小序説 『 プリム ・ オーセン ・ アルカ 』
都合のいい人
ある日の社会の片隅の黄金の午後、秋に揺られる樹々の間で人々が憩いの一時を過ごしていると、今すれ違おうとする二人の男女の間に静電気が走った。中央公園を出てすぐのオフィス街に入る前の十字路の角にあるホットドックスタンドの前、まだ青年のあどけなさを残す男はウールを着ていて、あと何年も少女らしさを残すであろう女はナイロンを着ていたので、すれ違う時に触れ合った袖か手の甲の間で、微かな電流が相当な電圧で交換された。
「「 あ 」」
その瞬間における二人の距離はゼロだったかもしれない。物理的にも心理的にも。何故って心とは電気現象として表現されもするのだから。確かにその時二人はいくつかの文脈において触れ合い、重なっていたはずだった。電気、視線、運命、地点、呼吸。何よりタイミングがよかった。恐らくはこのワンシーンを理由として彼らは選ばれたのであり、各々がそれぞれの行く先に顔を向け直しつつも相手の顔と姿を朧に思い浮かべたその瞬間、この世界におけるその二人以外の人間の全てが消え失せた。あらゆるものの不在に静寂が満たされていく中、自分(ら)以外の全ての人間がこの世界から消え失せてしまったこと、そのことの直感と確信が二人の心を貫いて、二人を二人の背後で結び合わせた。稀代のラブストーリーとしては非常を超えて異常に都合のいい流れであるが、二人が超然の恣意によって乗せられた流れは人間の愛のそれではなかったし、そもそもこの状況を都合がいいと言った時の都合というのも二人(だけ)のものでは決してなかった。
男、マルクは連れ立っていた仕事の仲間の談笑や衣擦れ、それらの向こうと周囲にあった街の物音が綺麗に消え去っていることに気が付いた。女、アルカは黄金の秋の風景に思い思いの彩りを添えていた人々の無数で無名のファッションの一切が、一瞬の後に消え失せていることに気が付いた。街は今、何処からか響いてくるゴウンゴウンという機械音の合唱が風に添えられただけの、秋一色の静寂の城と化していた。二人はまだ、数メートルの距離にあって互いに背を向けたままでいた。突如目前で展開されたマジックショーから目が離せないのは当然だろう。いやしかし、突然すぎるマジックショーに二人はひとまず冗談だよなと思い直した。思い直そうとした。先ほど自分を貫いた確信を努力して脇に置き、冗談じゃないなら白昼夢よね昔から妄想癖もあったし、デイブが手にしていたホットドッグが地面に落ちてケチャップがアスファルトに飛び散っているのは凄くリアルだ、とそれぞれに思った。そして他の持ち物や洋服といった装飾品とデイブのホットドックを分けた基準はなんなんだろうと考えたりした。ナマ物かそうじゃないかだなんて思い着いた傍からいやいやそもそも基準よりこの現象全体はなんなんだ、一体どういうことだ、自分はどうして一人取り残されているんだと、二人は二人だけが取り残された世界でそれぞれに思案した。答えの返って来ない疑問は真空と化して恐怖と不安を呼び込み、それらに駆られた二人の各々は、世界を独占した唯一者にとって絶対的に意味の無い行動、即ち後ずさりをした。
ざりり
「「 え 」」
背後から同時に発せられた同じ音に驚いた二人は振り向いて、漸くのこと、唯一の可能性であった距離二メートルの邂逅を果たした。こういったシチュエーションを未経験である人々には不思議と写るかもしれないが、お互いを至近距離に発見した二人の男女のそれぞれは、このファーストコンタクト、いや、瞬時の特大おかわりとなったセカンドコンタクトにおいて、相手に対して凡そ好意的でない情緒反応を示した。まず、二人に共通して観察されたのは更なる困惑であった。どうも二人とも、自分一人だけが世界に取り残される場合の方が、自分を含む二人だけが世界に取り残される場合よりも、事件や現象として起こり易い、それに加え今さっき微弱な電流を交わした相手と二人切りで取り残されるよりも、もっとずっと起こり易いはずだと考えているようだった。しかしそれは確率を考慮する際の観察において因果が逆転していると言っていい。世界に取り残された二人は微弱な電流で繋がっていたのではなく、微弱な電流で繋がった二人を世界に取り残したのだ。因果の転倒だけでなく事態全体の作為者の未発見もまた彼らの推論過程を必要以上に入り組ませて錯綜させているようだった。ともあれ、袖振り合った若い男女が世界に二人で取り残されるなんて、そんな都合のいい話がある訳ないじゃないか、翻訳すればそのようになるメッセージが彼らの感情表出機構から読み取れた。我々としては彼らが自分達の都合を勝手に思い描く事自体は構わないのであるが、彼らの自然を自然に観察するため、そのような状況に対するメタ認知は減弱しておきたいところであるので、特に理由なく第一の刺激と発端として、ひとまず雨を降らせてみた。秋の黄金が照る晴れ間にそやそやと、銀に光る霧雨が降り注ぐ。すると何故だか女が笑った。これは予想外だ。どうも男も我々と同感らしい。どうして笑えるんだいと、男は困り顔をしたまま初めて女に声を掛けた。
「 だって余りに都合がいいじゃない。まるで二人でこのまま雨宿りでもして親睦を深めなさいと言われているみたい。もしかしたら私、十ヶ月後にはきっちりアダムとイヴの双子を産む羽目になるかもしれないわ 」
この時の我々と男の表情と心持ちは異星人であることの差異を乗り越えて一致していた。人間の女の逞しいことよ。そしてその想像力と直観の素晴らしさ。逆境において生きる力と方向性、を与えてくれる力強く価値のある無垢。我々はこの時完全に男に感情移入しながら女との逢瀬そして家族というものの構築プロセスを夢想していたように思う。しかしながら我々の為すべきは透徹した観察と結論、そして介入と調整であり、感情移入でも夢想でもない。再度冷静なる観察者に戻りその目で男の顔をモニターすると、彼、マルクはポカンと口を開け放ちまさにポカンとした表情を見せた後、突然あははと笑い出して彼女、アルカの挨拶に応えた。
「 僕はてっきり神様にデコピンでもされて時空がずれちゃったのかと思ったよ。しかし君は随分大胆なことを言うね。それじゃあまるで君がこの世界の即席神様になるみたいだ。僕をどうぞ聖なる種馬として使っておくれ。」
女は更に吹き出した。
ハハハ
男の笑いも大きくなった。
アハハ
そして笑い合い融け合った。
アハハハハ
確かに我々の都合と彼らの都合は具体的内容を異にしたまま方向性を共有しているかもしれない。彼らに適応能力があるのは分かったので、後は干渉せず自然に、二人しか居ない世界の自然に任せてみようと思う。二人は雨に導かれるように公園近くにあったマルクのアパートへと雨宿り、そこで初めての夕と夜と過ごし、交わせるものの凡そ全てをゆったりと交わしながら、言葉と、身体で、そうして二人の世界の初めての夜明けを迎えたのであった。当の二人が目を覚ましたのは、もう存在意義を失った時計がコチリと正午を打った後のことだったけれど。
最初の朝食
先に目を覚ましたのは女だった。アルカは自分が目覚めたこの世界にはもう、自分を世界という事柄に結び付けていた多数の物事、未来の世界へと導いてくれようとしていた幾つかの指針、基準、そしてそれらの精神運動の基盤となってくれていた過去の世界がすっかり居なくなってしまっていること、そしてそれ故に、今日からの日々、今日という日、今という瞬間を生きるには今迄とは全く別の感覚や原理が、感性の一番素朴なところで必要になってくるであろうことを、漠然とした不安と共に直観した。自分の日常を構成していた周囲の人々、隣人、親族、恋人等があの瞬間から未来永劫消え去ってしまったからといって、過去という心情世界からも彼らの影が薄れていく気がするのは不思議だった。もしかするとここには人間の大別があるのかもしれない。アルカの素朴な世界観と人間観から導き出された、噴き出す釜にひとまず蓋をするためのような暫時的結論 〜 しかしながら荒れ狂う現実の坩堝にピタリとハマる魔法の蓋 〜 は本質的に変異した状況に対し生を臨む者は過去を忘れ、死を臨む者は過去を抱くということだった。勿論、生来のバイタリティにより当初から生を生き直すことを意識無意識的に臨み初めていたアルカのような個体にあっても、この度の大規模な変異変質において忘れ去られなければいけなかったのは、過去というより、時間という間主観的事実そのものであり、殊、この数世紀に発達していた直進性の時間概念 〜 私たちは何処から来て何処へ行くのかという最もクラシックな問いに対し「あちら」や「こちら」という更に頭を悩ませる未回答という回答を示してくれるもの 〜 なのであった。