日々徒然12 遊びたい!って思う瞬間②
親戚のサマーバケーション、子供の夏休み、仕事のお盆休暇、を泳いでいる現在
気が付いたら
心底大好きな海、山、畑、田んぼ、織物、トレーニング、夏の風物詩のお祭りやプール、そして一番愛してやまない、夏の夜明けや真夜中の空気を感じて浸る事 に対して
全て「無」で、全くの「やる気ゼロ」で「心躍らず」になっていた
だからこそ、漠然と「私遊びたい! のか??」
実際想像してみようと思った
プールで、手に少しの重みと若干の冷たさを感じながら水をかき分け、顔についた水に心地よさとわずらわしさを感じつつ、夏の照りさす太陽の暑さと水に漂う心地よさ
ワカメの匂いとしょっぱい水で「あー海だ!」とじんわり思い出しながら、波の間を潜って合間に顔を出した瞬間の自由なキラキラと太陽が反射する解放感
木々の間から見え隠れする太陽の暑さに、木と空気の涼しさ、さわやかさを改めてびっくりするほど思い知り、深呼吸。川の水の氷のように感じるヒヤッとした冷感や葉のこすれる風の音
等々、大好きな記憶を思い出すと、やはり是が非でも行って味わいたくなる
だけれど、それも一瞬
そもそも
「遊ぶ」って何だろう?
「仕事」の対義語?
私的には、ここだ!と思うところ。または、なぜ「遊ぶ」事に引っかかりを感じたのか
の糸口が見えた気がした
「遊ぶとは⇒期待される生産的効果を果たしていない状態にある事」
期待される生産をしていない
ここに、私はおそらくずっと自己卑下とも、自信喪失とも、劣等感ともとれるモヤモヤを抱えていたのかもしれない
ちなみに「遊ぶ」の対義語は何だろうと調べてみた
だそう
でも、「遊ぶ」の対義語って、多分人によって違うと思う
「学ぶ」「真剣にやる」「締める」「努力」「休む」「理想通りに進む」「善」「悪」
そして、私は「遊ぶ」事は「自分の中の武士が納得する、生産をしていない」
要はおそらく
「お金を満足いくまで稼いでいないのに、更に消費してしまう行為」
ということなのかも
だから、「遊んでいいよ。遊ぼうよ。」って心が躍らないんだ
自分が好きな「感じる事」「思う事をして心を慰める」にすら触手が動かず、逆に心の慰めにはならず、「無」になってしまうんだ
そもそも、今の「お金を自分で満足するまで稼いでいない自分」に対して、自己卑下、ダメ出し、劣等感を抱いていたのかもしれない
いやはや、厳しい武士を飼っているものだな
とほほだけれど、今日はそんな武士の存在に気が付けた
そんな日なんだな
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