マガジン一覧

ヘリオなお話

ヘリオセントリック占星術でどんなことがわかるのだろう。 渡邊梓 本人の盤面を読み解きながら、星降る占星術の世界へ。 一人一人に宿る魂が体験したいこととは一体?!? ワタナベアズサ視点の星読みの世界。

『火星が教えてくれるはじめの一歩』編

ヘリオセントリック占星術からどんなことがわかるのだろう? 私自身、自分ごとでの言語化は本当に苦手。腰が重いってやつですね。 でも自分の盤面を自分で読み、文章化してリアルな生活でどうなのかを綴ることは 自分へのギフトだとひらめいてトライしている。 言葉は面白くもあり、恐ろしくもあり…だからこそ仲良くなりたい。 知らず知らずのうちにいろんな思い込みやイメージで自分辞書を作り上げている。 フラットに言葉を調べればそのことに気づくのは秒単位だろう。 つかみどころのない感覚を一つずつ

4

『地球×水星×金星からみる 私の内側』編

ヘリオセントリック占星術からどんなことがわかるだろう。 自分自身の盤面を読み進めながら魂のやってみたいリストを発見してみよう。 1983・11・01     14:08   日本生まれ。 私、渡邊梓 本人のヘリオセントリックの盤面である。 今回は、水星・金星・地球までのつながりを見ていこう。 太陽と地球との間。 魂とワタシの間にある純粋なものとも捉えられるだろうか。 人や社会や時代がまったく影響しないと仮定して話を進めよう。 角度表から意味を成す角度をピックアップする

3
もっとみる

Kanaiプレートアートって何なん?

私とkanaiプレートアートとの出会いから現在進行形のことをつらつらと。 自分自身に起こる変化を共有しながら、必要な方へお届けしたい。 ワタシからアナタへKanai プレートアートを繋げる架け橋となりますように。

Kanaiとの今 2024年3月の私。

2024年3月。 今現在の私とkanaiプレートアートとの関係を書いておこうと思う。 単刀直入に言おう。 現在、私は以前と違いkanaiプレートアートは描いていない。 あんなにも前のめりに宣伝し、提案し、描いてきた自分がである。 何が私をそうさせたのか。 それは、自分自身で行動することをし始めたからだ。 全ての感情・感覚を自分で感じ切るということに向き合いトライしているからだ。 では、kanaiが無意味なものなのか…といえば、そうではない。 私をスタートラインへ立たせて

『かわいい』を♡で受け止める

ヘリオセントリック占星術での星詠み・kanaiプレートアートナビゲーター ワタナベアズサです。 先日、 Instagramのストーリーズで 『かわいい』を受け止められているか? という投稿をした。 『カワイイ』は文字通りの意味ではあるが、 私が乗り越えて来たものはそれだけに止まらない。 これはほんの入り口にすぎない。 個人における1番引っ掛かる言葉が、いろんな現実を変化させるヒントであるということだ。 これは…私 ワタナベアズサの凝り固まった心の中にあった『カワイイ』

2

『おひさまコース』勘違い案件。私は皆んなの『花咲ジジイ』宣言

どうもどうも。kanaiプレートアートナビゲーターをしてます。ワタナベアズサです。 さて。 kanaiプレートアートを描く・基礎講座を受けとるということは、 『イバラの道』から『お日様ポカポカの道』へと自身の人生の旅路の彩りを変えていくということ。 それは自分自身の心のありよう、現実のありようすら変えて行く。 潜在意識を整えることは、顕在意識との綱引きではなく、二人三脚してエンジンの馬力上げてくような感じと今は捉えている。 不要になった感情や、現実をストップさせてしまう体

8

🤭闇堕ち危機一髪🫣

kanaiプレートアートを使っていくヒントや使うきっかけになればと、 自分ごとをつらつらと書きますね。 2022年4月4日 19:30頃 だったでしょうか。 なんか…いつもと違う。 なんとも言えない体の重さと、思考の重さ。 嫌な感じ。何もしたくない。 何気ない会話全てがイライラする…を通り越している感じ。 無気力感…と同時に、自分自身に何がしかの価値というものを付けては無意味なジャッジをし始める。 これはやばい。まじやばい。なんなん、この思春期拗らせティーン的な感じ。

