「向いてない」に救われる(ロングコートダディ単独ライブ2024「あらコズミック」感想)

「あ~っ、もう難しいよ。……まあ楽しいからいいけど」

「あらコズミック」

 ……めっちゃわかる!!!!!!

 エンドロール明けのラストシーン。
 地球に帰還した船長(堂前さん)は、30年ぶりに得意分野(宇宙船やらロボットやらを作ること。ロボットと2人きりで宇宙を漂うこと。得意じゃなかったら、意志の力だけであんなことは絶対にできない)の外に出て、ガーデニングやら弾き語りやらに苦戦している。そして、それが「楽しい」と言う。
 その楽しさを、私はよく知っている。と、思う。

 私は4歳から26年のもの間バイオリンを習い続けているのだが、驚くべきことに(?)、ずっとものすごく下手だ。
 そもそも私は趣味のバイオリン弾きの中では最下層レベルで譜読みが遅い。テクニックのレベルも習っている年数に対して異様に低い。オーケストラに参加すると、曲中でもっとも難しいフレーズを、一番最後まで弾けないでいるのはだいたい私だ。同じバイオリンパートには、大人になってから楽器を始めた人もいるのに!

 あと、音感もない。特に絶対音感がない。あったことがない。子供のころに数年間だけヤマハ音楽教室に通っていたという友達は、知らない曲でも、聞けば階名で歌えると言っていた。すごい。

 このように、私にはすがすがしいほどにバイオリン演奏、というか音楽全般の才能がない。圧倒的に「向いてない」。まあ、自分でそれに気づいたのはもう20年以上前のこと(通っていた音楽教室のクラスで自分だけ落第しかけた)なので、今やこれを嘆く気持ちはほぼ無い。

 一方、私は事務処理能力やPC操作に多分そこそこの才能があって、IT的なコンサルティング的なそういういわゆる社畜がちな職業で、わりあい無理なくお金を稼ぎ出せている。定期的に同僚が過労で退場していくのを見ながら、数年前にふと、「私って"向いてる"のかも」と思った(決してうれしくはないが……)。
 ただ、「向いてる」はずだからこそ、かえって、小さな失敗で、激しく動揺して落ち込んでしまう。うまくできることが自分にとって当たり前になっているから、「うまくできない」状況に耐えられない。「向いてる」ことに裏切られた気分になる。
 だから、船長が「(宇宙人)どこにいるんだよ」と頭を掻きむしる時の苛立ちにも覚えがある。宇宙人は居て、自分なら見つけられる。そのはずなのに、自分ならできるはずなのに。自分の能力に対する信頼があって、そこにひとさじの驕りもしくはプライドが含まれていて、だから堪らなくいらいらする。自分で自分に。

 そういう時、「向いてない」ことに取り組むと、それが心を救うことがある。
 私だったらバイオリンを取り出して、音階か、簡単なエチュードをひたすら弾く。もちろん、全然うまく弾けない。この程度の音もうまく出せないのか、と自分に引く。しかし10回、20回と繰り返し弾いていると、だんだんスムーズになってくる。(実際にはできないしやらないが)このまま1000回繰り返せば、もっと遥かにうまく弾けるようになるだろうと、未来への希望が生まれてくる。謙虚になる。努力することの有意義さをしみじみ感じる。
 それで、「向いてないなあ」と思いながら、私は満足げな顔になる。あのラストシーンの船長と同じように。

 船長はおそらく、地球でも宇宙関連の仕事を続けているんじゃないか。なぜならそれは彼の得意分野で、しかもメシのタネとして有用だからだ。民間の研究チームに採用されてちょっと働くとか、片手間で次々に特許を取得するとか。わかんないけど。その上で、「向いてない」あれこれに次々手を出して、案の定苦戦して、「楽しいからいいけど」と言いながら生きていくんじゃないか。

 だって、顔と愛嬌が長所のティアラはダンスとかするべきじゃないし、カレー刑事(デカ)も推理でしゃしゃるべきじゃないし(探偵のおかげで事件は解決しそうだから刑事としては優秀だろうけど)、芸人さんが集まって3分でパペット作れるわけないし!?などなど、まあみんな大人だし自分の得手不得手は分かっているはずで、でもそれでもやりたいことというのはやっぱりあると思う。みんな楽しそうだった。それってめっちゃ分かる、と思った。

 私は最近、バイオリン持つのが下手すぎて肩を痛め鍼灸院に通いつめているのだが、それでもバイオリンを続けたい。さの山と違って、湯船に浸かれば多少は痛みも和らぐし。得意なPC仕事でちくちく稼ぎ出した金で、レッスン代と鍼治療代を払うのが楽しいんだから。


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