春の日の話。
例年なら、もう「暑い」だの「もはや夏」だの、そんなことを言っていたような気がしている。4月も、もう半ばになる頃だ。今年は、寒い春でありながらも、桜はしっかりと咲いた。窓から見る景色だったとしても、それは少し救いの種になったのではないだろうか。
春になると聴きたくなる曲がある。
GIRL FRIEND/BaseBallBear
朝、ふと思い立って聴いてみた。やっぱり春のにおいがした。
と、同時に学生のころのことを少し思い出したりもした。
中学生の頃、もはや世界のすべてだったといってもいいほど、私はこのバンドに夢中だった。(もちろんそれはいまも変わらない。)のちに音楽に引き込まれて行く理由にもなった。
10代の頃の、あの、今ここが全て!のような感覚。あれは一体なんなのだろうか。きっと毎日一生懸命、自分からも周りからも、何からも逃げずに生きていた証拠なのだろうな。そして、記憶が増えたことにより、「思い出す」作業が可能になった。脳内に保管されているメモリから、欲しい情報を引き出せるようになった。それによって欲しい気持ちも、綺麗に補完された思い出も、過去から得ることができてしまう。知っている感情が増えて、何もかもが上書き保存であり、新鮮味のない日々になってしまったのか。
「一瞬こそが美しい。」10代はまさにそんな日々だった。何気ない毎日が煌めいていた。社会人になり、忙殺されるような毎日に、ご飯が美味しくないこともあれば、起き上がれない朝もあった。感情を殺すことを徐々に覚えて、いまではもう自分の意見や、感情は必要以上に持たないようにと思っている。そうすると不思議と生きることは楽になったが、その代わり、「楽しい」や「嬉しい」などといった感情も一緒に薄れて行く。自分が傷つくことも、相手を傷つけることも恐れずにいた頃のほうが、もしかしたらよかったのかもしれない。
でも、感情を解放したいときは、歌を歌う。ライブにいく。物語を書く。そうすると、素直になれる。楽しいと思える。嬉しいといえる。悲しいといえる。つらいんだと叫べる。音楽の前では自分を偽らなくていい。
戻れない時間を追うように、ふと思い出した顔に笑いかけるように、夜道で泣いたあの日のように。感情を取り戻すことができる。
一緒に歩いた君はもういないけど、その瞬間があったから今、歩けている。
春は何度もめぐる。必死にその面影を追いかけたあの日を、いまでもまだ覚えている。
春は何度もめぐる。たとえ、二度と会うことはなくても、いまも同じ時間の上に生きる。
あの日の自分からすれば、今日吸う空気はきっとなによりも新しく、触れたかったなにかなのかもしれない。
そう思った、とある春の日の話。
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