4
もっとみる

ひょん no 気

ひょんなことから、気づいたり、思いついたり。気のむくままが自分自身の必然に。

『ひょん no 気』vol.8 今の私

久しぶりに自分の書いたnoteを読んでみた。 下書きの状態で待機しているものがもいくつかあって整理したかったし、 いな自分がどんなふうに文章を綴ることができるのかまた出会いたいと思ったからだ。 何がきっかけか、あんなに楽しく書いていた時期から急に書かなくなってどれくらい経つのか… 久しぶりに再開した自分の書いた文章に、 「いいこと書いてんなぁ」と自画自賛する程自分の文章を好きだなと 感じられることが嬉しかった。 投稿に至るもの、そうでないものがある。 書き溜めていた中には

『ひょん no 気』vol.6 気づきの使者

娘の保育園で新卒できた先生に話しかけてもらう。 おばさんは、これだけでまあまあテンションが上がるもんだ。 『お母さん、お話上手ですね。どうしたらそんなふうに上手くお話しできるようになりますか?』 え?お話上手とな?? そんなふうに感じてもらっていることにとても驚いた。 仕事という仕事は、接客業しかしてこなかったし、 現在では星読みやアートセラピーをしてるもんだから、常に喋ってはいるものの こんなにもどストレートに褒めてもらうことに驚いてしまった。 まして好きでしてい

1

『ひょん no 気』vol.7 水

水は感情を蓄えるとか、いないとか… 本当のことがどうなのかは知らないが、 あながち私の空耳も悪くはないなと思えた出来事だった。 祖父が死んだ。 亡くなった…と表現する方が柔らかだろうか… 人が死んだ姿をまじかに、何時間もの間共にするのは5人目だ。 そして、思い出も共に。 40歳を目前にして、死との対面から得る感覚は今までとは違ったものだった。 初めて人の死を見た時、人間は肉体という箱に入っているのだと感じた。 死は、ただ肉体を空にするのだと。あっけないなとも感じた

『ひょん no 気』vol.5 癒しは…一歩踏み込み過ぎれば…

『癒し』を必要とする人は増えているのか… 子供にも癒しが必要という言葉がちらつくということは現代、 この癒しを欲している状況はかなりやばいんじゃないかとも思う。 自分自身、星よみやアートセラピーなるものを生業にしているわけだから 他者を『癒し』たいのだろうと思われがちだ。 が いつ誰がそんなことを言った。 ということに出くわす。 私、渡邊梓がやりたいことは『癒す』にあらず。です。 私がやりたいことは、一歩踏み込みたい、踏み出したい、いっちょ自分の人生後悔なく終えた

もっとみる

星詠み〜ヘリオセントリック〜への想い

私がセッションでお話しする術は、星詠み〜ヘリオセントリック〜です。 この地球に誕生した際のそれぞれが持ち合わせた星の配置。 太陽を中心とした天体配置図から読みときます。 変化しつずける自分自身と、核なる自分とを感じながら世界へダイブする感覚を味わっていただきたい。 常に、自分自身へ【YES‼︎】していけるように。

ポジションのポテンシャル

バスケを少々ではありますがかじっていましたので、井上氏と冨樫氏の対談などもYouTubeにて楽しませていただいております。対談中にあった私自身が「はっ!」とした瞬間の内容から…星詠みの考察へ。 『PGはスピードが早くて、パスできて、判断力があればいい。』ではない。 シュートも打てる。何なら3Pもミドルも切り込むこともできる。 ディフェンス崩していけるボディーバランスに長け、ミスマッチですらかわしてくる 技術とセンスに溢れていたとしたら… その選手のいわゆる『選択肢』が多

子供への星詠みを経て…

ヘリオセントリックの星詠みを提供するようになり、 ご家族まるっと星詠みをする機会をいただいている。 お子さんに関して、親としてできることはやってあげたいと思うのは自然なことだと思う。 どこからか『これがイイ!』と言われたり耳にしたりすれば、取り入れたくなるし… 情報過多になり過ぎて身動き取れないなんてことはないだろうか? 自分の感覚や価値観、経験では対処しきれないこと、どこか違和感があることもあったりしたら不安も付きまとうからなおさらだ。 兄弟児がいれば、それぞれの個性に

