見出し画像

サターンリターンの恩恵

自分が乗り越えるべき障壁というものは
自分の「怒り」という感情となって姿を表す。

これはわたしの場合の話。


西洋占星術において、出生図上の土星の位置と、経過図上の土星の位置が重なることを「サターンリターン」と呼ぶらしい。

占星術上で、各天体や星座にはそれぞれ意味があり、土星とは制限や課題を与える天体とされ、約29年に1度の周期でやってくる「サターンリターン」とは「人生の節目」「転換期」となるタイミングと言われている。

わたしは今28歳。
2024年、誕生日が来たら29歳になる。
まさにサターンリターンのタイミング。

まさに「転換期」を実感する出来事があったので書いていく。

物理的な状況は大して変わってないけど
精神的には大きく変わったという意味での「転換期」。

それは「気付き」の連続だった。

「無限ループ」に気付く

昨年2023年11月。上司との間である出来事が起こった。
その件を機に「自分は今まで環境やその他色々を変えているにも関わらず、同じことを何度も繰り返している」ということに気付いた。


わたしは大学卒業後、看護師として病院で働く中で3回転職をしている。
そのうちの1回は適応障害でまともに勤務できなくなって。

転職の動機として基本的には
「もっと楽しく仕事ができる場所があるはず」
「もっと有意義に仕事ができる場所がある」
「もっと自分に合った職場がある」
病院から病院へ転職をする中で、そんな感じのことを思っていたと思う。

運よくご縁があって昨年2023年の1月から今の企業で働くことになった。
当時のわたしは、看護師の働き方や看護師業界の風潮に対する鬱憤と不満が溜まりまくっていて、安直にも「企業に転職すればこの状況は変わるのだ」と思っていた。

そんな中 昨年11月にその出来事が起こった。

簡単に言うと、相談なく勤務形態の変更を伴う異動をほぼ決定レベルで言い渡され、飲めない場合は退職という選択肢も否定されなかった。

自分としてはものすごくネガティヴな感情がマイナス方面に大きく揺さぶられる出来事で、激しい怒りがグワァァっとマグマのように湧き上がった

自分として看過できないことを言った上司に対して不信感も高まった。
自分の話が通じると思えなかったし、話したいとも思わなかったので、もう転職しようと思った。(元よりリセット癖があった)

のちのち他の社員の方が間に入ってくださり再度対話する場は設けていただけた。
けどこれが会社の上司のすることなのか?


その時に
「状況を良い方向に変えたいと思って転職をしたはずなのに
今までで一番看過できない嫌なことが起こった」
ということを突きつけられ

その時に気付いた。

「環境や関わる人を変えているにも関わらず、わたしは同じことを繰り返している」

「問題は自分自身にある」

「投影」に気付く

心理学における投影(とうえい、 英:Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るため(防御機制)それを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きをいう。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる。そのひとつに責任転嫁(Blame shifting)があり、たとえば習慣的に失礼な振る舞いをしている人は、いつも他者を失礼な人だと言って回っているケースがある。一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。

Wikipediaより

皮肉にも(というか当たり前だが)「自分自身に問題がある」ことを、やっと自分ごととして認識することができたのは、自分が「とても嫌なことだ」と認識している出来事を通してだった(まさに投影。そしてサターンリターンっぽい)。


「問題は自分自身にある」
「この状況は、自分自身が引き起こしている」
「この状況は、わたしの潜在意識下の何かが作用している」

今、わたしの目の前に起きているこの不快だと思う状況は
自分のどこから生まれている?


ここからはもうひたすら内省。内省。内省。内省。。。
紙に書き出したり、紙に書くのが間に合わなくてPCでWordにひたすら書き出したり。

そして
自分が他人に対して激しく怒りを感じる部分について
自分もその要素を持っているのだとちゃんと認識した。

文字で書くとすごくあっさりしてしまうけど
これを自分ごとだと受け入れて認識するまでに
すごく葛藤したし
時間はかかったし
かなり感情的になっていつも以上に情緒不安定になった。

けど、他人に対して思ったことは
自分も持っていることなんだとちゃんと理解した。

「消化できていない過去の自分の感情」に気付く

「問題は自分の中にある」と気付き、内省を繰り返す中で、自分が見たくなかった自分に直面して、自分では感情の処理がどうしようもできなくなったタイミングがあり、近所の心療内科に駆け込んだ。

その心療内科の先生は丁寧に話を聞いてくださる方だった。
先生のスタンスが、当時の自分の状態ととても合っていて、本当にありがたかった。

先生と何度か話をする中で、わたしは「消化できていない過去の自分の感情」に気付いた。なんと言うか、「母との関係の中で解消されていない感情」というのか。

所謂「インナーチャイルド」だとか「エゴ」とか言うんだと思う。


わたしは母と関係があまり良くない。
詳細は省くが、わたしの中で母は「とても苦手な人」にカテゴライズされている。


「母との関係の中で解消されていない感情」に気付いたと同時に
自分は思っていた以上に、「母との関係の中で生まれた価値観」で生きていたことに気付いた。

母と家族として生きていくために作らなければならなかった、本来の自分には必要のない価値観で生きていた。
よくよく考えれば突拍子もない、さまざまな制限をたくさん持っていた。

初めは母との間で作られたその価値観や制限が
自分の中で一般化され、気付かないうちに職場の上司などにも適応されていた。


これに気付いてからだんだんと、顕在意識上に登っていなかったその他の消化しきれていない昔の感情にも気付いていけるようになった。

「歪んだ自己愛」に気付く

自己愛性パーソナリティ障害(じこあいせいパーソナリティしょうがい、英:narcissistic personality disorder、NPD)は、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む。

