見出し画像

【自己紹介】内気で不器用な私が空飛ぶCAになった話とこれからのこと。

はじめまして、金指愛理沙(@ay1219です。
「かなさしありさ」と読みます。

今回初めてちゃんとした自己紹介を書いてみました。がっつり過去を振り返っていたら、何度か「あぁ懐かしい・・・」と思い出に浸ってしまい全然進まないという事象が発生しました。
大掃除終わらないタイプです。笑
等身大の私が、読んでくださるみなさんに伝わるといいなと思います。
まず、私を表すワードをいくつか挙げてみました。私はほとんどこれらで構成されています。

ANA
転職
キャリアコンサルタント


ディズニー
旅行
映画

経歴は後ほどご紹介しますので、それ以外の部分でちょっと補足。

暇さえあればすぐ旅行に出かけます。
結婚してからは、国内旅行好きな旦那さんの影響もあって「国内も知らないところいっぱい!」と楽しみ方が分かってきたのですが、やっぱりメインは海外。
航空券と宿を取って好きなように巡るのが好きです。観光地を巡るのはもちろんですが、現地の方とのコミュニケーションを楽しみに出かけます。

2015年に結婚しました。
超が付くほど仲良しです。親友です。
月日が経てば経つほど増してくる家族感がたまらなく嬉しいです。
旦那さんとは大学生の頃から一緒にいたため、社会人になってからは周りからいつ結婚するの?と度々言われるようになり、反射的に「はは!いつだろうね!」とやや自虐的にかつ軽めに受け答えするようになっていました。
だんだん辛くなっていったので、周りは暖かく見守ることをおすすめします。笑

ではここからは私の経歴のご紹介です。
概要語ろうと思ったら、性格の変遷みたいになってしまいました。
「内気で不器用な私」を存分にお分かりいただける内容になっています。
が、お時間の無い方は飛ばして「CAになるまでとそれから」まで飛んでね。
--------------
神奈川生まれの千葉育ち
父方、母方の実家がそれぞれ九州と北海道のため、両親は真ん中の関東に住もうと決めたそうです。
5歳のときに神奈川から千葉に引越し、のどかなところでのびのび育ちました。

流行に疎い、本好き小学校時代
低学年の頃は超おとなしくて引っ込み思案。一歩引いて物事を見ているタイプでした。「学校」というコミュニティに入って、主張が強い子がいっぱいいたという記憶しかないくらいの衝撃でした。
2年生のときに転校してきたAちゃんはとても明るくすぐにみんなの輪の中心人物になっていったため、猛烈にその子に憧れた私はAちゃんに習って周りに合わせていく術を習得していきました。

中学年、高学年の頃にはお調子者でいたほうが過ごしやすいと割り切り明るめキャラでいたものの、ベースはやっぱり内気な私。
委員会を決めるときに迷わず図書委員を選ぶくらいには読書が好きで家でも学校でも本の虫でした。担任の先生には通知表のコメント欄に「みんなと外で遊ばないので心配です。」と書かれるくらい。
いいじゃん別に、と今なら言い返せるのですが、その頃は本が好きなのはだめなこと、みんなと遊ぶことが正解みたいな思考になって落ち込んでいました。

そんな感じで過ごしていたのでドラマや芸能人にも疎く、5年生の修学旅行の行きのバスで何の曲を流すかという議論になったときに初めてモー娘。やSPEEDを知りました。

勉強以外の充実感が自信になっていた中学校時代
中学校ではド文化系で内気な自分の殻を破ろうと、突然ソフトテニス部に入部しました。
しかし入部一ヶ月後、練習中に足を骨折し、そこから4ヶ月以上車椅子と松葉杖生活。体育や美術など体を使う授業はすべて教室で自習の毎日になり、入学早々寂しい思いをしました。他の科目だけでも頑張ろうと考え、県内一勉強ができる子の多い中学校にも関わらず奇跡的に定期テストで上位に入りました。

