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自分の常識は世の中の常識なのか〜バベルの塔って知っていますか?

こんばんは。
今回は、私が最近遭遇した不思議な感覚と、それに関する考察を書こうと思います。

自分の経験や知識を疑ってしまった瞬間

皆さん、「バベルの塔」って知っていますか?
旧約聖書内に描かれる塔のことで、特にヨーロッパ中世の宗教を題材とした絵画に多く描かれています。下の絵画は、16世紀、ブリューゲルの作品です。

私は、バベルの塔に関する知識は一般常識だと思っていました。
しかし、職場の人にバベルの塔に関する話題を話したところ、「知らない」という答えが返ってきました。
この時、私はかなり衝撃を受けました。自分が当たり前だと信じて疑わなかった知識は、当たり前ではなかったのです。
その時はじめて、これまでの自分の経験や知識は、妄想なのかもれない・・・」という不思議な感覚に陥りました。

その後、母にも聞いてみたところ、あまりよく知らない、という答えが。
聖書の知識が前提ではない日本社会ですから当然とも言えますが、個人的にはかなり衝撃的な出来事でした。

人には共感してくれる他者が必要

自分のこれまでの経験は全て空想だったのではないか?なんて思ったのも束の間。
たまたま購入した漫画に、バベルの塔の話題が書かれていて、
自分は妄想の世界を生きていたわけではなかった、とほっとしました。

人の記憶は、どんどん曖昧になっていきます。
一緒に経験していたり、それを見た人がいないと、その経験が本当にあったのか否か、実際は分からないと思います。
知識についても同じ。私が例に挙げたバベルの塔も、周りに一人も知っている人がおらず、すぐに検索できる状況になければ、その知識が実在しているものなのか否か、分かりません。
自分の知識や経験がリアルだと分かるためには、共感してくれる他者の存在が必要なんだ、と気がつきました。

とある友人から聞いた話。
その友人は、就職して配属された先で、先輩から嫌がらせを受けていたそう。
思考や言葉を否定され続けた結果、「自分の言っていることが正しいのか正しくないのか疑うようになってしまった」と言っていました。
(※この友人は、すでにこの時の会社を辞めています)

周りに自分の言語が通じない、常識が通じない、経験や知識を否定してくる、そんな他者ばかりなら、自分を疑うようになってしまいますよね。
「バベルの塔」のエピソードの際、友人の話を少し、経験として理解できた気がします。

中庸であることの大切さ

最近のニュースを見ていて感じるのは、「共感者ばかり集まるのも危険だ」ということ。
例えば、アメリカ大統領選。
偏った意見を持つ集団が対立し、それぞれが聞く耳を持ちません。
なかにはありえないのでは?と思ってしまいまう言説を心から信じている人も。

最初に挙げた「バベルの塔」のエピソードは突発的だし、自分の常識を疑う良いきっかけになりました。
このインターネットが発達した世の中で生きるには、自分でバランスをとりながら、さまざまな道の中から自分の進む道を選んでいくことが大事なんだろう、と思っています。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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1994年生まれ、今は東京で会社員、週末はデザイン学生。1年ほど世界の旅をしていました( 旅ブログ http://curiosity-travel.com )。日々の中で感じたことや本や映画の感想、旅のことなどを書いています。