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「儚さ」 格闘技選手である時間は誰もが短い

ここ最近は格闘技プロレス問わず客入りが好調な話を聞くことは珍しく、とりあえずなんとか形になった話を聞くことが多く、券売に関してはなかなか厳しい状況が続いているのではないかと肌感覚で感じています。RIZIN調布大会も札止めとはならなかったし、K-1の代々木大会も今一歩だったようにお見受けしました。

その中でも女子プロレス団体「スターダム」が元気で客入りがどの大会も好調だと聞こえてきて、実際に映像や写真で見える客入りや発表観客数を見ても勢いを感じます。4月29日の大田区大会は主催者発表で2017人、その後の名古屋大会も700人超えで観客が入っているのを見ると「元気だ」と感じます。名古屋は皇治さんがうっかり敗戦してしまったHEAT名古屋大会よりも客入りがよくお見受けしたので勢いがあります。プロレス(女子プロレス)はゲート収入よりもグッズ収入が柱になっているなんて話も実しやかに聞こえてくるので客数から見える収入以上に実際は潤っているのではないでしょうか。

何故勢いがあるのかを多くの人と意見交換をさせてもらって、皆それなりに納得させる理屈を持っているのですが、先日鹿児島で上野勇希さんとお話させてもらったときに「儚さ」を軸に話してくれて膝を打ちました。女子プロレスは男子に比べて活躍できる期間が短いので、限られた期間の中で燃焼しようとする結果として火力が強くなります。よって刹那的で儚さが出るのは確かに納得です。試合内容も激しく、自己表現も強いものが仕上がっているように感じます。

女子プロレスのキャリアとか構造はちょっと前の週刊プロレスの「拳王コラム」がそびえ立っているので(的を射てるかどうかの個人の意見は控えます)、お控えさせていただくとして、モノを創る上で「儚さ」は大切だなと感じました。この視点がないとたとえ良いモノだとしても(良いモノは実はたくさんある)消費の早い世の中に流れていってしまうように感じたのです。

儚さを格闘技で表現できているか。儚さを提案提示してから見てもらえているのか。儚さを表現はできていたとしても提案提示することはできていなかったと最近の自分自身の表現を省みて思います。格闘技も限られた時間の中でのものだし、選手のベストパフォーマンスが維持できるのは1−2年くらいなのですが、未来永劫に渡って続くと客に錯覚させて見させてしまう創り手側の問題でもあると僕は思うのです。

同じものだとしても明日なくなってしまうと思うと急に美しく見えることはあるでしょう。那須川天心はキックボクサーとしての期限を打ち出したことで観る側に緊張感が生まれて美しさが増した要素があると思うし、三島由紀夫の「金閣寺」で金閣寺を燃やしてしまったのも永遠でないからこその美しさを表現してです。

格闘技選手の1試合は今ここにしかない1試合です。
同じものは二度再現できません。同じ演劇でも日によって違うように間や呼吸が変われば同じ組み合わせでも違うものが出来上がります。同じものは二度とないのです。その上、限られた期間にしかその選手のパフォーマンスは維持できません。だからこそ今を大事に見てほしいし、推せるときに推せだし、今が一番早いのです。同じものは一つとしてありません。

観光地だって10年後に行って同じものはありません。行き先に悩んだら10年後にどちらが変わっているかで変わってしまうほうを選べばいい基準を自分の中で持っているくらいです。先進国は5年後に大きくは変わっていない可能性が高いけれど(何があるかはわからない)、発展途上国は数年でガラリと変化する可能性が高いので、悩んだら今しか見られないものをの基準を持つようにしています。まあそれはそれとして。

永遠に続くように思ったとしても永遠に続くものはありません。人が必ず死ぬように人は必ず衰えます。目の前にある強さや美しさは儚いものです。僕も必ず朽ち果てていきます。僕の日々の積み重ねはできれば美しく朽ち果てていきたいと日々抗っているのかもしれません。

39歳の今、手元にあるそれなりに維持された肉体とそれを発揮させてくれる自由な環境があります。勝ち取ったのか、死守したのかはわからないけれど、とりあえず手元には残っています。自分でもいつまで続くのかは分かりません。当然、少しでも長く続けられるようにと最大限の努力はしても、いつどうなるかはわからないものです。だからこそ今を懸命にやるし、いつまでもあるものだと思わないでやっていきます。

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