彼らはこれからそれまでとは違った時間感覚を頼りに彩度を増した空間世界を渉猟していく。無駄な問いを排した重量感と重厚感ある感覚世界を彼らは二人切りで歩き、触れ回って行く。ふと伸ばした右手の指先で男、マルクの頬に触れる。体毛の薄い柔い肌が、カーテンから漏れ落ちる午後の日差しを受けて紅潮している。昨夜目を閉じて今目を開けるまでに、夜明けに向けて下がり切る彼の体温を感じ、目覚めに向けて上がっていく同じ者の体温を感じた。そのような物事がこれからの時間になるのだろうかと思った。私は今人間の雄の匂いに囲まれているのを感じる。しかし小綺麗な部屋だ。家具や備品よりもスペースを優先したような、普通に考えれば何も無いような部屋。ベッドもマットレスだけで壁に立て掛けてあった。その横には大きな本棚がぴっちりと壁を覆っていた。マットレスのサイズはちゃんとしたダブルだった。消え去った彼の恋人はどのような人だったのだろう。見渡すとこの部屋には時計が無い。元々無いのかもしれない。深夜、彼は一度起き上がりテーブルの方へ行って座り暫くをそこで過ごしていたけれど、その際に時計を永遠に隠してしまったのかもしれない。カーテンの隙間から午後の陽光が零れ落ち、微かな逆光に照らされるマルクはもう半ば目を開けている。同じような程度に唇が半開き、時計の代わりにぼそぼそとメチャクチャな時報を唱える。
「 おはよう 」
「 おはよう 」
「 よく眠れたかい 」
「 よく眠れたわ 」
「 起きようか 」
「 そうしましょう 」
「 そうしよう 」
陽当たりと風通しだけで選んだこの部屋自体が時計になったようだった。時間という催促を優しく減弱してから再提示してくれるフィルターとしてあるような空間。陽光と風のそのままである時間は僕らには荒々し過ぎるが、中心と方向を厳密に指し示し強要するような機械性もまた酷である。今は丁度その間くらいにあるなあ。学生の時に迷走して一時期オーストラリアのエセアボリジニを中心としたコミューンにたむろしていた時があったけれど、そこで味わっていた時間感覚と少し似ている。彼らもまた消えてしまっているんだろうなあ。砂にもならずに世界の舞台裏へと過ぎ去ってしまった。それと、今はもう外部世界というものがないのだから、自分の心理が引き受けなくてはならない世界全体のボリュームが、あの時ともそして決定的に今迄と全く違ってしまっているんだろう。そのことを善いとしたり悪いとしたりする基準もまた無くなってしまった。なぜならその為の他者も必要性も光か時空の向こう側に消えてしまったのだから。マルクは隣に腰掛けたままこちらを伺っている女を振り向いた。
「 ご飯にしようか 」
「 そうしましょう 」
このような感覚にはどうしてもあと数日は駆られ続けるのだろうが、彼らは朝食を摂るという、何気なかったはずの生活の一場面についても、極めて不自然かつ不格好に振る舞った。生活を彩り構成する一つ一つの手順や作法というものは、その底から周囲へと張り巡らされた日常性という網の目の中に息づいているものであり、その網の目が失われてしまえば途端に、あらゆる手順も作法も無意識の闇や意識と無意識の狭間の微睡みから、完全なる意識の光の下に引き摺り出され、そこでそれぞれは繋がりの断たれた不格好で不自然な具体的個物と化してしまうのだった。冷蔵庫から卵を取り出す時、これはこの街にあと何個ある、と思って手が止まる。牛乳をコップに注ごうとして、洗う水はいつまで出る、と思って躊躇われる。皿からではなく鍋から直接食べた方が効率的なのでは、それに分量はこれでいいのか。今日自分を待ち受けている活動は、それまでの企画化された労働とは違うだろう。間に合わせのパンとトーストと目玉焼きに牛乳でよかったのか。何のためにいつまで何がいいと言えるのだろうか。もう食べてもいいかな、どれくらいで食べ終わればいいのだろう、食べ始めていいのか、何が待っているのか、次に行っていいのか、いつまで。
「 いただきましょう 」
アルカが言った。そして世界の様子を窺いつつもきっぱりと、
「 いただきます 」
と言った。マルクも自分の意識を今現在に帰しおずおずと言った。
「 いただきます 」
この最初の朝食はあらゆる点で最後の晩餐とは対照的であり、嘗ての文化人類学や認知科学といった観点からしても極めて興味深いものであった。まずアルカとマルクは朝食、誰かと一緒に朝食を摂るということの圧倒的な体感覚に打ち拉がれていた。二人しかいない世界であと何回あるかわからない朝食を二人で初めて執り行うのだ。勿論のこと、先に言及した手順や作法に置ける未決定問題にぶち当たることに由来する過剰な認知的負荷もあったが、他方、ミルクを先に一口飲むかそれとも先にトーストが熱いうちに齧りついておくか、そして目の前の同伴者、自分以外に存在する唯一の他者は、一体全体どうしようとしているのか、そんな逡巡の内に偶然にもトーストを齧る音の二つが重なった時の喜びと言ったら。
ガシュリ
そしてこの小麦の甘さ、香ばしい芳香、ざらついた舌触り、心地よい粒子感、口内でペースト状になった生地に舌と歯でバターを練り込みつつ味わいながら、咀嚼という全体の運動の末に嚥下していく。
「 美味しいね 」
「 美味しいね 」
イエスは最後の夜に後に自らの肉体と称される乾パンを齧りながら何を感じ思ったのだろうか。そこにあったのは感覚だろうか、感情だろうか、思想だろうか。原始的な作りのパンの素朴な甘みと雑味と舌触りと、指先に付けて後追いで舐めたノンフィルターの濃く濁ったオリーブオイルのまろやかな刺激だろうか、それとも翌日から二千年に渡る運命と物語だろうか。裏切りや背信を心に秘めた者共がテーブルに就いていて、そんなことの気怠さと心苦しさはどうだったろうか。最初の朝食だろうと最後の晩餐だろうと根源的にそれぞれのテーブルに乗せられる疑問と方向は一致して、私たちはどこから来てどこへ行くのか、それぞれのテーブルに乗せられた生と死の感触は同じような違うような、どちらでもいいような。
「 私、卵の黄身は半熟が好きなのよ 」
「 そう、僕は結構硬めが好きなんだ 」
「 私、私は半熟が好きって言ったの 」
「 じゃあ今度からは、早くフライパンから上げてあげるよ 」
黄身の硬さはいつまでも曖昧でもいいようだった。このような交感のみが今現在のテーブルでは重要であるのだった。そしてこのような、極めて平凡な日常性を志向する、極めてフラットな戯れこそが、贖罪というような観念から解放されるべき新しい世代と、それらを生む新しさに適う新鮮な生命に、今、求められているのだった。こちらのテーブルで気に掛けられていたのは、現在の一瞬に於ける共感や慰安であり、明後日以降の卵のことである。アルカはマルクの建設的な提案に対し、そういうことでもあるけどそういうことじゃないんだけれど、というような言葉にならない曖昧な表情を浮かべながら、黄身以上に硬い白身をそのまま頬張り、貴重になるのかもしれないありふれた蛋白質をゆっくりと咀嚼し、物言いたげに飲み込んだ。アルカは極めて動物的な本能に基づき導かれながら、今現在唯一の同伴者である雄との間に存在する何らかの境界線を、指でなぞり弄び、多少とも開かれている未来に纏わる可愛げのある確認をしている。素知らぬか本当に知らぬマルクは好みがあるなら先に言ってくれればいいのに、それに僕らはまだ初対面なんだから色々と難しいんだと、ふてくされながら、いつもと同じお気に入りのソースを手に取った。ソースに対しても他と同じような若干の郷愁と、極めて喫緊に関する懸念を抱いたが、主に砂糖と塩に植物油脂と保存料で構成されたこのペットボトル詰めシーズニングなどはいつでもどこでも手に入るだろうと思い直し、むしろいつもの倍量を卵白に掛けようとしたその時、急にふと、確かにもし黄身がもっと蕩けていれば天然かつ一切の無駄のないソースになることに気が付いた。刺激や焦燥の半減した世界ではそれらを感受するために自らを駆り立てるやはりあらゆる刺激物の必要性が低減していたのかもしれない。マルクはそれまでより静かな心でアルカの唱えた合理性に言葉なく同意した。先に述べたようなアルカの雌としての感性と欲求によれば、別にそういう事でも訳でもないのだが、次の日の朝の目玉焼きでは、卵に関する物理的側面に於ける合意の実現が果たされ、アルカは少し嬉しそうにしていた。勿論、マルクが想定したような合理性が追求されたことによってではないのだが、兎角このようなやり取りと掛け合いの中で、二人はあらゆる意味での距離を必要に従って詰めていき、次なる事態の進行に対して、絶対的な準備を完遂しているのであった。