2

星からのメッセージには愛が詰まっている

ヘリオセントリックの星詠みはとてもシンプルだ。 【惑星×惑星×角度】それしか盤面には記載がない。 そこから、星の解釈者たちはどのような言葉を紡ぐのだろう。 映画の翻訳者が変われば言葉のニュアンスが変わるのと一緒で、 星の詠み方も作り出す空気感も千差万別。自分にとって必要なものを必要なだけ迎え入れればいい。 自分の質に合ったものを選択すればいい。すべての選択権は自分にしかないのだから。 紐解かれる【自分】は、1つ。 でも、【自分】はとてつもなく立体的で複雑なのだから、

1

相性がいいかどうか…

気になるワードだよね。 私も、ヘリオセントリック占星術を学び始めてから自分と夫の盤面とを見比べることもしましたよ。 いまでも、あぁじゃ・こうじゃ 言ってます。 でも、そこで自分自身が見たものは 『相性がいいかどうか』という視点ではありませんでした。 星詠みを提供するようになり 『相性はいいですか?悪いですか?』 と 聞かれる。 『いい相性・悪い相性という返答はできません。』 と 私は答える。  そこには私なりの想いがあります。 出会い、惹かれあっているのだ。誰にも

6
もっとみる

子ども と 私

キラキラした私生活を表現したいんじゃない。 良いことも、感動することも、腹たつことも…全てまるっと記録しておきたい。 特別なことなど何もないし、教養や学があるわけでもない。 でも読んでくれたアナタの視野が広がったり、息抜きできる瞬間ができたなら 私はべらぼうにHAPPYだ。

ポジションしくった事件

2017年生まれの女の子を持つ、1983年生まれの母です。 『お母さん』という視点は、料理教室森田 お母さんClassの受講が基盤になっております。 ※気になる方はぜひ、料理教室森田の扉をknock! 今回、自分のポジショニングをシックった!と感じることがありましたので綴ろうと思います。 星読みとkanaiプレートアートを提供するようになり、また同時に仲間も増え、 ありがたいことにいろんな場面に呼んでいただいている。 オンラインでの集まりが夜に開催されることもしばしば。

2

子供 と 私 〜4歳って…〜

私は1983年生まれ、2017年生まれの女児を子育て中でございます。 娘は2022年に4歳になり、5歳までがあと半年と目前ではありますが… 娘が4歳になって驚いたことが多くある。 正直、こんなにも変化が現れるとおもていなかった。 感覚的にはレベル上げてきた!上がった!って感じです。 そんな彼女を目の当たりにし、自分のいろんな感情を振り返って見て、言葉を当てはめてみて想うことは 『何歳であろうが子供は全てをわかっている』ということ。 娘の反応はとても穏やかであった。 叱

6

子ども と 私 〜お料理編〜

2021年12月現在。娘 4歳。私 38歳。 保育園で大流行り。「お母さんごっこ」。 たまに、家でもしますが… 「お母さんは、お母さんな。」 「私、子どもやるけん!」 ????????? いつも通りやないか! 配役する意味ないやないか!!! 笑って、そらそうやなみたいな顔をするカワイイ娘です。 さて、ここから私になかなかのミッションがやってくる訳です。 「お母さんごっこ」がそこで終わらないのが、我家の娘。 リアルでの感覚を得たいというのが始まります。 ▶︎お母

1

子供と私 〜気づいた時につらつらと〜 

娘は現在、4歳。1歳から保育園へ通っている。 私は、1歳から預けるというのに少なからず抵抗があった。 その抵抗は、自分自身の生い立ちとも関連するものではないだろか。 自分と比べる、周りからの声や視線が気になるとかね。 でも!私は、仕事再開せねばならんかったのです。 保険も適用し、育休いただいてましたのでね。 さて、ここで保育園探しに奮闘するわけです。 英会話や、鼓笛隊がある保育園もある。 カフェのような給食室がある保育園もある。 制服が可愛いところだってある。 どれが

7
もっとみる