『Blanc, Black, Boy』(2300字, ショートショート, W003, 20/2/16版)

 玄関で立ち尽くしていた。
 たいして広くない玄関ホールに、手提げ袋やら買い物袋やらレジ袋やらが無秩序な陣形を組み、侵攻を阻むように並んでいたから。
 ボクは仕方なくカーキのダッフルコートを時間をかけてゆっくり脱いで、そしてため息をつき、小さく「ただいま」と言った。
「……おかえりなさい。学校どうだった?」
「別に……これは何?」
 とりあえず話題をそらすため、視線を落として玄関の惨状について言及した。
「今日は二月十四日ですけど」
「いや、まずはここを片付けてよ……かあさん」
 ハイハイと言いながら足でモノをどかしながら僕の前に立ちはだかった。
 家に入って着替えるためには、どうしてもこの『ボス』を倒していかなくてはいけないようだ。
 Vネックの、丈の短い白いニットワンピース――防御力がありそうにはとても見えないが問題はもちろんそこじゃない。
 そんなこちらの考えなどお見通しなのか、彼女は不敵な笑みを浮かべる。ボクの左肩越しに右腕を伸ばし、玄関の鍵を閉めようとした。
 左上腕から肩、学ラン越しに柔らかな感触が伝わってくる。彼女の左手はボクの右肩をがっしりと掴んで逃げられない。
「今日もおとうさん遅いから」
 耳元で彼女はささやく。
「ユウタくんならチョコ持って帰ってきてくれると思ってたんだけどな~負け組かぁ」
 脈が自覚ができるほど速く打っている。とにかく何かしゃべらなくてはいけない。
 頭のなかで、自分以外の言葉をなんとか探して思いついた格言――
「『敗軍の将、勇を語らず』」
「……ユウタくんがなんか難しいこと言ってる~!」
 可笑しそうにケタケタ笑う。その隙をついて身体を離すことはできた。
「おかあさんだって戦ってきたのよ、バーゲンという名の戦争を。
 ――で、これは戦利品」
「……」
「大丈夫、おかあさんが用意してるよチョコレート……ほら、おいで」
 そう言って彼女は足で道を作りながら、居間のほうへ手招きをした。

 そこにはテレビもテーブルもなく、ただ白くて大きなソファーが鎮座していた。
 その背もたれには無造作に黒のブラジャーが放ってある。
「家でもブラジャーくらい着けてなよ」
 といちおうは注意してみたが「戦いから帰ったら戦士でも鎧くらい外すでしょ」と取り合う気はない。
 その下の座面には片手を広げたサイズほどの透明な袋。中には一口サイズのトリュフチョコラが二つ入っていた。
「なんか、手作りみたいなんだけどね?
 二つってことは、一緒に食べようって意味だよね?」
 ずいぶんと意味ありげな言い回しをする。そして ボクの言葉を待つことなく「Happy Valentine」のシールを破り中身を取り出してチョコを唇でくわえた。
 そのままもったいぶって待っている。得意げに赤いルージュが微笑む。
 何を言いたいのかは、分かっている。彼女の手から袋を取り、入っていたもう一つのチョコレートを口にくわえた。
 二人で同時にチョコを口のなかに入れた。前歯で割るとカリッと音を立て、中から液体が溢れ出し、あたたかな感触が舌の上に広がる。
「ちょ…これ、お酒じゃない! なんでこんな、誰に――」
 困惑する彼女のクチをクチビルで押さえこんで、ボクのクチのブランデーを彼女のクチに流し込んだ。
「……センセーからお酒止められてるんだっけ? ごめんね、お酒入り作っちゃった」
 私は笑っていた。だってこの人が自分でチョコなんて用意するわけがないんだもの。

 お酒のおかげか彼女はすでに力尽きて眠ってしまった。ソファーで身じろぎ一つしない。
 これなら私の思った通り出かけることができそう。
 無造作に投げ捨てられた学ランと白シャツの上にあったグレーのボクサーパンツを見つけて、私はとりあえずそれだけを履いた。
 床に置かれた通学用のくすんだ青いカバンを持って、窓辺に向かった。
 暗幕のように重たい遮光カーテンを力いっぱいに開くと、二重ガラスの窓が姿見となって、ありのまま私を写しだす。
 ――細い足首、少し貧相なふくらはぎ、右ひざの上のほくろ、左の太腿の内側に少し赤い跡――
 カバンから黒いタイツを取り出して、それらを全てを覆いつくした。
 まだ隠れていない、あの人に似た白い肌とまだ似ていない胸のふくらみ。
 窓にこびりついた汚れと背もたれにかかったブラジャーが目についた。
「ちょっとそれ借りてくね、『おかあさん』」
 学校指定の紺のブレザーとスカートに着替えて窓の写りこみで立ち姿を確認した後、ソファーのクッションと台座の間に慎重に手を突っ込む。
 人の重みのせいで少し探しにくかったが、隙間のコンドームを二つ見つけ出すとそれを手持ちのカバンに放り込む。
 ついでに戦利品とやらも漁っていこうか。趣味は違うけれど、体型は一緒だし。
 玄関にあったデパートの大きな買い物袋を探すと、ほどなく白いチェスターコートを見つけた。襟にファーが付いたフェミニンなデザインだけど、構わない。シューズラックの引き出しあったハサミを使って、コートのタグを切り離した。
 ハサミを引き出しに戻す時、そこに散らばるメモ帳やらチラシやらを押しのけて、その下に隠された白い長方形の箱を取り出す。
 両手のひらで収まる小さなケース。表面左上のシールには「Dear Yuita」の文字。
「ユウタじゃなくてユイタだから……じゃ、私も戦に赴いてくるわ」
 だれの返事を待つでもなくそうつぶやくと、私は扉を開け、勢いよくローファーを蹴り上げて外へ出た。
 昏く鈍い色の空から降り落ちてきたのは、君の待つ白い雪。

20200213 W003 バレンタインデーにチョコレートをもらえなかった男の子(?)の話(Pattern B)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?