しかしながら、二回目から既に細やかな幸福へと再構成され始めていた朝食の舞台も、確かな幸福の実現に向けた三回目の機会を迎えることはなかった。この時にはもう既に街の至るところで黒い炎が湧いており、また、街の周囲の森林からも同じ炎とその後々の燃料が飛来していたのである。これは神による試練などではなく自然のサイクル、自然の排泄行為に当たる非常なる必然であり、避けられない異化の祭典であった。そこで生命であることのあらゆる都合は解体される。
黒い炎
考えないようにしていたことが、自分の考えに昇る時、何か些細なきっかけがあるのだと思う。今回の場合そよ風に運ばれてきた微かな啓示が、アパートメントの窓枠をくぐってレースのカーテンを撫でてから僕の鼻腔をくすぐり、偉大なる自然の摂理の一側面を、僕達に思い起こさせ思い出させるに至った。生物、ナマモノは腐るのだ。そのことに改めて気がついた僕はその先の圧倒的なビジョンと臭いに鼻から慄きつつも、件の微かな化学的啓示が通ってくるマットレスの横の窓を完全に開け放ち外を仰いだ。すると、臭いに鼻を塞ぐ前に、視界が見慣れぬものを、いや、見慣れてはいるものを見慣れぬ規模で捉えた。僕はこの時点まででも捉えていた自然の偉大な摂理の更なる展開を失念していた。ナマモノ、生物は腐り、腐敗もまた生物を生み、育み殖やすのだ。まず何よりも無数の蛆と蝿を、次なる生の舞台の温床として。地上二階の高さは蠅達の大通りと化していて、その小分けに開け放たれた袋小路である我が家の空間を目敏く嗅ぎ付け、瞬時に数十匹が、一団の塊となって飛び込んできた。彼らは蟻や蜂のように社会性ある伝達と連携を取っているのだろうか。窓が閉ざされたこの空気の袋小路で、やはり百匹を思わせる体積に膨張した黒い使者どもは、シンクに置かれたお皿の上の残滓や、手を付けていない果物のツルリとした皮の上で手をこすり合わせていた。実際に見えたのではないが明らかにそうしているのが感じられた。羽音とは別の摩擦音が響きそして満たされているような気がした。彼らの起こすあらゆる空気の振動が異常に大きく感じられ、気が付くとアルカも目覚めていて、横になったまま微動だにせずに横目の眼球だけで静動の黒点を視認し、心の奥底では考えないようにしていたことを寝覚めの頭で考え始めたようだった。その目は既に涙なく泣いており、その口は既に言葉なく叫んでいた。現状否定するために目と口を閉じるも、眉間の皺は一瞬で深まり、顔面は分かりやすい絶望一色となった。この手のことに絶大な生理的嫌悪を催すのは女性としてはむしろ健全なのだろうと、僕は彼女のお陰でむしろ冷静でいる自分に気が付いた。それは、彼女がそのまま恐怖に関する参照点でありかつ守るべきものだったからだ。僕はこれから数日の間にしなくてはならないことに考えを巡らせた。隣で彼女は絶望一色となった死の現在世界に思いを巡らせて絶句、感情と感覚を有意味に停止しながら、時たま急に首を回して壁の向こうの部屋の外に意識を向けて、死の湧き出している其処彼処の黒い泉を想像しては、小さくヒッと叫んで小刻みに震えていた。シンクでは十数匹の蝿が小麦と卵の滓に舌舐めずりしながら舌鼓を打っている。残りの多くはまだ食い破られずツルリとしたままの果物の皮の上でスリスリと触手を擦り合わせている。さて、どうしようか。
まず、遅かれ早かれ街を出ないといけないだろう。人間を失ったこの世界で、自律的な腐敗と誕生のサイクルがあと何度繰り返されるか分からない。街という人工物が人為を離れて自然へと回帰していく際に想定されるサイクル。少なくともあと一度か二度は、土に向かう夥しい生の激しい明滅が反復されるだろう。想定される二度目は、街に眠る無数の冷蔵庫の中で緩やかな化学進行が臨界点を超えた時。次の三度目は、街のインフラがついに停止し、恐らくは生鮮および冷蔵食品の何倍もの総量で街に隠されていた冷凍食品が冬眠から目覚め、覚醒から腐乱へと一気に坂を滑り落ちる時。赤い林檎の光沢の上で蝿が未だ胡麻擦りしている。もうそれは君のもの、この都市世界に残された全ての有機物はまず持って君達のものであるのだから、遠慮せずに食い破り、無数の白桃の群れのような卵を産み付けていくといい。事態は結局そのように進行していくのだから、展開は早い方がいい。でも僕はこの時、僕よりも待つことを知る蝿のお陰でさっきの僕の考えが余りにも不完全であることに気が付いた。この都市のアスファルトの上の沢山のプレハブとビルディングの中で、今既にもう腐乱している林檎もあればそうでない林檎もあり、それぞれの決壊のタイミングは防腐剤などの文明的配慮によって穏やかに定められているのであろう。つまりそう、これから暫くは任意のタイミングによって紡がれる腐敗と腐乱のロンドが延々と継続され、その内実としてのメロディーなのかスタンディングオベーションなのかわからないが、蛆の卵子がプチプチと孵る音とその親である黒い使者が忙しなく飛び回る羽音によってこの街は満たされるのだろう、いや、この世界中に散在する全ての街が。一種の生命が絶滅することによって他種の生命がこれ程までに繁茂することが地球の歴史にあっただろうか。恐らく人間程独自の意識的な組織と広がりと密度を持った種でなければ、そのような種の瞬時に於ける消滅によってでなければ、生態系に起こり得ない事態であったのだろう。人為の揺り戻しは常に過激かつ急峻である。しかし彼ら黒い炎はそう永くは燃え盛るまい。私達が地表に蓄えた化石燃料が尽きてしまえば彼らはまた土に帰り潜むのだ。それまではバブルが続く、生まれては弾けそして消えていくしかし土へと向かう生命のバブルが。二三の蝿がまだ艶やかな林檎の上で二本の手を擦り合わせている。
さて、余り考え過ぎてはいけない。動けなくなってしまう。感じ過ぎてもいけない。留まっていたくなってしまう。僕は自分の位置付けと役割、それに状態を参照するためにアルカを見た。絶望と恐怖に目隠しされて、明るい風景が見えなくなってるみたい。動かなきゃ、動かなきゃ、守らなきゃ、僕を、僕は、数泊用のアウトドアバッグに、ナイフやロープ、ポンチョといった基本的なサバイバル用品、それに最低限の調理器具と燃料、バーナーと、保存の効きそうな穀物や乾燥食品、それに水と何回か分の着替えを詰めた。彼女の家に寄れば彼女用の服や衛生用品を調達できる訳だが、まだ意識に昇り切らない微かな予感が僕の気持ちと手足を急がせていた。音としては、四方を囲むホワイトノイズのような羽音とは別に、何らかの生物の足音や鳴き声が聞こえてきて、それらがどうもとても興奮していること、そして音以前の漠然とした感覚によってもやはり多数の生命がこの街に集結しているように思えた。そしてやはり彼らもまた興奮し、それだけではない、憤っている。もしかすると蝿にも感情機構というものがあれば、ノイズのような羽音とは別にそのようなシグナルを発していたかもしれない。数という防御壁を失った僕ら人間は、世界と自然からの感情を一気に一心に向けられているような気がした。部屋の光を反射する二つの林檎に止まっている数匹の蝿がこちらを凝視している気がする。放っておけば蝿を経路にして世界と自然の何が飛び出してくるか分からない。そもそも彼らは完全に個体なのだろうか、それとも一体なのだろうか、種内であれ、種外であれ。次の段階を待機している風の蝿達を他所に、地下の食料庫から缶詰を引き上げてきてザックに詰め込もうかと思案したが、解放された空間の腐乱から逃げようとする時に、密封された食べ物を持って行くのは何だか逃げ切れていないような気がしてやめた。それに缶自体の重さがあるし、アルミの成分が中身に溶け出していると聞いたこともある。だが本当の理由は合理的ではない。もし開けた時に腐っていたらもう一生涯何も食べられなくなる気がした。僕はアルカに水の一杯でも飲むように勧め、彼女はコップを跳ねつけた。今のここでは、彼女の世界で液体の全ては蛆と腐敗のドリップを含んでいるのだろう。水道水は未だ、清潔であるビニル管に包まれて運ばれ、何なら微量の防腐剤だって含んでいるというのに。そして彼女のそのような非科学的態度を通して自分も同じ状態になっていることに思い至った。つまりここから動き出し、つまりここから抜け出さなくてはならない。このような状況と状態から、頑張って横移動しなきゃ。科学と日常、清潔なる都市生活、僕らの宗教はどこかへ行ってしまったのだろうか。それらあらゆる物語が消えゆく流れにあるとしても、もうその流れの最後の滝のすぐ手前にいるとしても、ひとまず手元に残されたものを手に取り、いつか新しい土地で孵すことができるように、温めながら歩き出そう、かな。ということで僕はザック一つを肩に引っ掛け、毛布にくるまったアルカをそのまま包んで小脇に抱え、部屋の外に飛び出した。林檎に泊まっていた蝿が驚いて僕らと一緒に外に飛び出す。ガイドしてくれようとしてるのかもしれない。事態の深遠なる渦巻きの底へ。
