バッドエンドにグッド走馬灯(ロングコートダディ単独ライブ2023「こぽぽ水中」感想)

※ネタバレ含みます

 「ろくな死に方しなかったらどうしよう」とよく悩む。
 別に「ろくな死に方」の具体的なイメージがあるわけでもないけれど。まあ、一族郎党に囲まれて静かに自宅で大往生? 現状独身で、兄弟もいとこもいない自分にとっては、だいぶ難易度高いけど、、

 以前、友人の医師から聞いたのだが、親族等身寄りのない者があとは死ぬだけの状態で入院すると、カルテには「天涯孤独」と書かれるらしい。聞いたとき驚愕した。天涯孤独て。
 もちろんdisとして書かれているわけではなく、病院での実務上、家族がいるかどうかで諸々の対応が変わるので、必要な情報としてそう書かれるのである。それはわかる。でも、天涯孤独って、言葉が強すぎやしないか。孤高の精神を持つフィクションの登場人物紹介でしか見ない単語だと思っていた。しかしリアルな「天涯孤独」は、人生最後にかかった病院でビミョーにダルがられる(たぶん、遺体の処分などを病院から役所か何かに依頼しないといけないだろう)存在なのである。うわ~い。

 さて現状、あり得る私の人生の結末は、①親より早く死ぬ ②天涯孤独からの孤独死 の2択である。日々漠然と、健康で長生きしたいとは思うものの、②で「天涯孤独」のレッテルをばっちり他人に貼られて死ぬのはそこそこバッドなエンドであるように感じてしまう。だって誰かが書くんだよ? 私のカルテに「天涯孤独」って。事実として天涯孤独だとしても、他人からしっかりそれと指さされるのはずいぶんハードではなかろうか。まあ、別にいいんだけどさ。そういう風にしか死ねなかったんだから、仕方ないわけだし。

 ……みたいなことを、まじで同じことを飽きもせず3日に1回くらい考える。これ少ない? 多い?

 でも「こぽぽ水中」を見て、死に方をいい感じにと悩むより、死ぬ前に見る走馬灯を良くするべきなのかも、と思った。

 「こぽぽ水中」には、バッドエンドな人がたくさん出てきた。
 詰んでるゲームのプレーヤー(「詰み」)、死の呪いが解けなかった勇者(「岩壁に封印されしウィザード」)。「死ぬ人ら」だって、今日明日をしのげたって、これからも仕事はしんどいし店の売り上げは上がらないわけで、いつまた死ぬ踏ん切りがついてしまうかわからない。

 「こぽぽ水中」のニシとギンも、死ぬときはどうせバッドエンドだと思う。
 一家心中から生き残ってヤクザなんかと暮らすギンの人生も、売り物のシャブを全部捨てて組に啖呵を切って逃げるニシの人生も、いい感じで終われるわけがない。二人の逃避行が永遠には続かないことを、そして遠くない未来に凄惨な結末(まあ組の人間に始末されるとか。最大限前向きに考えても、警察に捕まって離れ離れになるとか)を迎えるであろうことを、想像しない人はいない。
(まあもう、とっくに生まれ変わって兎さんちの水槽の中で仲良く暮らしてるということなのかもしれないけど……)

 そもそもあの時ニシに無事殺されていたとしたって、ヤクザに射殺されるなんて普通に考えてろくな死に方ではない。だけど、ギンが死ぬ前に見る走馬灯は、本当に楽しくて、素敵だった。

「ちょっと待ってニシ。頭の中にいろんな映像が出てくるぞ」
「走馬灯ってやつだな」
「へーなんだこれ、おもしれえ」
「人間が死ぬ前に見る映像だ。それがお前の、人生だ」
「ニシが目の前にいるのに、頭の中にもニシがいる。ニシの飯うまかったなあ、ニシ、でけえ魚釣った!ニシでけえ屁こいた!めちゃくちゃ笑ってる。ニシケガした、大丈夫か。ニシ、鉄砲づくり頑張ってる」
「おまえ俺ばっかじゃねえかよ」
「ありがとな、ニシ」
「こちらこそだ、ギン」

「こぽぽ水中」より

 この、ニシに銃口を突き付けられて死を前にしたギンが本当に楽しそうなところに、何度でも心をつかまれる。
 たぶんこの後、たとえばユカちゃんの旅館に追手が来て見事にニシとギンふたりともが始末されてしまったとしても。ギンがその時見る走馬灯は、この内容にニシとの旅館の思い出が追加されて、もっと良くなっているだろう。ろくな死に方じゃなくても、その人が最後に見た走馬灯は全然素敵だったりする。気分よく迎えるバッドエンド、というのが、たぶん人生においては普通にありえるのだ。

 「死ぬ人ら」も、もしかしたら明日、再会できずに人生を終えるかもしれない。急に交通事故や通り魔に遭ってエンドの可能性だってある。それでも、彼らの走馬灯には、「スピード」(スピード/Helsinki Lambda Club)が流れそうだし、居酒屋で抱き合った感動の場面が入りそう。アッパーな仕上がりの走馬灯を見たら、明るく死ねる気もする。

 ということは私だって、いつか医師からカルテに「天涯孤独」と書かれて真っ白い病院で死のうとも、直前にいい感じの走馬灯が見られていれば、その時の心持ちはハッピーでいられるかもしれない。

 ニシの「寝る前に1回笑っときゃ、あー今日は楽しい1日だったな、って脳が錯覚すんだよ」というせりふは、1日だけじゃなくて、人生全体のことのようにも聞こえる。

 だからいつか、ろくな死に方じゃなかったとしても、いい走馬灯見て笑って、楽しい人生だったと錯覚できますようにと、今は考えている。

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