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「発達障害」と病名をつけることに意味があるのだろうか

みなさんおはようございます、ユシアです。

ここ数日、チュートリアルの徳井さんの騒動があってから
「ADHD」に関するツイートをよく目にします。

僕は、どんな理由で徳井さんが「ADHD」と疑われているか
詳細は把握していませんし
もちろん専門家でもないのですが
今日は「発達障害」に対して、個人的に考えていることを
書いていこうと思います。
(徳井さんのことではなくて、飽くまで「発達障害」のことね。)

まず第一に僕は
「発達障害は1つの性格」と考えるようにしています。

病名がつくことで安心する人もいるようですが
逆に病名がつくことで、偏見を持たれる人もいます。
一口に「発達障害」と言っても、程度は人それぞれですし
「グレー」「ボーダー」と呼ばれ、はっきりと診断されないことによって
苦労をしている方も多くいるようです。

どこからが「発達障害」でどこまでは健常者なのか
かなり難しい問題ですよね。
いっそ「発達障害」という名前をなくしてしまえば
ここからは「発達障害」という基準をなくしてしまえば
うまくいくこともあるのではないでしょうか。

「この人は発達障害だから、こういう風に接しよう」ではなく
「この人はこういう性格だから、こう接しよう」でいいのではないかと僕は思います。

ある記事によると20人に1人が「発達障害」と言われているらしく
(他の記事では10人に1人という記載も)
そんなにたくさんの人に当てはまるのであれば
最早「障害」という表現は間違っているのでは?
という気もします。

ちなみに、20人に1人ってどれくらいの割合だろう
と思ったので比較をするために、血液型の割合を調べてみました。
その結果、AB型の割合は
日本では10人に1人いるかいないか(9%)
世界では5人に1人いるかいないか(4%)
とのことでした。
つまり上に書いた「発達障害の人の割合」に近いですよね。
そう考えてみると、案外多いと思いませんか?
この人たちを「障害」とくくることに
僕は違和感を覚えます。

僕が「発達障害ではなくて1つの性格」と考える理由の1つに
アスペルガーの従兄弟の存在があります。

僕には7つ年下の「アスペルガー」の従兄弟がいます。
彼がアスペルガーと知ったとき、いろいろな本を読んだので
「アスペルガーとはどんなものなのか」という知識はあると思っています。しかし…

その従兄弟がアスペルガーかどうか
実はよく分かりません。
もう20年以上見てきているせいか
「従兄弟はこういう子だ」ということは分かるのですが
それは飽くまで彼のアイデンティティーであり
「アスペルガーだからこうなんだな」と感じたことがないんです。

確かに今思えば、赤ちゃんの頃
ご飯を食べている途中で、椅子から立ち上がって
遊びに行って帰って来なかったりとか(笑)
小学生の頃、漢字がとても苦手だけど数字が好きだったりとか
(うるさいと思ったとき、適当に足し算の問題を作って解かせると
静かにしていた。)
今も「後でね」が通じず「何時?」と聞き返されたりとか。
(ただこれは、母に言われて気づきました。)

僕にとって彼のそういった行動は
「彼の性格によるもの」なんです。
職場でも「真面目で誠実」と評価され、うまくやっているようですし
世間の「アスペルガーさん」とは違うように見えています。

でももしかしたら、第三者から見たら変わっているのかもなぁ(^^;

そんなわけで「発達障害」と診断されても
環境や接し方によって、問題なく生活を出来ている人もいます。
というか誰にでも「自分に適した環境、仕事、やり方」があると思うんです。
自分に適した方法を見つけるために「発達障害」という分類は
なくてもいいんじゃないかな
と僕は考えています。

ちなみに、そんな話をしているけれど
ユシア自身はどうなの?ってところも話したいのですが
長くなりそうなので、それは明日にします(*´ー`*)

20代後半ゲーム好き。Youtubeにてゲーム実況を始めたばかり。好きな人と好きなことをして生きていくことが目標。