街路に出て改めて圧倒された。旧約聖書の世界や嘗てのアフリカ大陸で人々を畏怖させていたイナゴの大群とは、このようなものだったのだろうか。あらゆる果実を刈り獲ろうと密集する闇の斑点によって生成された三次元の闇が、四次元のようにいつまでもいつまでも終わらずに流れていく。彼らはこの規模のまま街に潜んでいたのではないだろう。どこで小規模な生命サイクルを回しながら刻を待ち侘びていたのだろうか。気が付かなかっただけで、庭や森の土は蝿の卵で溢れていたのだろうか。よく考えれば一個の命が数十数百の生命の可能性を孕み産むとは脅威ではないか。そして今は彼らの取り、種の可能性即現実であるのだ。都市のインフラの主要側面は今や彼らの可能性を全面的に支援している。僕らは一つの生命種族の最大萌芽を目撃しているのだ。もうここに清潔と不浄の観念と感覚は存在しない。その喪失感は善悪等というより高次の観念と感覚もまたとうに失われていたことを教えてくれた。正義も公平も愛も保護も今はここに存在しない。ミニマムな地平から新しくコンパクトに建設される必要がある。人間の複雑な繋がりと組み合わさりが消えた時、一人の人間の頭の中のそれらネットワークも喪失を開始するのだ。まず起こるのは遭難であるのかもしれない。僕らに新たなアダムとイブが生まれたとしても、野生動物に僕ら分の毛が生えた程度になるのかもしれない。こればかりは時間と忍耐の話や問題になるのだろう。しかし例えそうであるとしても、そこからもやはり時間と忍耐の問題が発生し、運が良ければ解消され発展していくのであるから、今は今で今として良いのかもしれないと思いながら、僕は僕の脇に殆ど寄りかかるようにして僕と繋がっている唯一の連なりの方を見た。アルカは見ることも感じることもやめた歩行機械となっているようだった。その表情は不思議と一周回って厳かだった。見ることだけにした思考と運動の機械となることを選んだ僕はどのような表情をしているだろう。数歩先の黒一色を背景にして彼女に聞いた。
「 何も聞こえないわ 」
彼女は梟のような動作感でこちらを振り向きあちらへ向き直った。風景を情報として見て取ろうともしていないのに目は行き先ばかりを向いている。意識を手放した彼女の無意識は僕の方位磁針であるのかもしれない。それではじゃあ、その視線の先のもっと先、森へ、森へ行こう。そして山肌に触れ、その山に建設された避難小屋へ辿り着こう。今はもう九月であるのでこれからは寒くなる。それまでに十分な毛布や燃料をどうにかして手に入れなきゃならない。まずは森と山を目指して、僕らは黒くて五月蝿い川の上流へと歩を進めた。黒い川の源を超えて行けばそこに、静かに満たされた清浄の空間があることを信じて。
僕らは目線の高さをボリュームゾーンとする黒く太い濁流を避けながら、しかしながらそれを頼りにして街の外に進んで行った。やはり黒い波の大半は町の外から押し寄せている。人間の喪失が地震と震源地になってその真空を埋めるようにして、人間の外に広がっていた森の生命たちが蔓延ろうとしている、そんなことの第一楽章を、生々しくも目にしているような気分だった。ただ、もうそれしか見えないものへ頼りにして進むことが今回ばかりは正解であるように思えていることが、今現在の不幸中の幸いだった。そんな風にしてどんな闇の中でも光を探し当てるように、僕らの視線も意識も出来上がっているのではと思いながら、小学校で習った火中のビルから煙と一酸化炭素を避けて避難するようにして身を屈め、かつての日常ではネズミの常用路であったようなアスファルトの継ぎ目を這うようにして進んでいった。伝わり切っていないのかもしれないが、街の通りは本当に黒い帯に満たされて、そんな隙間以外に空白はなかった。僕達はこの時、通路についても方向についても、自分達で選んでいたわけではない。自然の摂理の裏面に強制されたのだ。今はなぜかそれでも居心地がいいような気がする。アルカは無力に放心して僕を頼りに付き従って来てくれている。力なきアルカの肩越しに通りの中央低空地帯に目を向けると、鼠が屯していた。鼠達は人間の居なくなった街で遂に自由な往来を獲得し、蝿達に次ぐ確実さと領分に於いて優に無限の食物と、一時的な爆発的繁茂の可能性にありついているようだった。
黒に圧迫された灰の匍匐前進の単調に、僕の意識は内的世界への思考へと吸い込まれていった。そういえばペット達はどうなったのだろうか。人間が都市に組み込んだ愛玩動物たちは。檻を免れていた者たちは野生化するか野垂れ死ぬのだろう。檻に生かされていた者達は檻の中で絶命し、その死骸にふつりふつふつと溜まっていく澱をまた蝿がすすって回収し、生命のサイクルに呼び戻してくれるのだろうか。するとどうして蝿が偉大なシステムの突端であり、本来なる土壌へと続く緩衝材のような気がしてくる。というか実際にそうなのだろうし、そうであったのであろう。しかしどうして森の土の上や庭のレンガの下に生きる団子虫達に感じられるような清潔さが、彼らにはないように思えるのだろうか。昔ゴミ捨て場に打ち捨てられた猫の死骸に、全世界分の蛆と蝿がたかっているように見えたことがあったが、その時もその翌日にも、同じ死体に団子虫の訪れを確認することはなかった。しかしその隣で団子虫達がゴミ捨て場を影にして覆う落葉樹の葉を、一心に食んでいたことを思い出した。もしかすると、団子虫達が噛み砕くは植物の死であり、蝿が咀嚼するは動物の死なのかもしれない、と、今に思った。僕達はあくまで自分たちの可能性に対して好き嫌いや快不快を抱くのだろう。しかし植物は団子虫達に嫌悪を抱くだろうか。いやもしかすると、動かない彼らは、自分達でないものらに動かしてもらう分、自分の形が変わることに、変えられることに、抵抗も不快も、意識さえも持っていないのかもしれない。逆に言えば団子虫なんてほぼ植物なのだろうか。彼らの蠢きはとても可愛らしいけれど。目を上空にやると僕らの終着的可能性の渦が奔流となって過ぎていく。ヴーンヴーンと音が壁のように五月蠅く鳴り響き続けている。まるでいつまでもずっと続くようだ。ふと岩石達の確実さやある程度の永遠さがとても羨ましくなる。でも今はこのような自虐的な自意識を打ち捨てて、お願いだからどうにか街を出て行かなくてはならない。抑圧にパニックを起こさないように一つだけ深く深呼吸すると蝿を一匹パクリと飲み込んだ。驚いてその一匹を噛み千切り嚥下する僕の隣で、アルカは瞳を灰にしてうあうあ言っている。状況は充分に最悪であり、残酷なぐらい自然だった。残酷さだけを頼りにあと一歩だけ前に進む、を繰り返した。