その後通常の生活に戻ってからは特に頑張るモチベーションも無く、勉強しなくなり成績はわかりやすくガタ落ち。勉強しないで好きなことをして好きなように過ごしている私素敵!みたいな時期を過ごしていました。

外面の良さは健在で友達も多く、転部した吹奏楽部での活動も充実していて、楽しさばかりの学生生活でした。そんなことをしていたので、県内の高校は滑り止めしか受からず、担任の先生に進められて受けた東京の女子高になんとか合格。

不器用さに拍車がかかり2人の自分を使い分けていた高校時代
私が通っていた高校は入学式の日に先生が「大学受験まであと3年しかありません。」と言ってくるような、いわゆる進学校でした。
夏休みには大学のオープンキャンパスに行きレポートを書くという宿題が出たのですが、上智大学にふらっと行ったところあまりにも素敵な雰囲気に雷に打たれたような衝撃が走り、一目ぼれしました。それまで勉強癖がまったくついていなかった私が、本気で勉強しようと思い立ちました。

部活も受験もどっちもうまくやれるタイプではないと自覚していたので、2年の秋頃部活を退部して、放課後は予備校に直行するという日々。
はっきり言って、一人でストイックに頑張るこの方法は私にとても合っていました。なんなら友達と遊んでいるよりもリラックスして好きなことに打ち込めている感覚でした。

でもそんな中でも私にとって大切なのは、「明るくて友達がたくさんいる自分」を守ること
学校では「勉強はこっそり頑張るけれど、学校ではそんなにやってないよ風の明るめキャラで通したい」という想いを必死に守っていました。
学校生活で青春を謳歌し、予備校で勉強するというふうに自分の中で明確に線を引いて過ごしていました。
なんという不器用さ。
そんなこんなで密かに努力を続け、その後第一志望になった早稲田に合格しました。

サークルにとことん浸かり、一歩引くスタンスから脱した大学生時代
晴れて大学生となった私は、テニサーに入り飲み会で楽しむと決め、同時に受験生の頃から入ることを決めていた学園祭運営スタッフにも入り、こっちでは活動のみに参加して遊びはやらないと決めました。
どんなカタブツなのよ。笑 

しかしそう決心したのもつかの間、運営スタッフにのめり込み3ヶ月もしないうちにテニサーは幽霊部員に。
高校までの人生、人になんとなく合わせて上手くやってきていたのですが、大学では初めて意見をぶつけ合ったり、お互いのこれまでの人生や考えに深く触れたりと、とまどいながらもそれがとても楽しく充実感を得られました。

それまでの私は「みんなと穏便に過ごすための距離感」みたいなものをすごく大切にしていたし、そんなに強く主張する必要があるトピックスでもなかったので、何の疑いもなく誰かの意見に乗っかっていました。
大学生になって色々な考え方の人に出会い、サークル内で一つの目標に向かって物事を決めていかないといけないという状況に直面したことで、一歩引いて見ていてはダメだと自分のスタンスを強制的に変えることになったのです。

小学生の頃から集団でいるときの自分と一人のときの自分というのを持っていて、それぞれがまったく違うエネルギーを必要とした私にとっては大変なことでした。
つい最近まで悩んでいましたが、今は社会と自分のバランスのとり方は人それぞれだなという考えになり楽になりました。丸3年間活動した後みんなと同じように就職活動を進めるも第一志望に落ち、就職留年を決め、5年生で卒業しました。
--------------

次に、これまでの仕事についてです。
CAになるまでとそれからのことを書こうと思います。
ということでここからが本題です。少々長めですがお付き合いください。
--------------
これまでの経歴
大学卒業後、ANAのCAとして国内外を丸3年飛び回る→航空業界従事者向け人材エージェントにてキャリアアドバイザー1年ちょっと→若手向け人材エージェントにてキャリアコンサルタントもうすぐ丸3年→現在に至ります。
一昨年、国家資格キャリアコンサルタント(CDA)を取得しました。

ANAに入るまで
大学3年生の冬、いよいよ就職活動の時期になり合同説明会に行ったり企業訪問したりと一通り活動するものの、CAになりたいという気持ちが強すぎたこともあり、他企業にまったく関心が向かず苦しみました。
なんでそんなになりたかったのかと聞かれることも多いのですが、根本はとにかく「憧れ」という気持ちでしかなかったです!

