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3年目のフロンティアファーマーズに寄せて

郡山市の園芸畜産振興課さんから話をいただき、個性あふれる郡山市の農家さんたちを取り上げる「フロンティアファーマーズ」の記事を担当するようになって、今年度で3年目に入ります。

ライターとして、ふだんはほとんど語られることのない、でも人々の毎日を人知れず支えている、そんな誰かのストーリーこそ拾い上げていくべきだと常々思っています。そういう意味で、これはライター冥利に尽きる仕事です。

この企画の一つのゴールは彼らの生産物の販売や消費の促進にありますが、願わくはそれに終始するのではなく、郡山そのものを「知る」という観点からも一定の成果につながっていれば、なおうれしく思います。

郡山の農業の発展は、とかく安積疏水開削との関係性のもとで語られます。事実その通りだと思いますし、その存在が農業ばかりか工業都市、商業都市としての郡山の発展にも貢献し、日本一の鯉養殖にもつながったわけですから、その貢献度は計り知れません。

一方、フロンティアファーマーズの取材では、時の流れにかき消され今では語られることもなくなった事実に触れ驚くことも多々ありました。たとえば、石川町の母畑ダムからの農業用水が須賀川を経て郡山まで延び、「東の安積疏水」ともいうべき役割を果たしていること。その用水路が守山や田村地域の果樹栽培に長く貢献してきたこと。三穂田町周辺の果樹栽培のルーツの一つが戦時中に長野から疎開してきた人々にあること。昭和の減反政策のあおりを受け多くの農家がコメから他の作物の生産に「賭け」とも言えるチャレンジをしていたこと。そして震災、原発事故後の苦しみ。どれもが、家の歴史にとどめておくにはあまりに惜しいドラマチックなストーリーに僕には映ります。

生産者のみなさんはおしなべて多くを語ろうとしません。おそらくそのぶんの多くを作物に向けて語り掛けているのでしょう。ならば、自分がその声の代わりとなり、自分の持っているわずかばかりの能力を使って、そのドラマの一つひとつにどうにかして光を当てたい。そんな想いで取材へと足を運んでいます。

そもそも僕自身も母方が農家の家系です。母方の曽祖父は今の八山田一帯を一代で拓き、「開墾のじっち」と呼ばれ知られていたといいます。僕の実家は農家ではありませんが、祖母は家で食べる野菜をすべて自給自足で食べさせてくれましたし、もちろんそれなりに手伝いもしました。いや、させられました。そんなDNAが自分の中で疼くのを、フロンティアファーマーズの取材のたびに感じるのです。

2年間で取材した農家さんは17軒。その一つひとつを思い返して、あらためて思います。いま、郡山の農業はおもしろい。ベテランの安定感、若手のチャレンジ精神、新規就農者の意欲。どのくじを引いても当たりが出るぐらいに、みんなが濃い物語を持ち、それを生産物でしっかりと表現されています。

今年もすでに一軒の取材が終わり、このあともいくつもの出会いがあると思います。そのたびに感じるであろう震えるような感動や発見を、少しでもリアルに伝えられるように。3年目も「までに」やらせていただきます。

たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役