島田将斗記者が勝負を挑んできた 試合をアンサーにできるように
取材で「勝負」してくる記者は絶滅危惧種となって、当たり障りのないインタビューとそれっぽい見出しで再生数を稼ぐのが当たり前になっています。それは取材を受ける側も取材をする側にも馴れ合いが生じて心地良さはあるとは思うのですが、それでは面白いものはできないので、取材とはインタビュアーとの「勝負」だと位置付けて僕はやっています。
選手の言葉を引き出すのは記者の腕であり、こちらは「引き出してどう料理してくれるんだ」と考えて、「易々といいところを取らせない」と思って取材を受けています。取材とは取材対象者と記者の勝負です。僕は原稿チェックで直さないのは記者の仕事に敬意と尊重があるからです。こちらが納得しない原稿を上げてきたら次からは取材を受けないだけです。お互いの信頼関係があるからこそ成り立つ勝負が僕は取材だと思っています。
選手がマスコミに舐められたら終わりで、その逆もまた然りです。お互いに真剣を突きつけあっての勝負だから面白いし良いものができるのです。記者と選手は互いに高め合う関係でもあるし、記者が選手を育てる側面もあれば選手が記者を育てる側面もあって、僕は互いに高め合える関係性の記者に対して常にアンテナを張っています。これは選手とマスコミだけでなく全ての関係性において「互いに高め合える」ことを大事にしています。
今のネットメディアは数字を稼ぐために読まれる記事を書かなければいけません。逆に言うと読まれなくても良いものを書くには読まれるものを書いて及第点を満たしておくのが大事です。それは僕らの飯を食う仕事(ライスワーク」とカネにはならんが好きな仕事の割合に似ているところです。その意味では良い創作をする産業化できていることが大事であって、ただ好きなものをやっているだけでは趣味であってプロの仕事ではないと思います。売れるものを創れるから売れないものを創れるのです。まあそれはそれとして。
エンカウントの島田将斗さんが今回の青木真也の試合に対して「島田将斗の考える青木真也」を書いてくれました。まずは自分の言葉で記名で書いてくれたことに敬意を表します。公で自分の名前で表明するのは勇気がいることです。島田将斗さんは勝負してきたなと思いました。この時点ですげえ記者です。
このインタビューを受けている際に僕から「島田将斗さんの考える青木真也を書いたらそれは僕との勝負ですよね」とお伝えしていました。勇気と覚悟のいることだから無理強いはしないけれど、島田将斗さんの成長度合いと勢いを見て感じているだけに期待はしていました。
今週に入ったタイミングで島田将斗さんの原稿が上がってきたのですが、読む前に嬉しかったです。彼が勝負を挑んできてくれたのが嬉しかったです。青木真也にブチ切れられて酷評されるのを覚悟して批評してきた気概を僕は歓迎するし尊敬します。文章が上手や下手とか読まれるとか読まれないの前に勝負をした人の「凄み」を感じます。それは勝負した人にしか出せないものです。僕が彼の記事に対してはありがとう以外の言葉はありません。凄味があります。
記事中で秋山戦の前に僕にインタビューして「違うんだよな」と突き放されたとのことで、僕は覚えてない上にいい歳して恥ずかしいことをしてるとは思うのですが、僕からすれば取材は勝負だから当たり前で今は皆が愛と関心がなくなっただけで僕は真っ当だと思っています。
彼とは少なからず育てて育てられる関係性を築けたと僕は思っていて、試合前にこうして助けてもらったことは感謝しています。彼が青木真也に引っ張られたと思っているかいないかはわかりませんが、僕は試合前にこうして記事で僕を引っ張ってくれたのはリングに踏み込む力になります。この野郎!って意地を見せたいです。ありがとうね。
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