国内系フルサービスキャリアを第1志望にしていたのですが、その頃JALは大変な時期だったため募集はなく、実質ANA1本勝負でした。
最終面接までこぎつけたのですが、結果は不合格・・・。
なぜか受かると思い込んでいたので(笑)、私にはそうとう堪えました。
別の企業で働きながら中途採用で受けることもできたのですが、超不器用だという自覚もあり「身が入らなかったらどうしよう」と即却下。
不合格通知を受けたその日1日で気持ちを消化し、考えに考えて、来年も新卒で受けるために大学に1年残りたいと両親に話しました。

同級生の就職活動が落ち着いてきていた大学4年の春、次の年にまたチャレンジするらしいという噂はすぐに知れ渡りました。
バリキャリを目指す人が周りに多くおり、「わざわざCAのために留年するの?」と言ってくる人もいました。メンタル的にはきつかったです。笑

自分でやると決めたんだから不安になる暇がないくらい頑張ろうと気合いを入れ直しました。
CAスクールに通い、英語の勉強をし、航空会社の社員と同じ食堂を使うべく羽田空港でアルバイトも始め、1人でも多くのOGに話を聞くという1年を過ごしました。すでに社会人として働き始めている友人たちのSNSを見ながら落ち込むことも多々。毎日、早く働きたいと思っていました。

背水の陣で臨んだ2年目に内定をいただくことができ、念願のCAライフにまっしぐら・・・!

ANAに入ってから
いよいよ待ちに待った社会人1年目。本当に楽しかったです
サークルと同じくらいの熱量で仕事に向き合っていました。
素敵な同期に恵まれ、訓練もきつかったけれど楽しく終了。マニュアルを頭に叩き込み、自分で言うのもなんですが、人当たりの良さと場の空気の察知能力を盛大に発揮し、喜々として働いていました。
どれだけ女性の縦社会が厳しかろうが、怒られようがノーダメージでした。私の目はきらっきらしていたはず。

2年目になり、ミドル層として後輩と先輩の間に立つ役回りが多くなっていきました。
これまで自分がミスしないように、先輩方の足を引っ張らないように頑張れば良かったところから、後輩(同時に複数人)の動きを見ていく立場になり、これまでと一便一便の見方が変わっていきました。
誰かがミスをする→先輩の雷が落ちてくる→後輩が萎縮する→クルーの空気が悪くなる→お客様に伝わる・・・という状況を避けるべく、ありったけのエネルギーと気を遣い、OFFの日でも仕事のことばかり考える日々でした。
そうこうするうちに国際線の乗務も始まり、アメリカ路線の担当となり、月に一度は必ずアメリカ路線が入ってくるという生活になりました。
昼夜逆転生活のスタートです。

色々無理がたたり、3年目の後半には体調を崩しがちになり毎OFFどこかしらの病院にかかっているような状態に。「これ30代以降も続けられるのかな・・・?」という疑問がわいてきていました

CAの労働環境整備のような業務に携わりたいなと思い始め上司に相談してみたものの、15年CAとして飛ばないとなれないと言われ愕然としました。(今は制度が変わり、門戸が広くなってきたようです。)
しかも過去に200名以上が挑戦して、ようやく昨年1名採用されたと聞き、それに人生をかける勇気がありませんでした。

初めて自分のキャリアと向き合って、今後どういう生活をしていきたいのかどういう働き方をしたいのかを真剣に考えました。
元気に生活したいという想いも日に日に強くなり、転職に向けて動き出しました

1社目から2社目へ
初めて転職エージェントに行き面談を受けました。
ただいくら説明しても同年代くらいのキャリアアドバイザーに、「ああ、接客ね」というあしらわれ方をしてとても悔しくなったことを覚えています。一言で片付けられちゃうような単純な仕事じゃないんだけどなぁ・・・ともやもや。
そしてこれから先、この言葉によって私はどんどん追い込まれていくことになります
そして間違いなく、この体験が私のキャリアコンサルタントとしての候補者へ全力で向き合う姿勢を作ったのだと思います。

