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エドアルドフォラヤンと青木真也。37歳のおじさんの物語。じゃれあい。

2016年11月のONEシンガポール大会でエドアルドフォラヤンと初対戦。

エドアルドフォラヤンが勝利して初戴冠。
そこから彼はONEを、アジアを、フィリピンを代表する選手として、急成長するONEを牽引して行った。チームラカイの大躍進。一時は4階級のONEベルトをラカイ勢が独占。ラカイの象徴的存在であるフォラヤンの存在は外部にも内部にも影響を与えていた。何よりも彼の人間性の良さがONEのポリシーに合い、人々に勇気を与え支持されていった。

僕は彼に負けたときは底だったし、負けてからも底を味わった。
初の連敗も経験したし、2年半勝利から遠ざかっていたし、もうここまでかと何度も思った。実際に終わったと言われることもあった。プライベートでも家庭を壊して、一人で生きることになった。仲間もいなかった。それは僕が未熟で突っ張っていたからだ。自らが原因だとしても目の前に起こった状況に絶望した。

そういえば初対戦後の翌日にフォラヤンは僕に子供が産まれることを教えてくれた。彼は今は家族も増え、父としての責任と強い父であろうとしている。僕はといえば、ご存知の通りで好きなことをやって好きに生きている。なんだかフィラヤンの子供にも会ってみたい。親戚のおじさんのような気持ちだ。

2018年の5月18日に2年半ぶりの勝利。僕の人生が上向き始める。
前の試合はフォラヤンで入場ゲートで拳を合わせて力を貰ったのを覚えている。力になった。

フォラヤンは前年にフィリピンで王座を失った。僕と同時に再起するタイミングだった。考えてみたら彼もフィリピン大会を背負って、フィリピンの大観衆の前でノックアウト負けで王座を開け渡したりと苦労をしている。彼は責任感がある人だから、イベントを成立させる意識が見て取れて僕は同じ時期にONEを一緒に作ってきた同志のような感覚がある。

僕とフォラヤンが再び交わるのは2019年3月31日。
ONEの旗揚げ大会のメインを務めて、ここまでONEを創ってきた王者エドアルドフォラヤンと僕の試合がONEが日本初進出のビックマッチのメインを務める。デメトリアスジョンソン、エディアルバレス、アウンラウサン、アンジェラリーを押しのけてメインを務めさせてもらったのだから凄さが伝わるだろう。

僕はフォラヤンに辿り着くために勝ちを積み重ねてきたし、彼も同じくベルトを奪還して僕の目標として僕の前に立っている。互いに賭けてやってきた。

試合をできたこともメインを務めたことも名誉なことで、僕は誇りに思っている。僕だけの誇りではなく僕とエドアルドフォラヤンでの誇りだ。あのメンバーで僕たちがメインを務めたのは何年経っても言えるし、時が経てば経つほど誇れるはずだ。

試合終了後の控え室でフォラヤンは僕に「おめでとう。今度教えてね」と言ってくれた。僕は毎回、彼の人間の器に圧倒されている。このときはお互いに1勝1敗でもうやることもないと思っていたのだが、また何年後かにやろう!と思ってもいない約束をしていた気がする。

この試合を境にフォラヤンはコンディションを崩していく。4戦して1勝3敗と厳しい結果だが、すべての試合がフィリピンでのビックマッチやONE再開のビックマッチと責任のある仕事を任されているから、彼の大変さは同じような仕事をしてきて、責任がわかる人間として痛みを感じて見ていた。

2回目のフォラヤンとの1ヶ月後にフォラヤンは修斗のセコンドで後楽園に来ている。僕がクリスチャンリーと試合をする前だったので、リング上の挨拶をフォラヤンもゲストで上がってくれる話になった。

ONEのスタッフは僕にベルトを肩に掛けてとの注文だったのだが、僕はそれはお断りした。フォラヤンから引き継いだベルトを彼の前で掛ける。そんな下品なことは僕はできない。ONEの日本人スタッフは退かなかったので僕はベルトを掛けずに上がった。それが僕の彼に対する気持ちだから。

そのときも彼は日本のファンと僕に健闘を祈るメッセージをくれた。人が良い。彼を見るといつもそう感じる。

2021年4月。

セージノースカット欠場、秋山成勲欠場。
コロナ禍で手駒も策もなく困り果てたであろうONEから、エドアルドフォラヤンとの試合をオファーされる。これは以下の記事で書いたように北野雄司は断ってもいいニュアンスだったのだが、僕は「やる」と押し切った。仕事であり、責任感を持ってやっているからだ。それはエドアルドフォラヤンも同じだと思う。彼もまた仕事に責任感を持って利己だけでなく、全体を見て闘う人だ。

3度目の試合が決定する。5年間のうちに3試合。
過去2試合はメインイベントだったけど、今回はアンダーカード。フォラヤンはインタビューで「直近の自分の戦績が悪いからメインカードに入れずシンヤに申しわけない」とコメントしていて、頭が良くて弁えてる人だと思った。

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ただエドアルドフォラヤンが諦めないファイターであることも、闘志を持っていることも僕は知っているから、彼の人間性から出る言葉とは真逆の試合での気持ちの強さを僕は知っているから、殺す覚悟死ぬ覚悟もしている。エドアルドフォラヤンは殺す気でやらないと大変な目に遭う。過去二戦で身をもって学習している。ゲームではなく闘いだ。

僕はこのタイミングで再び交わることに運命的なものを感じていた。
互いにキャリア終盤。「終わり」を意識するだろう。この5年間で色々なことがあった。嬉しいことも楽しいことも辛いことも。それでも互いに懸命にやってきたからケージの中で再開できる。お互いに頑張ってきたからこそまた再会できる。格闘技だって人生だって同じことだ。頑張っていれば必ず再会できると思っている。

試合開始前のフォラヤンの身体を見て、仕上げてきてくれたと思った。
顔の肉は年で痩せこけるけれど、身体の仕上がりは申し分ない。顔が老けるのは仕方がない。だって37歳だから。前戦とは明らかに違うと思ったし、青木真也に対する尊敬だと受けとった。

今日も厳しい試合になるぞ。強く思った。

最後まで目が死ななかった。グランドで手応えのある肘があっても折れてこなかった。最後まで僕は殺しにいった。非情だと言われようが、それが格闘技。親だろうと友人だろうと試合であれば勝つために徹する。これがファイターであり、勝負師だ。

試合終了後にケージ内で軽く言葉を交わした。僕は彼にこう伝えた。

「ワンモア」

彼は戯けて僕を指差す。僕も戯けて見せる。

日本で言えば「もう1回」「もう一丁」だ。
でもこれを額面通りとらないでほしいんだ。これはエールだ。お互いにまた会えるように頑張ろう。ここで終わりなんて寂しい事言うなよと。おれたちはまだまだ闘って行かなくちゃいけない。

37歳のおじさん2人。一人は家庭を大事にして、すばらしい人間性を持って生きるフィリピン格闘技の象徴。もう片方は好きなことをして、好きなことに救われて生きている青木真也。全く違う二人に共通するのは懸命に必死生きているだけ。そこだけで通じることができている。

また一生懸命生きていこうよ。コツコツと生きていこうよ。
そうすればまた絶対に会えるさ。エドアルドフォラヤン。僕の人生を変えてくれた人で僕にたくさんの学びをくれた人。大好きだし、友人だと思っています。また会おう。

早くコロナが収束して、フィリピンに行けるといいな。メシ奢れよ。

おれたちはファミリーだ。

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