自作解説『俺たちはそれを奇跡と呼ぶのかもしれない』について

『俺たちはそれを奇跡と呼ぶのかもしれない』は、2017年に光文社より刊行された、水沢秋生の第七長編です。

 前作『わたしたちの、小さな家』を紹介したときには「自分でもタイトルが覚えられない」というお話をしましたが、これに関しては、もう覚える気もなし、という長い題名ですが、進行している間、この作品は『因果』という仮タイトルで呼ばれていました。

 編集者が調べてくれたところ、同じタイトルの小説も見つからなかった(時代小説がひとつあったのですが、明確にジャンル違いなのでよいかなということになりました)もので、これは『因果』で決まりか、と思っていたところ、編集者から「もうちょっと考えてみませんか」と提案があり、いくつか(思いつきの)案を出した中から選ばれたのが、現行のタイトルです。
 うーん。果たして、どっちがよかったのだろう。物語は、「目覚めるたびに別人になっている男」の話なので、同じ長いなら思い切って『目覚めるたびに別人になっている男の話』でよかったのかも知れん、と今さら思ったりします。

 この物語を思いついたきっかけは以前にも書いたことがありますが、「覚めても覚めない夢」を見たことでした。「起きたと思ったら、それもまだ夢だった」というやつ。
 実際に見てみるとわかりますが、あれは非常に怖い。
 大学時代に受けた哲学の講義で「今、これが夢ではないことを証明しなさい」というテーマがあったのですが、この疑問については、考えれば考えるほど、現実だという証拠が見つかるどころか、「夢かもしれない」という疑いだけが強まっていきます。突き詰めて考えると、気が狂ってしまうでしょうし、あるいは、すでに気が狂ってしまっていることに気付いていないだけかもしれない。
 といっても、この小説は、その恐怖や、実存といった哲学をめぐる物語ではありません。テーマとして、そういったものを内包している部分はありますが、著者の意識として、実際に目指したものは、純粋なエンターテイメントです。たとえば、海外ドラマのような。ものすごくいいところで、気になる感じで「次回に続く!」。

 読んでいる人を飽きさせない。次に何が起きるのか分からない。常に目を惹き続ける。いわば「どうびっくりさせるか」「何がどうなったら驚くか」を追及した作品といえるでしょう。
 実際にこの小説を書いているとき、一番気をつけていたのは、「どうしたら読んでいる人がびっくりするか」ということでした。実際にはその目論見は成功していると思いますし、実はこれまでの作品の中でも、面白さで言えば一番のものではないかと考えています。

 というように、面白さには自信があるのですが、反面、読む人を選ぶ話です。
 まず、出てくる人がとても多い。名前が付いている人だけでも約二十人。そして、その人たちがそれぞれの人間関係を築いている。そのため、「こんがらがってよく分からない」と言われることも一再ならずありました。かと思えば、「普段、ミステリーは読まないし、途中で挫折してしまうことも多いのだけど、これは最後まで読めた」という方もいらっしゃいます(注1)。あるいは、「理解できない」「価値がない」とか。
 こういうことを言われると少なからず落ち込むものですが、最近では「理解できない」「価値がない」は、褒め言葉の一種としてとらえるようになりました。

 今思い出したのですが、この本もまた「依頼ナシ」で書いた一冊です。正確にいえば、別のテイストの小説を依頼されていて、それを書き上げたあと、その勢いで書いたものです。そうして、二本まとめて編集者に送りつけました。いきなり長編を二本送りつけられた編集者の困惑たるや。本当にごめん(注2)。

 また、この作品に関して言っておかなければならないのが、装丁やカバーの美しさでしょう。装丁はwelle designの坂野公一さん、装画はふすいさんですが、とにかく、とても美しい。個人的には電子書籍も便利だとは思いますが、やっぱり紙の本はいいなと思わされるものに仕上げていただきました(注3)。

 前回の『わたしたちの~』に続く、「水沢迷走期シリーズ」に含まれる作品で、例によってあまり売れなかったのですが、内容に関してはかなり自信があります。ただ、ひとつ残念なのが価格。1800円、税込みで1980円。面白いし、何度も読み返せる(ということは、読み返すごとに発見がある)物語なので、決して高すぎるとは思いませんが、有名作家なら別として、面白いかどうか分からない小説に対して、ぽんと払うには抵抗がある値段であることは間違いありません。実は初稿の段階ではもうちょっと長い話だったのですが、「このままだと二千円越えちゃいます」といわれ、泣く泣く削った部分もあります。もちろん、それがあったらさらに面白かったか、あるいは単に冗長なだけだったのかは別の話ですし、また、「小説家は小説の中身だけ考えていればいいし、そうするべきだ」という意見も正しいと思います。ただ、この作品以降、「書きたいものだけを書いて、あとはお任せというわけにはいかないのだな」ということも、考えるようになりました。


注1 そういえば、寄せられた感想の中には「『君の名は、』みたいな話かと思ったら違った」というものがありました。ワオ!

注2 今となっては、とても「長編二本を書いて送りつける」ような真似はできません。「礼儀をわきまえるようになった」「あいつも丸くなった」というよりも、体力的な問題です。

注3 この本に限らず、紙の単行本を買ったときには、一度カバーを外してみることをおすすめします。ちょっとした遊び心や、デザイナーの愛、のようなものが見つかるかもしれません、

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