【ひとりごと】高学歴ニートの憂鬱

※まあまあ人を選ぶエントリです。見方によっては閲覧注意かもしれません。


唐突ですが、筆者はいわゆる「高学歴ニート」です
多分日本国内でもかなり名の通った私大を卒業してはいるのですが、職歴は10か月にも満たず、理解のある親の支援の下で暮らしています。

「ニート」「引きこもり」と言うと、不登校からそのまま学歴を得られずに社会に出るチャンスがなかったパターンも多いかと思いますが、その点私は恵まれてるっちゃ恵まれてます。実家もそれなりに貧しくはないですし、生活にかかる費用は出してもらえています。ネット・リアル問わずそれなりに友人もいますし、生活が成り立たない、とか、孤独で生きどころがない、というほどまで追い込まれているわけではないのは、まだ救われています

とはいえ、なかなかこの「高学歴ニート」ってタイプの人間、社会に理解してもらえない部分も大きいのが現状だとは思っています。

まず、周りの大学とかの友人は、だいたいこの年齢だと仕事にも慣れて給料も上がりつつあって、社会的地位を高めていく時期ではあると思います。結婚した、みたいな話もかなりよく聞きますし、SNSでは収入の話、転職の話と、なんとなく彼らを見てると、ライフステージが少しずつ上がってるんだな、というのは強い実感としてあります。そんな中で、そもそも職にすら就くことができない、さもすると病状が悪いと外出するのにも一苦労、みたいな状況だと、自分は人生周回遅れくらいな感じがしてしんどいところがあります

一方で、なかなか人生上手くいかないから、と支援を求めに行っても、それはそれで逆に学歴だったり家の裕福さが邪魔をするというか。福祉のサービスにアクセスしても、それはそれで「本当の意味での弱者」というか、低収入・低学歴で困りごとのレベルが高い人がメインターゲットなんですよね、当たり前な話ですけど。だからそういうところで行政の福祉サービスにアプローチしても、なかなか状況を理解して寄り添ってもらうのって難しい。ある程度実家の理解と収入があって、学歴と教養も持っていて、でも努力の積み重ねができない性質から心を病んで這いあがれなくなった、「まだマシな弱者」に対する支援って全然ないんだなぁ、と思います。

こういうところで、「弱者を支える」はずの福祉の無理解と、「勝ち組」な周りに取り残された疎外感の両側から挟まれてるのが、「高学歴ニート」であるところの筆者の現状です。ほんとの弱者から見たら「全然マシ」だし、だからといって普通に人生うまくいってる人間から見たら「社会の底辺」であることには変わりはないわけで。そんな苦悩を抱えながら、3年連続3回目の無職の8月を迎えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?