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【読書感想】神戸連続児童殺傷事件 元少年Aの手記 「絶歌」を読んで

はじめに

先日、1997年に起こった殺人事件の加害者である「元少年A」の手記、「絶歌」を読みました。

1994年生まれの私からすると、物心つく前に起きたこの事件については、親から聞いて知っているくらいのもの。これまでは、一つの"過去の出来事"として「こんな事件もあったんだ」と認識していました。

そんな私ですが、コロナ禍をきっかけに、この1年ほど、社会に対して疑問に思うことが増えました。その中で、90年代を知ることは、現在顕在化している社会の歪みのようなものを考える上での一つの材料になるのではないかと思い、この本を読むに至りました。

結論、この本を読んでみてよかったなと思います。
生きづらさが頻繁に話題に取り上げられる今の世の中で、どうすれば誰しもが幸福に生きることができるのだろう?それを考えるための一つの材料になったと思います。

共感と相違

私はこの本を読んで、いくつかの点において元少年Aに深い共感を覚えました。
おそらく、そう感じる人は少なくないのではないでしょうか?
そんな「普通」の一面も持つ彼が、どこで道を違えて犯行に至ってしまったのか...それがとても悲しく、苦しく感じます。

共感した点について、2点、ピックアップして書こうと思います。

(1)思春期独特の生きづらさのようなものへの共感


一つは、思春期独特の生きづらさのようなものへの共感です。

小学校高学年〜中学校くらいの年代って、人間関係にヒエラルキーのようなものが出来上がりますよね。明るくてクラスの人気者のいわゆる「陽キャ」と、暗くて影の薄いいわゆる「陰キャ」。この変なヒエラルキーのようなものに、居づらさみたいなものを感じていたのを覚えています。
もともと仲が良かった友達でも、このヒエラルキーの作用によって段々と距離が生まれ、いつの間にか別世界の人間のようになってしまうこともありますよね。

元少年Aも同様に、小学校から仲の良かった友達と自分の間の距離、世界の違いのようなものに無意識ながら気づき、その世界の違いを克服するのではなく、どんどんと自分の世界に浸るようになっていきます。

...私はこの部分にとても共感しました。
と同時に、このような普通の一面も持つ彼が、なぜ犯行を実行するに至ったのか、なぜ食い止められなかったのか、とても苦しい気持ちになりました。

(2)死の経験への共感と相違

元少年Aは、小学4年の頃に経験した祖母の死が、とても大きな分岐点だったとしています。大きな愛情をもって接してくれた祖母を失い、絶望と、死への考えに取り憑かれるようになるのです。

実は私も小学4年生の頃に祖父を亡くしています。
病院のベッドに横たわる祖父や、祖父の遺体が家の仏壇前に運ばれてきた際に覚えた感覚、とても共感するものがあります。
でも私はなぜか、そこでは死への考えや絶望には取り憑かれることがなく、その後も普通に日常を送っていました。多分、家族一同で共有されていた死に対するポジティブな考えみたいなものが、私にも影響していたのでしょう。

もし、元少年Aに、身近な人の死を経験した児童へのケア、のようなものがあったなら?祖母の他に、心から信頼できる人がいたなら?相談したり、自分の感情をぶちまけることができたなら?人を殺めることにはならなかったのではないでしょうか。。

以上の2点の他にも、共感する点は様々にありました。
マジョリティではないけれど、一定数いるであろうタイプのマイノリティ。その中で、なぜ彼は道を踏み外してしまったのか。
読み進める中で、とても苦しく、悲しい気持ちをおぼえました。

これからのために

私はこの本を読んで、誰しもが犯罪をおかす可能性を持っている、と感じました。
なぜ彼を止められなかったのか、課題を洗い出し、社会の方が変わっていくべきだったのに、未だ社会は生きづらさを子供にも大人にも強いているように見えます。

何が課題なのか、一人一人が考え、社会を良い方向に進めていくこと。
そもそも犯罪が起きないような社会にすること。
どうすればそれを実現できるか考えるきっかけになる、価値のある本だと思いました。


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読んでくださってありがとうございます。
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1994年生まれ、今は東京で会社員、マイペースにデザインのこと勉強中。1年ほど世界の旅をしていました( 旅ブログ http://curiosity-travel.com )。noteでは日々の中で感じたことや本や映画の感想など。あんまり推敲せずに思うままを垂れ流しています。