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ヤマときどき下山の巻 支えられて青木真也ができています

試合前後の公私に渡るゴタゴタ劇の代償はそれなりに大きく関係各所にご迷惑をおかけしておりました(おります。今なお継続中)。仕事の滞りや不備がないことだけが格闘技選手を生業にする者としての矜持でありまして、プロ格闘技選手としてなんとか踏み止まっていられるのも仕事に穴をあけないからだと思っています。まあ割としんどいんですけどね。身体とメンタルは直結しますし。

試合前に色々とあってヤマに直行。試合のときに下山してきたような状態だったのですが、試合後にも見事にヤマに舞い戻りと人生はよくできているなと身を以て感じております。流石にそれを今言わなくてもいいことってあると思うんですが、それを言っても始まらないしで仕方なく前に進んでいこうと思う所存であります。

それでも10月5日の「表現」は納得のいくものだったし、青木真也が青木真也でいられる及第点のようなものだったと思っていて、失ったものは数知れずあるのだけど、失ったものは「表現」の「燃料」であって青木真也をやるのは簡単じゃないと改めて思いました。

自分の名前で生きていくのは誰もが憧れる華やかで格好いい生き方だけれども、その生き方の裏側にはその数倍の怒りや悲しみや苦悩があります。何者かとして生きるのも楽じゃないよなとおじさんは同世代のおじさんと馴れ合います。問題の解決や改善に至らないのは今までの経験から重々承知ではありますが、それでも悩みを晒しあって、それなりに解決した気になって前に向かってきました。ホモソーシャル万歳。三浦青木鬼澤で並べばなんとかなった気がするのです。(何も解決していないです)

いつも落ち込むのは分かり合えなかったり、分かってもらえなかったときです。それなりに生きてきて人は分かり合えないと知っているつもりです。それでも人に希望や期待を持ちたいし、信じたいところがあって思い返すと自分の人生はそんな失敗が多いなあと思います。

ヤマに行くと皆が助けて支えてくれます。
会いにきてくれたり、時間を作ってくれたり、メッセージをくれたり、元気が出るから聴いてと音楽を送ってきてくれたり、様々な助けと支えをくれて感謝しています。それなりに引っ掛かることはまだあるのだけれども、それでも青木真也の本業は何かと言われたら、青木真也の可能性を使い切ることであって青木真也の物語を完成させることです。

そう考えると残された時間がないのです。
今のパフォーマンスをどこまで維持できるのか。明日にもダメかもしれない。
いつまでパフォーマンスを維持できるのかなんて保証はどこにもありません。
秋山に関わっている時間も他のことに割いている時間もないことに気がつきます。そう考えると青木真也を完成させるためにも目の前にあることを必死でやっていかねばと切に思います。

40歳までは今のままで格闘技に取り組みたいとは思っています。
そう考えると3試合で多くても4試合が現実的なところであって、その試合を価値あるものにするために思考していかねばと思うのです。無駄打ちはできない。ここでもう一段自分の作るものをあげていけば新しい景色が見えるだろうと思っています。

好きで続けてきた格闘技。自分が憧れたプロのレスラー像を体現しようと創り上げた青木真也。その意味では青木真也は偶像です。もちろん僕は青木真也は好きでかっこいいと思っているのだけれど、そんな青木真也を好きでいてくれて応援してくれる人の数と熱量にびっくりしています。頑張らなければいけないなと思うし、青木真也業を爆進せねばいけないと思いました。

人間って不完全なものなんですよ。完璧な人はいない。
僕が表現したいのは『人間らしさ』です。人は強く弱い。堕ちるほどには弱く、墜ち抜くほど強くはない。だからこそ生きるってのは辛く苦しいものだけれど、それでも僕は生きていこうと思うし生きろと発し続けたいです。そんなわけで今目の前にあることを懸命に頑張っていきます。

最後に坂口安吾『堕落論』からこんな言葉を。

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