オキシトシンと女性性

退屈を考える途中でちょっと寄り道。

オキシトシンの作用って、どのくらい世間に浸透してるのかなあ?

愛情ホルモンとか幸せホルモンとかの俗称があると、その反作用っていうか副作用に目が行きにくくなって、善悪とか良否のポジティブ側に置いておかれやすい気がするけど、日常生活に都合の悪い部分もちゃんと知っておかないと、自分の心や体の調子を悪くしたりとか人間関係にわざわざひずみをつくったりとかしやすいのでは?と思ってここに書き記す。

また、中野信子さんの「シャーデンフロイデ」にあった文章からの理解で、ほかの文献あたったりしてないから、アレですけど、想像力たくましく妄想力全開で話を組み立てるので、呆れながら読んでいただけるなら幸い。

オキシトシンが皮膚接触で分泌量が増える。ってのは受け入れられやすい事実かな、と思う。

出産育児時の女性もオキシトシンがあふれんばかりってのもまだまだ受け入れやすい事実だ。

これが生殖行為時も増大しますよ、っていうとどうだろう?しかもそれが男性は射せい時、女性は子宮頸部の刺激時、っていうと、顔とか手とかの皮膚接触じゃなくて、生殖器官登場でちょっと事態を直視したくない気持ちがわきませんか?わたしもひるんで一部字をひらいてしまったけど。

自分の理性を信頼している人ほど、そうじゃないかなあ?って。

男性のオキシトシン増大時の身心の変化は体験できないからわからないけど、女性のオキシトシン増大時の身心変化は身をもって体験したので、わたしは言語化してみたい。

唐突だけど、フェミニズムの人たちが主張する、あれが許せない、これがおかしいっていう主張は、この男女間のオキシトシンによる作用の現れ方の差に対する怨嗟じゃないか?

わたしの前配偶者は「子供が生まれたらお前だってそうなんだ!」と赤んぼと母親の強固なオキシトシンによるつながりと夫の疎外を予言したけれど、わたしは理性的に夫を批判してるつもりで、オキシトシンによる情動の支配に身を任せていた、と今、思う。

オキシトシンの身心への作用は量りようがないけど、女性にとってほかのホルモンの働きに比べておおきいんじゃないかな?

生殖行為時の子宮頸部への刺激がオキシトシンの分泌をさせるとどうなるか。お相手への執着、愛着が高まる。

恋愛工学って女性の脳みそバグをついてるなあ、と思うのはここだ。生物として、動物として、女性というのはそういう風にできているのだ。

だから、若い女の子にはそれ以後の関係性を良好に保てる見込みのある男性であるかどうかを確かめてから行為に及ぶのが望ましいのだろうと思う。だってどんな悪辣な習慣や態度で生きてる男の人でも、オキシトシンは分泌増大しちゃって、その人に執着しちゃう、離れられなくなっちゃうからね。

で、フェミニスト的活動のなかで、男性がズルいって感じて攻撃する発端って、生物として、動物として、是正しようのないこういう女性の身体反応だから、その差をあるものとして話を始めたり詰めなきゃなんじゃない?って思う。

なんかだいぶ前にあったじゃん、夜のお相手をしないぞ運動とかニュースになってた、あれはなんのためだったか忘れたけど。あれ、男性側にとっては、いやべつに…って効果のない運動だと思うけど、女性にしたら、執着のある相手、愛情を向ける先の相手に拒否されたらどでかいダメージがあるって考えるからこその運動の形だよね。

執着とか愛着の激しさとその対象外の者へのなんかチョー邪魔!って気持ち。赤んぼ、子供を抱っこしてるときのその気持ちをわたしは覚えてる。

赤んぼがいない時はその執着とか愛着が元夫に向かってて、ほかのことはけっこうどうでもいい、って感じだったのも覚えてる。

そういう情動の揺れを生きている者の充実感をしてとらえた時、日常のルーチンが増大して充実感に代わって閉塞感を感じるようになったわたしは悪いのは何か?っていつもいつも探してたのも覚えてる。それは相手にも伝わるしお互いに悪いもの探しの状態に陥る。

それは就職したり転職したり、子供たちの進学や部活動で忙しくなるとしばらく棚に置いておける何かだった。まあ、退屈ってことだよね。

あ、退屈の話に戻ってきちゃったけど、オキシトシン増大のうっとりからの閉塞感はおおきな副作用だな、と思っているというお話でした。

フェミニズムのなんたるかもよくわかってないので、なんか話ずれずれだったらごめんなさい。

まだ退屈について考えてるので続く。













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