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趣味の本質

▽定年退職を迎えようとされる方たちが、今まで存分にできなかった趣味に時間を費やそうとする話を、よくお聞きします。ゴルフやテニス、山や写真、囲碁に将棋と、趣味三昧の生活をし、それで得られる充実感もあるかと思います。しかし私にはそれがどうしても、長続きするとは思えません。その方の1日の殆どが、あれやこれやという趣味の時間になってしまうということに、勝手ながら違和感を感じてしまいます。

▽趣味という言葉を辞書で引くと「専門としてではなく、楽しみにすること、余技」とあります。つまり趣味は、何処までいっても余技であって、本業ではないということになります。

▽歌人の斎藤茂吉は、本業を精神科医として働いていましたが、1913年に病院と実家を火事で焼失してしまいます。普通なら、うつ病になってもおかしくないような状況下で、彼は歌という趣味に深夜まで没頭することで、難局を乗り越えたといいます。また、その時代に多くの代表作が創られていたのも事実のようです。これは後に長男の斎藤茂太さんが、日経ビジネスの「有訓無訓」(1998.04.13号)というコラムに書かれていたことです。

▽きっと趣味というのは、仕事から解放されたいという欲求が強くなるほど、高い集中力を生み、いい結果をもたらすのかもしれません。茂太さんは、このことを茂吉に伝えて、ひどく叱られたそうです。茂吉自身は、歌を趣味にするというような軽んじた気持ちでやっていたのではない、ということなのでしょう。しかし、それでもやはり茂吉にとって歌は趣味だった、と茂太さんは断定しておられました。

▽こう考えると、趣味に没頭したければ、まず仕事を持てということになります。やっと仕事から解放されるのに何てことを、と思う方もいるかとは思いますが、方法はあります。趣味を仕事にしてしまう、という方法です。尤も仕事といっても、お金を稼げということではありません。稼げるか否かは、あくまで結果の世界、あまり稼げないアーティストだって、いい仕事してる方はたくさんいらっしゃいます。

▽例えば写真が大好きな方でしたら、それを仕事にします。仕事である以上、目標を持って一定の成果を出せるよう頑張る必要はあります。その意味では、何らかの形でお金にする、あるいはボランティアとして相応の価値を提供する、というような客観的な目標がいいのかもしれません。一定の制約があれば、時にはアウトプットの為に苦しむこともでてきます。それは仕事にはつきものだからです。するとその結果として、別に趣味が必要になるかもしれません。その時は、親しい友人と休日のゴルフを楽む。これならきっと、元趣味(仕事)と新しい趣味の、いい関係が出来上りそうな気がします。 

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