数ブロック進むと街の外縁を成す川に掛かる橋があり、その下に流れる川の上を黒い奔流が駆けている。川の水は山から海へと下って行くが、蝿達は途中で横に折れて街へと流れ込んで行く。一般に空気の流れも、そこに含まれる匂いの移動も、山から海へ吹き降ろされる。特にこのような内陸にある、中央山脈よりは大洋の方が近いような街では。川の水と蝿は一緒になって山から海へと続く流れを形成するも、蝿達は途中で川の水との縁故を切って街の内部へと雪崩れ込んでいく。世界がこのような終わりを始めた時からずっと気に掛かっていたことが幾つもある。無意識の確信をいつも意識は気に掛ける。僕はそしてアルカも、最初の一瞬からもうこの世界に同種の生物は自分達だけになってしまったことを確信していて、知るというよりただ感じることでそのような見解をもつに至っていた。更には他に例えば、住み慣れた自室から出来るだけ早く出た方がいいような不安も確信に近いものであり、その動機が街の腐乱と黒い噴火だけではなかったことは先に述べた通りで、そしてそのような無意識的推測は、やはり正しかったことが今明らかになった。今この瞬間に僕達のいる場所、街から外へ出る橋の手前、その外側に広がる膨大な世界のあらゆる方向から、一丸と大挙しているとは言わずとも、幾つもの群れた生命の気配が、その移動と情動の発する音が、音響が聞こえてくる。移動する生命であれば動物だろう、しかもかなり大きい。大きいもの達の間に小さいもの達が無数混じっている。彼らもまた匂いと、匂いとは別に繁殖のビジョンに導かれて、崩れゆく都市へと進行してきたのだ。彼らが行うのは至って純粋な略奪であろう。食べる、喰らう、喰らい尽くす。食べ物を包む食べられないものまで食べて死ぬものが沢山出るだろう。アスファルトとか塩化ビニルの上に横たわり、吸収されない死という排泄物となったものを、蝿達が空からスポイトのようにすすってはそこに無数の卵子を産み落とし、固形の残飯を苗床にして指数関数的に萌芽する。部屋に留まっていた頃の自分の推測は不完全に過ぎたが、結論される現実に大きな誤りはなかった。これからこの街では、街としての物理的輪郭を保っている間、生と死による正負の指数関数が寄る波返す波のようにして実現する。生存を望む生命はこの生と死のロンドから離れなければならない。実際のレベルにおいて僕らの行動と目的に変わりはなかった。森へ、山へ、個体としての生命の輪郭が耐えられる境地へ。
緑の煉獄
行き違う動物の群れの息遣い、そこに含まれる興奮とえも言えぬ憤怒、彼ら自身も分かっていない、純粋な好奇心、大きなサイクルに導かれる小さな小さな使命感、欲求、慎ましい欲望、の群れ。彼らの生命としての事故的な躍動が私の意識を呼び覚ました。街の境界を出たらしかったことも大きいだろう。いつから厚手の毛布にくるまっていたのか。そこからはみ出る手足ばかりを触手のようにして、目を瞑り、ただ隣人に寄り掛かって、ここまでを来たようだ。歩きにくい。冷や汗を吸って肌にまとわりつく肌色の毛布を払い落とすと、そこはもう舗装のない砂利道であり土の悪路となっていることに気が付いた。私の代わりの思考と運動の機械となってくれていた隣人に、私は漸くおはようのような挨拶をした。
「 ごきげんよう 」
「 ご機嫌いかが 」
今朝はこの男の横、腕の中で目覚めた。その一つ前の朝も確かそうだった。その前の日に私達は出会うべくして出会っている。それが残された出会いの可能性の唯一だったからだ。そこからの安寧を少しばかり過ごした後に、余りにも巨大な生理的衝撃が私の理性的機能を吹き飛ばし、そのことがむしろ私の人間性を保護していてくれたことを思い返した。モノクロのような簡素な視覚的ビジョンしか浮かんでこない。あり得るべき匂いや手触りは既に私の記憶から失われていた。人間は都合よくできていて、生き延びることにつきとてもしぶとい。マルクが隣でずっとぶつくさと何か呟き歩いていたことだけは憶えている。私もそれに合わせて足を動かしここまで来たはずなのであるが、有り難いことに実感がない。向かう方向は逆であるが山林から進出してきた動物達も何かを熱く呟き冷たく議論しながら目的地へ向かっていく。都市、嘗ての私たちの生活舞台への脅威であることに変わりはないのに、何故だろう、彼ら動物達には嫌悪も反感も抱かない。単純に生き物としてのフォルムとポジションの近さや親しさに由来するのだろうか。どうしても今このような考えを巡らせていると、思考の行き先は生死の事柄になってしまうし、物の考え過ぎは今どう考えても悪く作用するように思えたので、私はもう思ったり考えたりすることをやめて、急な絶望の中で自分が無意味のサイクルに嵌まらないように、隣人の存在を掴むべき葦として、取り敢えず何か話し掛けてみた。
「 ねえ、街を出る時から、貴方何を呟いてたの。口から全部出たわよ 」
「 君は最初の瞬間にどこまでを確信してた?」
唐突な逆質問、男の悪い生理だ。そうだよなあとマルクは独り言している。そしてペラペラとこの世の真理を教えてくれる。
「 昔、就職前の数ヶ月の間、持ってた通信機器の全部を金庫にしまって過ごしていた時期があるんだ。最初、バタンと扉を閉めて見もせずに適当にダイヤルを施錠してから、顔を上げて立ち上がると、その瞬間から、自分の所属する空間が広くなったように、以前よりずっと豊かな情報世界に位置づけられているような気がした。その時に似ていたんだ、あの瞬間の気分は 」
「 分かるわ 」
疲労だけでなく共感の為に簡潔に答えた。
「 多分、僕らは自分で想像したり意識したりする以上に、他者、他の人間との繋がりや連なり、多くの挙動に対する反応や予測に神経を使っている、沢山の資源を割いているんだと思う。特に、現代生活が必要とする種々の通信機器は、そういう資源漏洩を足し算していただけでなく、掛け算していたのだと思う。だからそういう負荷の全部が消えたような気がした落雷の瞬間、その直後、君を振り向いた時に、僕が新たに所属するこの無限に広い空間に、なんてちっぽけで愛らしい、素敵な生命がいるのだろう、と思ったんだ 」
「 そうね 」
共感とそれを超える疲労のために簡潔に答えた。でも、確かにあの瞬間、あの瞬間から、空はそれまでよりずっと遠く、広かった。どんな光も、届かないような、どんな神話でもそこに、新たに書き込めるような気がした。私たちは少々詰め込まれすぎていたのかもしれない。それは全く確かなことだ。部屋の中にも、財布の中にも、頭の中にも、心の中でも、人と人の間にも、詰め込めるだけの物体や情報が詰め込まれていたのは確かだったような気がした、ところで今現在の具体的な私は、本当に何も手にしていないことに気が付いた。マルクがずっしりとした登山リュックを背負っている。彼の息遣いは進行方向を支えている。多分、大丈夫ということなのだろう。生きていけは、するような気がする。生きていくこと以外は暫くはすることもないのだし。それしかないことをそれとして、ゆっくりと繰り返していけばいいのだろう。山の麓、斜面に差し掛かってきたところで、街を振り返ると、半月の光の中で街が炎を上げていた。夜の闇より黒い炎、死を吸って肥大する黒い炎が、カーニバルのように燃え盛っていた。祭りの興りを逃すまいと、小さなものから大きなものまで、半月半夜を多種の群々が山野から街へと進んでいく。彼らもまた何らかの確信に導かれてはいるようだった。元居た場所に帰っていくものは少ないのだろう。彼らは消滅の清算に動員される、寡黙で愛すべき作業員のように思えた。彼らの目は私達のそれとは仕組みも成り立ちも、目的も違う。ずっと遠く、別の次元を見据えながらも、この世界での欲求に駆動される彼らの体躯が、揺れながら入り混じって、黒い滝壺へと吸い込まれていくのを、私達は長い間眺めていた。あらゆるものが揺れていて動けなかった。私はマルクの手を握り返した。世界が揺れながら閉じていく気がした。
私たちの一日、生活の習慣は、概して早く再生された。それまでは七日であった一週というリズムも、手近で身近なテンポに従って作り変えられていった。私たちは無駄な労力と資源を費やすことのない暦へと日々の挙動や動作のレベルでフィットしていった。すると私の体は皮肉な程に、月の呼吸を宿し始めた。街で生きていた頃は薬剤で鞭打たなければ走らない荷馬のようだったそれが、今は平原を自由に駆け巡る野生種のように力強く、呼吸を通じて私自身と一致していた。週はさておき月はこのようにして、私たちの心身に同化された。野生なる月の巡りの力強さは私の体の目につきにくいところで表れ始めた。気怠い排血や気分の昂揚と下落、摂食行動の明らかな変化といった感知しやすい、どちらかといえば不快な身体現象は鳴りを潜め、物の考え方や見方、感じ方、肉体的苦役と苦痛への漠然とした許容度、それらを乗り越えた時に訪れる心理的な明快さや爽快さ、への感度、その他の物事へのあらゆる心理的な感触、何気なく感じ取る熱さと冷たさ、そして生活を共にする者への全般的な求めの強弱、といった、それまでの生活上のリズムやテンポの中では感じ切ることが許されておらず不能に甘んじていたような、緩やかであり穏やかでありながら太く強い波のような変化、大洋を構成する海流そのものであるような動き、蠢きによって、私の生活と時間は満たされていった。