ANAでの体験から「心身ともに健康でなければ働くことはできない」という想いが湧き、漠然と困っている人のサポートができるような立場でありたいなと思っていました。
●●カウンセラーというワードをひたすら調べ、臨床心理士や産業医もいいなと迷走しましたが、私が人生をかけてやりたいのは「働く女性の味方になる」ということだと気付きました
女性ばかりの職場でしたし、体力的にも精神的にも非常にタフであることが求められる環境で、毎日なんだかんだとこぼしながらも頑張って働いているCAのみなさんを本当に尊敬していました。

だからこそ、気持ちを吐き出すことでエンジンがかかるなら聞き役になりたい、本当にもう続けられないと思ったときに一番に相談してほしいという想いから、具体的な解決策を提示できる存在になろうと考えキャリアアドバイザーを目指すことにしました。
私自身のキャリアについても考え、「ああ、接客ね」なんて言わせない!力を付けてやる!と息巻いていました

最終的に「やりたいこと」で選びました。
エージェントのことを信用しなくなっていた私は、友人に進められて転職相談に行った航空業界従事者向け人材エージェントに運命のようなものを感じ、ちょうどその企業が人の募集を始めたところだったため受けることを決め、他の企業はまったく見ずに入社を決意しました。

満を持して秘書兼キャリアアドバイザーとして仕事を始めたものの、1ヶ月に1-2件しか面談がなく、候補者も2人くらいしかもっていないので出社後30分経たずその日の仕事が終わり、ルンバの掃除や社長の領収書をノートに貼り付けるといった雑務ばかりやっていました。定時の18:30までがなんと長く感じることか・・・。

前職で崩しに崩した体調が回復してくると、「あれ、20代こんなかんじで終わって大丈夫?」と思い始めました。
体調を元に戻すにはとても良い環境だったので今思うと結果オーライなのですが、当時は給与をもっと上げたい、キャリアアドバイザーとして力をもっと付けねばという想いが強くなったので2度目の転職を決意しました。
2社目に入社してすぐ結婚生活も始まっていましたが、なんでもこいという気持ちでした。

2社目から3社目へ
まさか自分が2回も転職すると思っていなかったので衝撃的でした。
2回目の転職活動はエージェントを使って他者の意見も入れて決めようともがいた結果、運よく素敵なキャリアアドバイザーに出会い、自信を持って道を決められました。
キャリアアドバイザーとしてのスキルアップを目指しての転職だったので、受けたのは人材エージェントばかり。扱う領域や共に働く人、規模感が判断要素でした。
現職は、新しい柱として中途事業部の立ち上げをリクルート出身の事業部長とやっていくという内容だったため、おもしろそうだなと思ったのが決め手でした。人材業界の基礎を最初から学びながら事業を作っていくわくわく感と、事業部長から期待されているということ自体をやりがいとしていました。

ただ、1年半後にようやく自身のQ目標を達成するも、土日や平日夜の時間帯をすべて犠牲にする働き方だったため、今後の働き方に不安が生じてきたのです。
また同時に、事業部立ち上げから1年半、事業部長含め立ち上げ当初のメンバーが次々退職していきました。その後新体制で事業をやっていくも、事業を始めた当初に比べてメンバー数が2倍になったにも関わらず売り上げが上がらない状況の中、心身共に疲れ、11月頃から体調を崩してしまい12月から休職中です。
--------------

以上がこれまでの仕事の変遷です。
これからどうしようかな、と私自身もできるだけ自分の中の「こうでなければならない」を取っ払って考えてみました。
--------------
これからのこと
人材紹介会社のキャリアアドバイザーとして数字数字と頑張ってきたのですが、ちょうど良いタイミングで自分のキャリアを見つめ直す機会ができたため立ち止まって考えてみました。

