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試合3週間前。青木真也を見てほしい。肩書きの前に青木真也だから。

試合3週間前。この時期は心身共に追い込まれてくる時期です。

1週間を通じて、コンディションがいいなどということはなく、日々練習の出来に一喜一憂しています。その日の出来が良くても、翌日の朝の疲労感が強く、気持ちがどんよりとしたりと日々をベストに持っていくのは難しいです。

先週が予定が詰まっていたので、今週からは余裕を持たせたスケジュールにしていっています。とはいっても昨日は朝7時から21時半に八王子でクラスが終わるまできっちり入っていたのですが、他の曜日は余裕を持たせたので体と心のバランスは保てるはずです。はず。

何年振りかに格闘技雑誌の表紙をいただきました。
格闘技雑誌の休刊、打撃競技の隆盛、私の競技戦績が振るわなかったなど、理由はたくさんあるのだけれども、久々の表紙はありがたく、照れ臭いものがあります。

僕を知っている人は僕がベルトをひけらかしたり、ベルトの撮影が苦手なのは知っていると思います。ただこの撮影は記者さんからの念押しと関係性があったので、快諾した撮影でした。ベルトって重いし、恥ずかしいじゃないですか。

僕には「青木真也を見てほしい」との思いがあります。
チャンピオンである前に青木真也だし、青木真也を大事にしてきました。これからもその姿勢は変わらないのです。強いから応援してるとか、チャンピオンだから応援してる層に対しては真っ向から向き合えないというか、真っ向から向き合う怖さを感じています。それは何かを失った時に真っ先になくなる関係だと思うから。

権威とか大きな何かにすがる要素はあるとは思うのだけれども、青木真也でいうと身軽で裸のままで、気楽に生きたい気持ちがあるのだと思います。大事なのは日々の生活であって、どれだけ日々を懸命に過ごせたかだと思っています。

勝とうが負けようがやることは変わらないのです。
海外からのインタビューで「劇的な復活を遂げた」的なコメントを頂いたのですが、その感覚自体が僕にはなかったし、僕はずっと調子が良かったし、成長していたと思っています。それは他人様が成績が出ていないことを見て、調子を評価して決めたものだと思うのです。

調子はどうですか?との質問はよくされるのですが、それは僕から見た調子であって、聞く側が選手の調子をどう思うかって話と選手が感じる感覚を一緒にしようとするのは違うよねと思っています。

日々を自分が成長するために懸命に生きているのだったら、それでいいと思います。そこに他人から見ての評価を必要以上に持ち込むことはないように思っています。もちろん客観性は大事だけれども、客観が主になっているケースが多いように感じるのです。

僕は過去の戦績以上に「必死にやってきた」ことを自分の誇りに思っているし、過去のこ成果自体にはそこまで興味がないです。大事なことをそこで学んだ経験だと思っています。実体験として学んでいる強さを僕自身が感じているし、宇野さんや北岡さんの話や、格闘技業界以外の先輩方の話を聞いてより感じます。

このツイートを何気なくしたら驚かれたのだけれども。

割と本気で言っています。
現金決済からキャッシュレスに進んでいます。モノとしてのお金を使わなくても、電子の中で数字でやりとりできます。1000円と言われても、1000円はスイカだったり、カードで数字が移動します。実際のお金のやり取りは少なくなってきているし、現金決済で前の人が詰まったりするとストレスを感じるようになっています。

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