マルクは次第に口数が少なくなり、その一方で、眼差しや息遣い、肌に触れる手の感触、衣擦れ、衣と衣の衣擦れ、朝のコーヒーやティー、自分の為でなく机に残していってくれるもの、ベッドシーツが知らぬ間に清潔な白い麻となっていること、など、言葉を必要としない明白なる事実と真実によって、私に語り掛けるようになっていた。このことが何を意味しているのか私には分からないが、彼は無理なく自然を経由して私の前に現れそして訪れる、世界の円滑なる蝶番になっていた。このような連綿な変化と変異の中、名付けることが出来ず、名付ける必要もない、揺蕩うジャズのような感情で私達の部屋と生活は満たされていった。
私達の小世界がこのようになるまでには数ヶ月の時間と、二人の人間から生み出され得る限りの膨大な労力が費やされたが、今に至る為の投資を越えた供物そして儀式として絶対に必要だったのだろう。山中の避難小屋が、辿り着いたその時から今のように無駄のない贅沢で満たされていたとしたら、私達二人は絶対に、今現在享受している満足の確信であるところの、限りなく強くありながらゆったりとした無名の感情、言い換え自己確信を、醸成することなど出来なかっただろう。それに、建て付けばかりは非常に立派であった避難小屋での生活を、避難的でない定住に変化させつつ、生活によって自分達を人間として定義し成立させ続けること、例えば自然と文明の間にありながらそれぞれを間借りすること、そのようなシステムとサイクルを肌感覚から構築していくこと、これらの作業は絶対に、肉体及び具体的な時間を持って擦り潰すように通過されなければならなかった。でなくては発狂していただろう。自分に纏わる解体と建築の一々には、自分の手と頭を使い込んだ方がいい。どこかで梯子をジャンプすればそのまま落ちていくような仕組みが、一個の生活を超えた領域で機能しているような気がした。私達二人はこのような事柄について、共に手と足と心を使い込んでいく中で、確かな合意に達しているようだった。だからこそ今のように、時間と空間を迷子になっても、自分の他にただ一人残された隣人と、今ここのこの瞬間に於いて、共感に達することができる。その内容は決して不安や孤独ばかりではない。助走を必要とした一つの方向性が、細やかな生活を厳かに貫き、当事者を導いていくであろうことを、感じ、そして信じている。原始的かつ実践的な宗教の発生の現場に居合わせているのかもしれない。
自然と文明の合間に間借りした私達のそのような生活は、必然的にとても小規模で慎ましいものであった。衣類は街に残されていた遺物を丁寧に仕分けして、何世代分かの将来を緩やかに予測しつつ、湿度の低い冷暗所に保管した。その他の生活物資についても、私達は早い内に、汚染されていないものを厳密に仕分けして、それぞれにとって適切な空間に密閉した。都市のレンタルスペースのコンテナや名も無き小部屋、マンションの最上階の角部屋、風通しのいい一室、密閉性の期待できる一角、郊外の豪邸に見つけた洞窟のようなワインセラー、そして本物の洞窟や湖沼までをも、各々にとって望ましいタイムカプセルとして利用した。この時程に、物体と環境の相互作用や、あらゆる境界面を超えそして侵襲する化学反応というもののあり方について、頭を悩ませ心を巡らせ、手を動かしたことはない。まさにこの時の作業は私達の歴史であり得た。そして歴史とはこのような一々の具体的な保存努力によって建設され、建築されていくものだということを知った。その工程の大体はないまぜであり、折衷的、時に行き当たりばったりだった。
確かに、電気を確保できるなら冷蔵庫へ放り込んだり、水や空気を遮断してしまうことが正解であることは多かった。でもそれがベストでないことも多々あったし、それに、科学や化学からしてベストな状態を現実的に追求することは困難であることが多かった。腐敗を完全に除去しようとすると、ちょっとした切っ掛けで激しく腐乱を開始した。現実的なベターとして、多少の風化や酸化、劣化は受け容れざるを得なかった。持続可能な半密閉冷暗所を作ったり見つけたりすることに人為的な努力を傾けた。これは後々になって体感された喜ばしい偶然、または誤算であったが、折衷として受け入れられた穏当なる劣化、化学的経過は、時に発酵や、風合い色合い、味わいの深まりとして現れることが多々あった。このような時にはいつも歴史の実際面における新しい一行に出くわしたような満足を感じて、マルクと私はそのような幸運なる偶然のヴィンテージを見つけては、期待されていた一定の生活質感から逸脱して、味わい、楽しみ、愉しみ、慈しみ、喜び合った。紙が貴重になった現状にあっては、日記ですらもエッセンスだけでブレンドした濃いめのカクテルとなってしまっているが、過ぎ去ったり失っていく中で齎されるあらゆる些細な変化や変異、往々にして濃密さを取り戻す、語ること話すこと記すこと、行うこと、思うことの一々が、私達二人だけとなった世界の重量を回復することで、突如膨大なる喪失によって突きつけられた無限の軽やかさを、超克してくれていた。私達は取り立てて話題にしたり話すことはなかったが、親族や知人友人を一挙に失い、もはや彼らは時空の外側へと放り出されたのか、それとも私達がそうであるのかという、果てのない疑問、その背後から忍び寄る虚無感、その上で生活と歴史を再開しなくてはならないという徒労と無力の情念に、常に歩み寄られるような状況だった。失いから重さを醸成し回復させ始めたのは、知的動物がそれまでのコロニーを完全に失ってもなお生き延びようとする際の、恵みのような誤作動か、決められていた仕組みだったのだと思う。何かと付けて表現も表明もし辛い情動の波に凪に晒されながら、私たちは絶対的不定の上に安住を築こうとしていたのだ。それしかなく、それは間違いではなかった。マルクが唐突な宣言のような告白をしてきたのは、私達は間違いであり得ないという先の確信が、互いの目に宿り始めた頃の最初の満月の夜だった。
「 次の満月の夜に交わって家族を作ろう 」
「 貴方セックスしようくらいはいつも言ってたじゃない 」
最初の夜から重ねてきた営みについて余りにも荘厳に言い換えてきたマルクの真面目と純朴に私は笑った。しかもマルクのそのような性質は山に入ってからなお増してきているように思える。
「 いや、目的を持ってというか、避妊具を使わずにというか 」
山での生活が落ち着いてから余り思弁的な頭と言葉の使い方をしなくなっていたマルクは、言語以上に赤面と、熱の籠った麗しい眼差しによって私に欲求と欲望を、一途な希望を伝達してきた。勿論現世界この状況で一途以外であり得ることはないのだが。小屋での生活が安定してから、私はよく本を読み、貴重な紙に小さな文字と稠密された構成で文章を書くようになり、一方でマルクは斧や鋸といった原始的な道具を手に馴染ませて、大振りな建設を物理的に済ませる能力を育んでいた。何かしらの性、サーガが、橋を越えて森を抜け、山に辿り着いてから時間を掛けて、変わるか入れ替わってきたのかもしれない。しかし思うにこれも導きのように思えた。出来事の当初から明晰に機能し始めた直感がここでも働くのだ。勿論その声はそれでいいということくらいしか言わない。私は何かを授受する為に情報的な建設をし、その為の温かく安全である巣を彼が建築している。勿論私もその維持と保全の為に労力を尽くした。しかし生活がこのように再開されてからの役割と、その為の位置付けが、新しく決せられたような瞬間が、どこかにあったような気がするのだ。それは多分思い出せないので、私は目前で赤らむ一人の男の瞳を覗き返した。彼は終わりに収束し得る、一つに絡まる二つの生のその隙間に、新しい夢を見てる。二重螺旋のその間から第三の芽が芽吹くことを想像してる。そのようなヴィジョンを現実として創造することが出来る否かはほぼ一身に私の肉体が負っている。心の方は既にかなり前からゴーサインを出している。だから私は
「 いいよ 」
と言った。私じゃない何処から響いて来たお告げのようにも感じ思えた。それから一月の間、私達は昼にそれぞれよく働き、夜には集ってお月見をした。生活に必ずしも必要とならないハーヴを小屋周辺に植えてみたり、山の向こうから今でも時たま街へと向かって降りていく中型動物の群れを罠で捉え、新鮮なままにその肉と臓を食べたりした。残りはこれから新しく導入する作物の為の堆肥とするべく、深い深い穴の底に投げ入れて腐葉土で蓋をした。滲み出る養分が周囲の土を満たして実りを齎すか、それか、いつか私達の生活上の実際が、地層となってその頃の現在に噴き出すのかもしれない。何にせよ楽しみだ。結局は何がどのようにして無に還ろうとも。いつか何らかの姿形で有として生き返るのだから。