自己愛性パーソナリティ障害の症状(一部抜粋)
業績や才能を誇張する
絶え間ない賛美と称賛を期待する
人の感情や感覚を認識しそこなう
人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する
劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる
他人を嫉妬する
多くの人間関係においてトラブルが見られる
容易に傷つき、拒否されたと感じる
脆く崩れやすい自尊心を抱えている

Wikipediaより

「自己愛性パーソナリティ障害」という状態について、少し概要を攫っただけでも、自分と重なる部分が大いにあると思った。
以前から知ってはいたが、「自分と重なる部分が大いにある」と今回やっと認められるようになった。

とは言え、わたしは診断を受けたわけではない。
自己診断で「絶対にこれだ!わたしにはこの障害がある!」とか思っているわけではない。

ただ、そういう状態(障害)があり、どういう状態を呈するかということを知ったことで、自分を客観視する一つの視点を得たと思う。
まあ素人なのでこの辺に関しては専門家の意見をちゃんと聞く必要があると思う。

わたしはとにかくわかって欲しかった。
わたしの言っていることを理解して欲しかった。

他人に勝手に過度に期待して勝手に裏切られて勝手に憤っていた。

わたしの言っていることが確実に正しいと思っていた。
だからわたしの意見と全く違うことを言う人は間違っている、判断を誤っているとさえ思っていた。
友人に対してそこまで強くそう思ったことはないが、職場の上司と母親に対してはこの理解してほしい欲求がかなり大きかった。

環境が悪い、人と合わないと思って転職を繰り返して
たくさんの人と関わってきたのに、仕事関係で繋がっている人はほとんどいなかった。

歪で不安定な自尊心しか持っていなかった。
ストライクゾーンがかなり狭いというか。
欲しい反応しか欲しくない。
それ以外の反応に対しては全てマイナスなこととして捉えていた。

自己虐待をすることや被害者になることだけは上手くて、本当の意味で本当の自分を認める・愛するなんてことは一切できていなかった

でもそれではもうやっていけないんだ。
今までのやり方では頭打ちなんだ。
このままではわたしは本当に孤独になるんだ。

このままではいけないんだと。

それは自分を否定するという意味ではなく。

こんな過度にエネルギーを消費せずとも
こんな自分をすり減らして他者を遠ざけることをせずとも
無理をせず、自分を抑圧せず
もっと軽やかに生きる方法があるのだと。

「”自分が大切にする人”の中には自分も入っていること」に気付く

この一連の様々な気付きを通して、だいぶデトックスされてきた気はする。
今までいらないものを持ちすぎたし、かなり認知が歪んでいた。
情緒も不安定で、心の中の海が凪いでいる期間はとても少なかったと思う。

他者と上手く関わりたいと思いながら、真逆のことをし続けていた。


自分が認めたくなかった、見ようとしなかったことに目が向けられるようになって
最近やっと腑に落ちてきたこと。

「”自分が大切にする人”の中には自分も入っている」

人間は社会的な生き物で、他者と関わらずに生きていくことは
不可能ではないけどなかなか難しい。

他者と生きていく上で、他者を大切にすることはとても大事。
でももっと大事なのが、その大切にする対象に自分自身も入っているということ。

できる自分もできない自分も全部認めること。
どんな自分であっても、自分を大切にすること。

まずこれがなければ始まらないんだと気付いた。
自分を大切にできていないと、本当の意味で他者を大切にすることはできない。

終わり

念の為のコメントなのですが、わたしは心理学の専門家でもないし、西洋占星術も齧り始めたばかりなので、そのあたりの情報のゆるさはご容赦いただければと思います。気になった人は自分でしっかりと調べてくださると嬉しいです。

わたしは新卒の時に適応障害で休職してから、アドラーやNLPを齧るようになり、コーチングも受けたりしたり、なんやかんや「心理学的な領域」につま先だけは常に入れていた感じです。
今回いきなりこれらに気付いたというかは、今まではピースだけ持っていたパズルを、やっと繋げていけるようになった感じ。
この時も心療内科受診以外にも、心理カウンセリングを受けたりしています。

母との関係で生まれた価値観の中で30年近く生きてきたので
本当に自分のやりたいことがまだ明確になっていない。

でも自分が本当にやりたいことはある気がするし
今はうっすらだけど「これなんじゃないか」というものがある。

「自分らしい本来の自分は」存在すると思いたい。


「本来の自分」

あるのかわからないけど、それを知る足がかりになるものの一つとして
最近西洋占星術を齧っている中で「サターンリターン」という言葉を知った。

昨年の11月からのこの8、9ヶ月で
ドミノが倒れるように、というのか
芋づる式に、というのか
今まで集めていたパズルのピースがパチパチとハマっていって
少し前の自分とは全く違う自分になっていると個人的には思う。

まさに課題を与えられた「人生の転換期」で、
試練や課題というかは恩恵だと思った。本当に。
占星術で非科学的と言われればそれまでなんやけど
とてもタイミングが良かったので面白いなあと思ったのでリンクさせて記事にした。

でもこれで終わりではないから、
今後も自分を大切にしながら内省し続けて
自分の声を地道に聞いていくと思う。


前からまとめていたけど、いまいちまとまってない気がする。。
もっと文章やまとめるの上手くなりたいと思った。

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?