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これまで中編:2021年1月1日入社

『これまで中編』というタイトルで書き出していますが、前編って何?いつ?というくらい、すっかり忘れ去られていると思います。まずは更新が出来ていなかったことをお詫び申し上げます。今後は、変わらず不定期ではありますが、なるべく適度に更新していきたいと思います。重ねまして筆不精を心からお詫びいたします。

簡単ではありますが、お詫びをさせていただいたところで、さっそく中編を始めていきたいと思います。
2021年1月1日(元旦)に新幹線に乗って東京から初出勤した私は、長岡駅到着後そのまま翌日の試合準備のためアオーレ長岡に向かいました。その日はとても、とても大雪で、長岡駅到着の直前に流れる新幹線の車内放送で、『本日は雪のため在来線はすべて運休しております。』というアナウンスを聞いた私は、『なんかスゴイところ来たかも??』と、ちょっとだけ心配になったのを今でも覚えています。

アオーレ長岡は駅直結、最高に便利な立地にあるので、私の心配はよそに無事に初出勤ができました。突然入社してきた“知らないオジさん”を当社のスタッフは暖かく?迎えてくれて、その日はなんとか無事に初仕事を終了しました。そして翌日、朝起きて外に出てみたら、太平洋側住民にとって人生初の光景が!!
なんと、道路にブルドーザーが!!!!!雪国って怖い。凄すぎる!!!
正直、こんなところ住めない・・・って思いました。
その日から2年が経ち、少しは私も雪にも慣れました。今では雪国に住んでいる方々は本当に大変で、でも、その大変さを笑顔で乗り越えている逞しい人たちなんだって尊敬もしています。新潟の人は本当にスゴイ人ばかりです。そして、たまに東京で雪が降ったというニュースを見るたびに、『そんなの雪じゃない!』って思ったりもしています。

■社内の印象は真面目

雪にまつわるお話は、実はまだまだ沢山あります。

・雪の日にタクシーに乗ったら、ボラれた!?事件
・歩道橋が大すべり台、あわや大怪我!?
・歩道なんて歩けない。車道しかなくて轢かれそう体験!

などなど、いろいろとあるのですが、本題からどんどん外れていきますのでそれは、また別の機会に。

さて、入社してから1ヶ月くらいは、これといった仕事もなかったので定時に来て、定時ぴったりに帰っていました。周りからは『時計みたい』と思われていました。その頃の私のやること(やれること)は、会社にいてスタッフの顔と名前を覚えること、名前を覚えたら、どんな仕事をしているのか聞いてみることだけでした。
そうして社内をみていたら、この会社のスタッフは全員が真面目なんだ、ということに気が付きました。今まで私が働いてきた会社には、必ず文句言いながら仕事をする人(若い頃の私!)がいたのですが、ここにはそんな人は一人もいませんでした。全員が真面目で、自分の担当している仕事に疑いなく取り組んでいました。若い頃に文句を言いながら仕事をしていた私からみたら、もっと一人一人が自分の意見とか出せれば良いのにって思ったりするくらい、みんなが黙々と真面目に仕事をしていました。

■突然の記者会見

そんな毎日定時に帰るノー残業生活を1ヵ月ちょっとしていた頃、だんだんと社内の情報が耳に入ってくるようになりました。そして、それは良い話だけではありませんでした。どうやら私が入社する前の過去の出来事をきっかけに、Bリーグからコンプラインス調査が入っていて、近いうちに調査結果が発表される予定との話が聞こえてきました。その時の私は、入社前に過去の出来事のことはもちろん知らないですし、Bリーグが言うコンプラって何?というくらい何もわかりませんでした。でも断片的に聞こえてくる情報をなんとなく自分の中で重ね合わせていくと、徐々に状況がわかり始めてきました。
ちなみに当時の出来事については、今も全てを語ることはできませんが、これだけは確実に言えることとしては、当社はそのときの出来事を大いに反省し、そして既に解決し、今は完全に立ち直っているということです。具体的なことを何もここには記載していないので、これだけ読んでいる方には、何があったの?って気分になっていると思いますのですみません。私の入社直後に、ある出来事があったという風に理解して、この先へと読み進めてください。

そして、その日はやってきました。
入社してからちょうど3ヶ月が経った3月末の金曜日に、ある出来事が発生し、私は急遽、週明けの月曜日に記者会見に出ることになりました。

良い発表の記者会見ではなく、謝罪会見のような記者会見に臨むことになったその日の朝の私の気分は・・・・
実は・・・・・“やる気まんまん!”でした。自分が起こした出来事ではなく、既に起きてしまったいた問題について、全力で責任をもって対処するという状況は、私の性格にはとても、とても合っていて、(変態かも?ですが)高揚感すら感じていました。記者会見で、言えることも、そして、言えないことも含めて、上手にこなしながら、絶対にクラブの評判を守るんだという強い意思で記者会見に望みました。

記者会見の会場に足を踏み入れ、テレビカメラがずらっと並び、自分の座る会見席の前にはマイクの山、そして、目が眩むようなカメラのフラッシュが閃光する瞬間すらも、実は、その時間を楽しんでいる自分がいました。(今だから言えますが)

入社してたった3ヶ月で、クラブの評判を守らなければならない大変な記者会見で、記者さんからのすべての質問に回答するなんてこと、私自身も想像すらしていませんでした。でも、そういうことが嫌いではない自分もいて、なんだかとても良い経験をさせてもらっていると感謝の気持ちにもなっていたことを今でも覚えています。

でも、さすがに、記者会見が終わったその日の夜に、記者会見の様子を伝えるネットニュースの記事が、娘からLineで送られてきたことには、さすがにちょっと閉口しました。

■社長就任へ

記者会見が終わってからも、その後、いろいろと各所への説明や謝罪、当事者との交渉ごとや折衝も続き、一連の問題の解決には、その後3ヶ月程度かかりました。でも、多くの方に協力もしてもらい、一段落までごきつけたころ、社長就任のお話を頂戴しました。
そもそも、社長になろうとなんて思ってもいなかったので、大変驚き、困惑しましたし、私自身、会社経営の経験はありましたが、社長という肩書にはなったこともなく、加えて、ゆかりのない新潟という土地で、スポーツクラブの代表者になるなんて考えたこともなかったので、お断りしようと思っていました。
お話をいただいた後、暫くの間は『私以外に、もっと適任の方がいると思います。』とお応えしていました。

ではなぜ、引き受けたのか?
理由はいくつもあるのですが、この場で書いておくことができる理由は、いろいろと考えた結果、新B1ライセンスを取得するための私の目標でもある、2024年6月までに売上12億円 平均来場者数4,000人という高い目標に到達するためには、自分がその目標を背負うためには、自分に社長という肩書があった方が、仕事はやりやすくなるのではないか?それが会社のため、ブースターの皆さんのため、新潟の皆さんのためになるのかも?と思ったからです。
言い換えるならば、多くの責任を引き受けることで、自分を追い込むことができるのではないかと考えたからでした。

その決断から、約1年半が経過しました。
この1年半、自分を追い込むことで、何ができて、何ができていないのか?
私がどのように自己評価しているのか?そのことについては、次回の後編でまた書いてみたいと思います。

次回は、早めに?更新したいと思います。
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