夜にも朝にも珈琲が淹れられることはなくなり、畑の一面を埋め尽くすように繁茂したセージとミントの新芽が都度都度摘まれ、沸かされた山水と一緒にテラスのテーブルに置かれるようになった。街の百貨店で入手した綺麗なクリスタルポットに、好きなだけのリーフを詰め込んで、そこから湯気を上げるミネラルウォーターを注ぎ込む。芳香を含んだ煙が宙に溶けては消えてゆく。朝であれ夜であれこのような儀式が前戯のように繰り返された。私はマルクに何処かしら、全体的なプロセスのその全体に、忠義を誓って仕えるばかりの愛すべき忠犬のような印象を抱くようになっていた。そして何故かだからこそどうしてかそのペニスを身に挿れることの快楽は大きいような気がした。セックス自体は山小屋での生活が軌道に乗ってから、乗り始めてからは余りしなくなっていた。巣とプロセスと何らかのシステムが組み上がった後、私は自然に女王蜂のようになっていて、働き蜂かつ雄蜂を兼ねるマルクへの視線と動線は常に許可と不許可のニュアンスを醸し出していた。このことに関しても件の直感はそれでいいという宣告を下していて、マルクの方もそれはそうであるようだった。私達は自分達が半ばゼロから自作したプロセスかつシステムの中で共犯者となっていて、それで今日明日の受精までの道のりを殆ど完璧な舵取りによって進んできたのだ。マルクの心身も性も知性もそのことを分かっていて見抜いている。だからこその確信に支持された寡黙と寡黙的奉仕だったのかもしれない。彼の彼という情報は私に挿入されたがっている。私もまた何某かの導きによって挿入されたがり、混ぜ合わされ、生まれ生まされたがっている、のを最も強く感じた翌日、満月の夕、淡い陽光の中で真円の月が昇っていく様を二人同時に眼差した後、今夜もうそれをしようと、カレンダーの無いこの生活の中で、生の体感と未知の直感に従い、我々は契約をした。我々というのは本当に我々という意味だ。
聖なるセイセイ
照明の無い部屋の裸の月光に晒されて、包まれながら、マルクは私にゆったりと愛撫をし続ける。撫でること、壊し壊されること、愛でること、愛すること。それら人生のラフ画のような観念が身体感覚となって私を襲う。マルクは激しく私の中に何度も何度も射精する。未だ訪れていないすぐそこの未来の話だ。汗が延いては溢れて間を満たす。そのような汗が何種類も噴出する。常温になったハーブティーが大きなピッチャーに入れられてベットサイドに置いてある。途中乱雑な動作でマルクがピッチャーを持ち上げて浴びるように中身を喉奥に流しこむ。手放しつつある女王性を対価にしてこちらにもそれを与うように催促する。目線と首の、ちょっとした傾け、それに指先のなぞり。マルクは意図的に乱雑であるままにセージとミントの抽出液を私の口に喉奥そして内部内部に、口から口へと押し込んでいく。下半身は繋がったまま。そちらからの液体はまだ合流しない。私は自分のクライマックスを喘ぎによって予言する。到来の為に私は彼に一つだけ横暴な力を発揮しないといけない。それもまた我々の契約に含まれているような気がした。全ての知的側面と力の発揮を開示し提示すること。このセックスはそのための総決算であり総覧会であるように思えた。月に浮かび上がった黒点がこちらを凝視しているのを感じる。そして囁いているように思う。我々はまだ貴方方の全てを目撃していない。まずは貴方に重なり覆い被さる男の首を噛み千切るように歯をそこに当てるといい。私はこれまでを導き支えた直感なる声がそのように囁くのでマルクにそのままその通りのことをする。マルクは痛みの慣れぬ快楽に反応している。体の下半分が身震いして振り子の運動を拡大していく。ちょっとした痛みとそれによる快楽とそのことの驚きが、この、私の為の農夫となり工夫となり兵士となり戦士となった男の、満ちる月に合わせて減衰していった理性の最後の欠片を、消し飛ばしたようだった。重力に任せて下肢の大部を打ち付ける打音に合わせて、マルクは呻きそして嘆き、泣き、あらゆる穴から涙を流しながら、そのような排出運動の中枢として私の下腹内部に、何度も何度も射精した。合わさり、彼に合わせて消し飛びそうな自意識に縋りつきながら、私は自分を構成する一つの内的器官が、これ程までに貪欲かつ無心に目的を実現しようとしてる様子、大きく息を吸い込んでは吐くようにして体液を選別しては他に由るものを取り込んで自らに由るものを吐き出している姿、その運動を、どこか他人事のように眺めていた。筈だったのだが、喉元が急に痙攣したかと思うと、その下が深いウェーヴを打っていることに気が付いて、マルクと合わさったそのずっと先の足先よりも遠いところから、山を降りた海の底から引き摺り出された深層海流が、私の肉体を通り過ぎるように畝りながら昇っていくのを感じて、次の瞬間には一つの器官に、内外の無い一つの器官に、自分が融解しながら成り果てているのを感じた。マルクをも取り込んだその一つの器官であり現象から二人由来の熱が溢れ出て、その湿潤した灼熱に溺れまた溶かされていくのを感じた。その後のことは覚えていないが、次に入って来たものの質感と目的だけは何となく思い出す。
マルクと溶け合い消滅した闇の中で、闇に差し込まれ溶かされた月光の先に、満月を背景にして星が光っているのが見えた。マルクは傍にいるのか静音に近い寝息を立てて眠りの世界に浸っている。であれば私も自分の夢を見ているのかもしれない、するといやこれは夢と現の合間の出来事であり約束なんだよと、光る星の一つが私に囁き掛けてくる。近付いてくる星の影が実体を増していき、それが頭と四肢を有した生命体であることを私は理解し受け入れる。星から人型生命が降って来て、いや光りながら降下して来た私を星と間違えたんだと、その光る生命が私に耳打ちする。彼はもうベットサイドに立ちながら腰を屈めて私の寝顔を覗き込み、私は自分が眠っているのか起きているのかを必死で考えるような振りをして、決まっていたし知っていた次なる段階を当座、それもお決まりのように振り払って否定しようとしたのだが、名前の知らぬ彼、私の名前はこの星の音色によってプリムと呼ばれる、私はそのことも知っていたかもしれない、最初の電撃のような静電気に何処までの情報が詰め込まれていたのか、しかしその記憶にアクセスするには甚大なエネルギーかそれか事故的なショックが必要だった、例えば今のようなサプライズがそれだ、私は最初に知らせたように契約を履行しに来た、貴方方の疑問に答える代わりに、その答えを答えるプロセスの最後に、望ましい果実の新しい種を植え付ける為、勿論少ししたら回収をしにくるからね、それまでをまた丁寧に、ゆっくりと丁寧に、サイクルに逆らわずに、逆らった時には熱を出すように、摂理からはみ出そして必ず帰ってはくるように、過ごしていなさい。私は自分が誰だか分からなくなる中で挿入し挿入された。熱い莫大な情報か体液がまた電気のように注ぎ込まれる。このような現象は両者にとって等価だろう。しかし現実の物理的地平に於いては私のみが孕みそして差し出すことになる。最初の契約には何がその更なる対価と描かれていたのか。マルク、マルク、熱いよ。私は自分の輪郭を保つ為に他人の片手を必要としたのだが、マルクはどうして隣に居ない、とうことはこれはやはり夢なのだ。私は完全なる諦めと許し、それに人間を超えた快楽の怒涛の中で失神し、失神して、何度何度も失神し、星から降りて来た見知らぬ存在は一切動かずに、私にそれまでを吐き出させてこれからを注ぎ込んでいた。情報と液体の濁流のみが私の芯を突く激流となって運動を継続する。顎を打ち砕かれたかのような衝動に、私の黒目は逆の方へ回転し、距離と方向の無い自中の確かな闇の中で、私は最後の手綱を手放して、すると自分の存在が割れたような音を聞いた。起きた時にはマルクが隣で静かな寝息を立てながら、ぐっしょりとしたシーツの張り付きを煩わしそうにしていた。月光と陽光の入り混じる青い部屋の中から、微かに欠け始めた月の方を見ると、ガラスと月の間には星を含む何物も存在しないように思えた。地球と月の間に天体は存在しないこと、するならそれは流れのものであること、そして月光も元を辿れば陽光であること、だから今この部屋を満たす光は全て太陽由来であること、そんなことの考えを頼りに意識の復旧をしていると、開き切っていた穴と管が今はもう閉じていて、内部を丸く膨らませようとしていくような張力を、その内側に感じた。月の巡りを通過しながら満月を目印に、私は私達という全世界の暦を、肉体上の生理として実現していくことになる。頼るべき同伴者が隣でくわっと鼻息を立てた。大事な契約と同意はいつも無言の内、意識の下で締結され履行されていく。私は自分に宿ったものを風に晒して確かめるよう、色合いを変えて行く未明の外界に飛び出した。足に掛かったピッチャーが倒れてハーブティーが床下へと垂れていく音が聞こえる。この小屋の木組はわざとだが甘い。室内に籠る甘い匂いが重さを失いながら徐々に室外へと解放されていく。月をまた振り返るとそこを流星が走ったような気がした。大きな囁きがこちらに手を眼差しているような気がした。
