見出し画像

変わりたいけど変わりたくない

「変わりたい」と思うことは、誰にでも一度はあるはずだ。
おそらく、今の自分にどこかしら不満があって、もっと良くなりたいとか、もっと充実した毎日を送りたいとか、そういう感情が原動力になるんだろう。

でも、「変わりたい」と思う瞬間があれば、同時に「変わりたくない」と思う瞬間も必ずやってくる。ここにどうしようもない矛盾がある。

例えば、何か新しいことを始めるのは、エネルギーがいる。
もっと言えば、リスクも伴う。

今の自分に慣れ親しんでしまった以上、その状態を捨て去るのはかなりの勇気がいる。

いつも行っているカフェの席を変える程度のことなら、多少の違和感があっても大したことはない。
でも、人生の選択においては、そう簡単にはいかない。

「変わる」ということは、今の自分を否定することにもなる。
現状に不満を抱いていても、そこに自分の居場所がある限り、それを失う怖さがついてまわる。

誰もが、自分の軌道が大きく外れることに対して、不安や恐怖を感じるものだ。現状がそこまでひどいわけじゃないという状況ならなおさらだ。

「変わる」ことが、結果として自分にとって良いものになるかどうかなんて、誰にもわからない。

ある朝、窓の外を眺めていた時、ふとそういう思いが頭をよぎった。
私は、本当に変わりたいのだろうか。
それとも、ただ変わることに憧れているだけなんだろうか。

人はよく「変わることが大事だ」と言う。
自己啓発の本やセミナーなんかでも、常に自分を改善し、より良い自分を目指そうと勧められる。

確かに、そういった言葉には理がある。
停滞は退化と同じだというのも、間違いではないのかもしれない。

でも、私は考えてしまう。
もし変わることが本当に良いことなら、なぜ私たちは時々その変化を恐れるんだろう?

新しい自分が魅力的である可能性があるなら、なぜ今の自分にしがみつきたくなるんだろう?

その答えは、きっと今の自分が本当にダメだとは思っていないからなんだと思う。

どこかで、まだ自分を肯定している部分があるから、変わることをためらうんだ。

最近、友人が新しい仕事に挑戦しようとしている。
彼はそれを大きなチャンスだと捉え、一生懸命に努力している。

確かに、彼の目は輝いていて、やりがいを感じているように見える。
彼は変わろうとしている。新しい場所で、新しい自分になろうとしている。それは素晴らしいことだと思う。

でも、私は彼の背中を見つめながら、自分はどうなのだろうと考える。
私も彼のように何かに飛び込んで、変わるべきなのか? そう考えながらも、私は変わりたくないという気持ちがどこかにあるのを感じる。

今の自分もそれなりに悪くない、そういう気持ちが確実にあるのだ。
日常には心地よい部分もあって、そこにいることで得られる安心感は、決して無視できるものではない。

変わりたいけれど変わりたくない。
これは、私の中の矛盾だ。

けれども、多くの人が同じ感情を抱えているのではないかとも思う。
私たちは、新しい自分に憧れながらも、今の自分を捨て去ることができない。そして、その狭間で揺れている。

変わることは、時には必要だし、そうすることで人生が前進することもあるだろう。

でも、変わらないことにも価値があると私は思う。
変わらないことで守れるものも、たくさんある。

それは、日々の小さな安心感だったり、いつもの習慣から得られる安定感だったりする。

そういった「変わらないこと」の中にも、意外と大事なものが詰まっている。

だから、変わるべきか変わらないべきか、答えをすぐに出す必要はない。
変わりたいと感じる日が来るかもしれないし、その日が来たら、その時に変わればいい。

それまでは、変わらない自分も大事にしていいんじゃないかと思う。

時には、立ち止まることも進むことの一つだ。
誰かに急かされる必要もない。

自分のペースで、時には変わりたくないと思うことさえも肯定していい。
それが、今の私の結論だ。

人生は長い。
私たちは、その長い旅路の中で、いろいろなことを経験し、少しずつ変わっていくのかもしれない。

でも、その変化は、決して焦るものではない。
無理に変わる必要なんてないんだ。
きっと、変わるべき時が来れば、自然とその時は訪れる。

変わりたいけれど変わりたくない。
そう感じる今もまた、一つの「今」であり、私たちが生きている証だ。
その揺れ動く感情もまた、私たち自身なのだと、私はそう思う。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 これからも、日常に寄り添う記事を書いていきますので、またふらりと立ち寄っていただけると嬉しいです。