「このまま線路に飛び込んでしまおうか」と思った時の恐怖が、今でも僕を支えている。

みなさんこんにちは、ユシアです。

今日は「生死」に関わる話
しかも僕が過去に「このまま電車の線路に飛び込んでしまおうか」
と考えた時の話を書きたいと思います。

少しヘビーな話なので、そういった話が苦手だ、読みたくない
という方はご遠慮いただければと思います。





それでは、大丈夫でしょうか?
実際に書いて行きたいと思います。





僕は過去に「死んでしまいたい」というか
電車で通学している途中で「このまま線路に飛び込んでしまいたい」
と思ったことがありました。

なぜそんなことを思ったのが、原因は覚えていないのですが
恐らく、思ったよりテストで点数が取れないとか、勉強系のことだったと思います。
はっきりと「死にたい」と思ったわけではなく
何となく「うまく行ってないな〜」と感じていて
きっと自分でも、その原因は分かっていなかったんでしょう。

そんなときにふと「痛みや苦しみを感じること」が怖くなくなったんですよね。
大抵人は肉体的に辛いことは「嫌だ」と考えると思います。
だからこそそんなに簡単に、自分で自分を傷つけることをしないのだと思いますが。

「痛みや苦しみに対する恐怖がなくなる」というのは
死に一歩近づいている、ということだと。
そして僕はその段階を経験したのだと思っています。

で、そんな僕はホームの端に立ってみました。
ここでもしもう一歩進んだら、僕にもう明日は来ない。
そのとき、あることを感じたんです。

明日が来ないことが怖い

と。

痛いかも、とか、辛いかも、とかそういったことは全く考えなかったのですが
ここで自分の人生が終わらせてしまうことが、すごく怖かった。
いや、本当はもっと別に恐怖の原因はあったのかもしれません。
でも少なくともそのときの僕は「明日が来なくなることが怖い
と思っていました。

言葉では説明できないのですが
未知なものに対する恐怖に似ているでしょうか。
どこに行き着くかわからない、真っ暗なトンネルを一人で抜けろ
と言われているような感覚だったと、僕は思います。

もちろんここで記事を書いているということは、僕は生きているということなので
みなさんお分かりかと思いますが
言い知れぬ恐怖を感じた僕は、線路に飛び込むことをやめて
いつも通り電車に乗って、いつも通りの生活を続けました。

そのときのことは誰にも話したことはありません。
しかし、今でもそのときの恐怖は僕の心に強く残っています。

あの出来事の後も、何もかもが嫌になって
その先のことを考えたくなくなったことは何度もあります。
しかしその度に僕は思い出すんです。
ホームギリギリに立って感じたあの恐怖を。

この恐怖を感じられるということは
僕はまだ生きていかれる、と。

あのときの恐怖を、僕はこの先も忘れることはないと思います。
というか忘れたとき、僕はきっと……というのは言わないでおきますね。

この恐怖を覚えている限り、僕は生きていかれるのだと思います。
第三者から見たら些細なことかもしれません。
きっとその時の僕の様子を見ていた人がいたとしても
そんな葛藤があったことを、その人は知らないでしょう。

それでも僕にとっては、怖くて、そして大切な経験となっています。
この時の恐怖が、今まで僕を支えてきてくれています。

20代後半ゲーム好き。Youtubeにてゲーム実況を始めたばかり。好きな人と好きなことをして生きていくことが目標。