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お酒とわたし。no.2

「お酒が好き」=「お父さんが好き」

単純にいえば、もうこんな感じでした。

そして、お酒というのはとてもよく「誤魔化してくれる」アイテムで。何より合法だし、いつでもどこでも安価に手に入るし。飲んで、よほど質が悪くなければ誰から「止められる」ものでもありません。

わたしは自分で飲むお酒は「楽しいお酒」だと思ってました。
実際「楽しくなる」から。人に危害を加えるようなものじゃない、というご立派な理由をいつも胸に。お酒を楽しめる大人、のようにプラスに捉えていて、そこに「問題性」を感じることはありませんでした。

『 自分とお酒 』

について、
そんな風に自覚していたのですが、
「本当の理由」は違いました。先程の投稿で書いた通りです。

「父親との繋がり、愛」を感じるため。
「自分の人生を『誤魔化す』」ため。


落ち込んだり、ストレスが溜まったり、困ったり、悲しんだり。
とにかく「ネガティブな自分」が生まれてくるとお酒に頼っていました。1人だと「すぐ酔う」のです。そして「眠くなる」という状態で、自分を閉じるように眠る。恋人やパートナーのように近しい関係性の相手と一緒だと「楽しい、嬉しい」状態だからこそ、調子にのって「お酒の量が増える」と。誤魔化しが3倍にも4倍にも増える、ような感じでした。もちろん自分では意識していません。

「楽しい」=お酒。わたしの方程式は、いつだって正解で。だからこそ「これがわたしだ」と、「私の特性で、私の個性で、必要なもの」と、ずっと思っていたのです。

今は、「飲まない自分」に変わってしまったので、
アルコール自体にすごく弱くなってしまい。いいえ、元々「弱かった自分」に戻り。350mlのビール1本ですら酔っ払ってしまうくらいです。

一時期、わたしが「腸の病気」になってしまった頃は、350mlのビールを2本飲んだあとに、日本酒やウイスキーをガブ飲みして、ワインなら1本は軽くあけてしまうし。それでも「酔わない」というような状態でした。


そんな状態なのに、自分で「ヤバイ」と思えていなかったのです。

仕方がない、とか。わたしらしい、とか。
病気になったって、「ああ、お酒あんまりよくないんだ」と一時的に思うくらいで。本気でやめなきゃいけない、という所まで思えていませんでした。

なので、その後のわたしはまだ
お酒をのむことを「必要」として、実際に頼る生活をやめられませんでした。

わたしが本当に「必要ない」とナチュラルに思えるようになってきたのは、本当に最近のことです。


もう、
わたしには「合わない」し「不要なもの」なんだなと。
そう心から思えるのです。

そして、これが凄いことなんですが
「もったいない」と
思えるようになってきたのです。


純粋に「楽しい、嬉しい」と感じていた時間空間において
自分の「誤魔化したい欲」にのまれてしまい、お酒を大量に飲んでしまっていたこと。
自分の「こころや感覚を麻痺させた状態」を選んでいたこと。
すごく「もったいないこと」をしていましたし、
自分自身はもちろん、一緒に時間を過ごす相手にとっても失礼なことになってしまっていたな、と。


完全に「ドラッグ」でしたから。


相手がまともな人であれば、そんな「ドラッグ」のようなお酒の使い方をしている人はイヤですよね。
飲まなくてよい時に、「飲まないとやってられなかった」自分。


絶対に手放せない、
わたしの大事なものだと思っていたけれど。
やめられたんです。


お酒に頼るわたし。
お酒が必要だったわたし。


誤魔化すことを、やめました。

今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。