始まってすぐに生まれた世代だ。
健康に問題が無ければ、地球上で今世紀末ぐらいまで生きることになる。

もし戦争が起きたら、徴兵されて死ぬんだと思った。
あるいは、気候変動が壊滅的な被害をもたらして、徐々に死んでいくんだと思った。
僕らはきっと、先祖が残したツケを払わされるのだと、子供心に思っていた。

ただ、苦しんで死にたくなかった。
どちらかと言えば、生きながらえるために抵抗したいと思ったのだ。
死は考えるだけで怖かったし、子供の僕はずっと、なるべく身の回りの楽しいことに集中しながら、頭のどこかで、そうした脅威から逃げたいと願っていた。

軍事的なものより、平和・国際協調的なものを。
先端的な技術より、オールドな文化を。
キラキラした都会より、「エコ」なイメージのあった地方を。
どちらかと言えば、好むようになった。
子供のイメージだけどね。

木漏れ日。

小学校高学年の頃、政界では一つの大きな出来事があった。
野党第一党が分裂した。
ぜんぜん希望じゃない政党が生まれて、
安保法制を容認するという「踏み絵」を踏まされていた。

そんななか、急ごしらえで立憲民主党が結党された。
枝野幸男という人が、とてもカッコよく見えた。

新聞折り込みに入っていた、証紙ビラのデザインをよく覚えている。
斜体のスタイリッシュなロゴとともに、
「トップダウンの政治から、ボトムアップの政治へ」
「まっとうな政治。」
「右でも左でもなく、前へ。」
という文句に、感化されてしまった。

立憲主義の理念を知った。
それは、民主主義を補完するものであると受け止めた。
「国民が政治を見ていないじゃない、政治が国民を見ていないんだ」は、今でも好きな言葉だ。

サイゼリアのボンゴレスパゲッティと、玉ねぎのズッパ。

中学校に入ったあと、れいわ新選組が結党された。当初はただ、障がい当事者を国会に送り込んだことに「本気さ」みたいなものを感じていた。

参院選が終わってから1年後ぐらいだったと思う。
スマホを手に入れて、YouTubeが身近なものになり、たまたま山本太郎の政見放送を見た。一つ一つの言葉に思わず泣いてしまった。
極めつけは「死にたくなる社会から、生きていたくなる社会へ」という文言だった。

彼らの消費税に関する解説を見て、積極財政的な考え方になった。
これに関しては、今は違うかな。もうちょい経済の勉強もしたい。

また今度書くかもしれないが、最近のれいわ新選組には大いに問題があるとも感じている。

都市部の、よくあるガスタンク。

高校に進学する段階になった。
人生のほとんどを東京で過ごしてきたものの、前述の通り、都会に嫌気がさしていた。
というか、都会的な娯楽や街並みにほぼ興味が無かった。

なんとなく地方に幻想を抱き、ワクワクしていた。
「地方の活性化」や「地方で活躍する若者像」に、なんとなく憧れを抱いていた。

高校は、とある地方の寮生活ができる場所に行った。
そこでの経験は割愛するけど、おおむね楽しい思い出が多かったと思う。
友達との付き合い方、ものの見方、いろいろと学びがあった。

でも、僕が見ていた地方像は、紙面や画面上のイメージでしかないんだな、と感じることもあった。
閉塞感もあったし、これが現実なのかな、と思うことも多かった。
高校の時から、諦めが多くなったと思う。

高校の時に描いた、石膏顔面像のデッサン。

勉強しなくなった。幸運なことに大学には受かった。
家系に教員が多いので、なんとなく教育学部にした。
大学の学びには、正直言って集中できてない。

いま、将来像は特に持ってない。
なんとなく、自分の周りが幸せになっていて、もう少しマシな社会にするために微力ながら尽くしていきたいな、と思う。

政治家になろうかとも思ったけど、たぶんそれは、僕の中に拍手喝采を浴びたい気持ちがあるからなんだろうな、とも思う。

その代わり、Twitterのフィルターバブルの中に生息している。
特に支持政党はない。なんとなくリベラル・左派系を応援している。

どの政党にもなかなか良くないところがあると知ったので、信奉はしないように気をつけようと思う。

ネット上では、排外主義と陰謀論の煮凝りみたいなものが暴れ回っている。
ポピュリズムの「匂い」みたいなものは判別できるようになったかもしれない。

とある公園で見つけた、羊の頭像。

最近になってやっと、論理的思考と学問が大事だな、と思うようになった。

この社会をなんとかマシな方向に変えるために、まずは学術の世界に入る必要があるのかな、とも思うようになった。
自然科学と社会科学の知識は、物事を正確に見るために必要だろう。

あとは、現場に出て、自分の目でたくさんのことを感じ取りたいな、とも思うようになった。

都知事選では、蓮舫を応援した。
ポスティング、ビラ配り、電話かけ、友人知人への投票依頼、色々やった。
地元の議員や市民運動の人たちに少々顔を覚えられるくらいは。
大学の課題を放っぽいて。何やってんねん。

僕はたぶん、死にたくないから政治に声を上げたいのだと思う。
ある種、かなり利己的なのかもしれない。

自分のケアをしながら、本を読んで、路上に出る。
それができるようになりたい。


こんな調子ですみません。
自己紹介がてら、つらつらと書きました。
これが僕です。

よろしければ、感想をお寄せください。
政治的立場に関わらず、様々な方と対話していきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。

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