・もっと個人のwillを全力で支援したい
・プライベートの時間を充実させたい


この2つが今の私にとって一番大切なことだなと感じています。

1つ目について、私の想いを書いておきたいと思います。
「働く女性の味方になりたい」という想いから出発している私のキャリアの変遷ですが、今は少し想いに変化が出てきました。「社会との関わり方を自信を持って自分で選び、それぞれがそれぞれの尺度で毎日を楽しく過ごせるような社会」にしていきたいと思っています。
このような考えに至るまでには、2つの大きなきっかけがありました。

突発的に発生した専業主婦期間
この休職期間中に専業主婦をやってみて、これまでとまったく違う角度で世の中を見ているということに気付きました。

元来内気な性格であることも相まって丁寧に日々の暮らしを送れることに幸せを感じているため、取り残されているという置いてきぼり感よりも、「共働きが当たり前」という社会の圧によって落ち込むことがあります。
私がやりたい目の前のことは価値が無いことなのかな…?と不安になるのです。

働く女性をサポートするために子供がいても働きやすい環境にしましょうという社会の動きが活発になってきていて、すばらしいなと思っています。
しかし、「共働きが普通で、専業主婦は肩身が狭い」と感じてしまうような社会にはしたくありません。

どんな立場の人でも誰かを見てうらやましく思ったり、自分が今頑張っている目の前のことに自信が持てなくなることも多いですが、自分が「やりたい」と強く思えることをやっていってほしいです。
それは社会に対してでも、目の前にいる家族に対してでも良いです。
これが私の実現していきたいことです。

▷「あぁ、接客ね」なんて二度と言わせない
これまで、「あぁ、接客ね」なんて二度と言われたくない!というなにくそ根性で頑張ってきました。市場で売れる強いキャリアにしないと・・・とたくさん悩んでつまづいてきました。

今もANAの同期はプロフェッショナルとして世界中を飛び回っています。本当に尊敬しています。
でも、私は続けることができませんでした。みんなはできるのになんで私はできないんだろう、なんで今いる場所で頑張れないんだろうと落ち込みもしました。
もしあの時、周りに私のことを肯定してくれる人がいればもっと早く決断ができただろうし、早く目的地に行くことができていたかもしれないなと思います。
あの時の私は、「市場で売れるキャリアにすること」にこだわりを持ちすぎていたため、いろいろな可能性を消去法で消したこともあったからです。

先を考えて動かないとというストイックでいい子ちゃんな部分と、なにくそ根性が私の頑固な考えを加速させていました。
「そういう人もいるよね」とか「強いキャリアって何?」とか、タイムスリップしてあの時の頑なな心をほどきたいな。
転職市場では、接客業だから価値が低いとか営業だから高いとか言われるけれど、はっきり言ってそこについて悩み、執着することはありません。
その人その人がどんな生き方をしていきたいか、どんなことに価値を置いているのかによって全然変わってくるんだから。
「あぁ、接客ね」なんて、本当にナンセンス!笑

人生100年時代だし自分で自分のキャリアを考えないといけない、転職やフリーランスも当たり前だよねという声が大きくなってきている時代だと言われて久しいですが、足元を見なさいという人や先を考えなさいという人など相談をすればとにかくいろいろ言われ、ネットには情報が溢れ、一体何が自分にとってベターなのかも良く分からなくなってしまうと思います。
それぞれが自分はどうしたいかということに自信を持てるようになるといいなと思いますし、その決断を少しでも後押しできる存在になりたいなと思っています。
私自身もそうなるべく、自分の心に従って今後の社会との関わり方を変えていきます。
--------------

長文になりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
みんなが毎日を自分に自信を持って過ごせるように、私もこれまでの経験を生かしてできる限りのことをしていこうと思います。
人に何を言われてもいいけれど、これがいい!という生き方を見つけましょう。
よろしくお願いします。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

13
日系航空会社CA✈️3年→キャリアコンサルタント4年→妊娠により退職し丁寧に暮らすことに尽力中🏖 個人の想いを全力で応援したい。 国家資格キャリアコンサルタント保持。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。