*****
意識の肉体の通常なる配線が復旧したのは、空から月の気配が消え去った頃だった。時計はいつからか生活から覗かれていた。小屋に据え付けられていたものがあったのだが、ある日マルクがそれを持って街に降り、街に置いたまま戻って来たのだ。街に降りて戻って来るということは、私達にとって生活上の文脈を超えた儀式であり清算であった。その往復によって何を往来させるのかは私達の価値観や物事の発想の仕方、それに二人の間で取り交わされる言語や何気ない思想にまで影響を及ぼした。街へ降りて戻って来るということがそのような大きな意味合いを持つことを理解した最初期の頃から、マルクは私を同伴させないようになっていた。私もそのことを受け容れて、お互いにとって本当に必要であろうという時にしか付いて行こうとはしなかった。付いて行こうとしても駄目だ必要ない駄目なんだと遮られることの方が多かったが。しかしそれでも付いて行った時もあった。しかしそれでも街へと続く橋の袂で待たされたが。それもたった一回だけのことだ。黒い炎の鎮火した後の街の内情を、私は目にしたことがなかった。
そこに孕まれる生命の数が少ないという事実により、今や裾野に広がる森林よりも濃密な闇となったように見える街という平面を、浅い斜角で差し込む朝陽がぽつぽつとした立体へと次元を回復させて行く。そう言えばいつからだろう。夜の街が闇の底に沈み黒い平面となるように、なったのは、夜の自然に従う無力な人工となったのは。それを知らないとそう考えると、いつの間にか終わっていたのだ。さしたる訳もなく突然に。例え大きな見えない計画があろうと突如として、消え去った者どもにとって無意味に。そして私達は始めた、意味を再開しようとしてもがいた。インフラも生き絶えて行くような世界に居残り、ただ生き残ること、多忙と失望の狭間に、互いを気に掛け、愛し合うこと、作り置きしたり、書き残すことを、仕方なく緩やかに再開していった。山中流浪の末に辿り着いた時は登山者用の避難小屋でしかなかったこの部屋は、今では大きなペチカと中規模の図書館を備えた、充分に暖かく豊かな住環境となっている。彼は否定するかもしれないが、殆どはマルクの情熱と労力によるもので、しかも恐らくは私の為に築かれた。彼は食物や衣類の他にそれを超えた熱と豊かさをここに実現することに執着し、果たしてそれは達成された。小屋の外に設られた畑や庭園そして立派な家畜小屋は、発案と多少の労力ばかりは私によるものであるが、やはりその大部分の実際的建築と熱量、それに運用に関わるヴィジョンは、マルクから、マルクから私に、私達に齎されたものだった。無から出発して、狭間で再開された生の中で、彼は男性であり私は女性であり、絶対的に貴重であり尊重されるべき他者であるということを、私達はお互いに発見し、慈しみ、育んできたような気がした。私達は一つの足跡を生む一対の脚となりつつあるように思えた。そして唐突に始まったこの旅路を形作る一つの結節点であり方向として、一個の未来の建設に着手し、確かに成功したようだった。そのような果実が具体的現実の一筋に於いてどうなろうと、それはもう今現在に対して、大した力を持っていないような気さえした。しかし尊いものは須く撫でられるべきなので、私は自分の肉体の中心を愛でるようにさすった。山の裾野の始まりに、街から上がって来るマルクの姿を認めた。使い込まれたザックが祝いの品々に満たされて膨らんでいるのが見えた。静かになったこの世界では、呼びさえすれば誰かが応えてくれることを知っていた。
ハロー
小さな創世記
原初へと立ち返ろうとする獰猛な自然と、無へと還ろうとする儚い文明の名残りの、狭間にて慎ましく展開された私達の生活は、それからも変わりなかった。衣食住の各面に於いて予測されていた細やかな成長や改善はあれど、予期せぬような大きな退化も、瓦解も破滅もなかった。街に残されているものを用い、森に実るものを採り、道を行く獣を時折撃ち獲った。元々サイクロンも地震もないこの土地では、欲望さえ持たなければ、何事も穏やかなテンポで繰り返していけることを知った。比較という魔力を失った私たちは、欲するものを自らに与えて満たされながらも、静謐であることを知り、そのようにして生きていた。私達の被った喪失が瞬時かつ膨大であったことも都合よく機能しているように思えた。片腕を失うのは辛く悲しいだろう。しかし半身をぶっ飛ばされれば辛さも悲しみも無く、あり得るのは終わりか別次元での再生だけだ。するとマルクと私は二人だけの世界にあの瞬間に生まれ直したとも言えるし、互いの半身を繋ぎ合わせて一つとなったとも言える。何にせよ失ったことの苦痛を乗り越えて、既に私たちは生の営みを充分に再開している。山に登ってからこんなことをこんな風に考えるようになったのは、マルクが街で選びそして山に持ち込んだ本を読むようになったからかもしれない。家畜小屋を含む生活の基盤を整え終えた後、嗜好や文化を育むプラスアルファを担う時空間として、先に述べたような図書館を建築し、開設した。そこにマルクが自室に放置していた本を筆頭として、他に街の図書館や書店から、興味と必要性の赴くままに個人の蔵書としては夥しい量の書籍を運んできた。現時点で、搬入した書籍の総重量は、図書館そのものの建設に要した資材の総重量より遥かに重くなり、いつか些細な刺激で図書が図書館を踏み潰してしまうのではないかと、人生で初めて本の虫になりながらマルクに訴えた。こういうのってバベルの塔って言うんでしょと私が言うと、マルクは笑って聖書を投げて寄越した。それは彼の自室のベッドサイドに置かれていたものらしかった。彼が経験なキリスト者であるような風も素振りも私には見受けることがなかったが、これを持って上がった彼は今少なくとも、自分が身に受け経験しているこの事態全体が、ずっと前からそこに書かれているのではないかと、信仰という情念に繋がり得る、強い疑念を抱いているようだった。彼の過去を辿るようにその書物を通読すると、私が口にした比喩は必ずしも間違っていないが、正確でもなかったことを理解した。
自然が猛威を振るい直す外界下界からある程度隔絶されたこの唯一の文化世界で、私は貪るように知識を吸収し、世界をこの手で測り直そう、この指でなぞり直そうとしていた。書籍を通じて得た情報というものは、必ず自分達の肉体や周囲に広がる土壌や森林、そこに繁茂する植物、そこを往来する動物、毎日規則正しく光を照らす太陽とその周囲を巡る諸天体の実際と運動と感触によって確かめるようにした。文字や文章そのものについて、それらを書籍という形で物的に保存し、いつか誰かに伝達されると期待すること、そのことの合理性と不合理、滑稽と偉大さ、自分の当事者性と客体性、今を共に生きるマルクが私に期待し欲求していること、あらゆるレベルのあまねくオブジェクトが私の中で連関し、元を写し取るような生態系が、自分の知的世界そのものとして発酵していくこと、そしてこの知りたいという欲求は、ある日の死にたいという切望と、同根であり、感触としても等しいものであるように体感された。これら根源的な欲求と衝動が、今となって自分から湧き出てきたことに、私は当惑しつつもこれらに準じようと賢明であった。生死のどちらに向かうものであろうと、知的生命の抱く自己目的的動機以外の何ものでもないこれらの無色の情動は、確かに私自身のものでありながら、私自身から離れたところで発生し、または導かれてるようにも思えた。このことに関してもどうしてか、社会と世界を喪失した当初から常に隣り合い時たま顔を出してくる、あの直感が、機能しているのかもしれなかった。現状を導いた大きな意志とデザインが私に世界を知らしめようとしている。あるともないとも言える時間の中で、これに逆らう理由も背景も見当たらず、私は意識と無意識の狭間で、導かれるように知と世界を貪食した。
マルクは助産の知識や実践に関わる書物や、妊産婦栄養学のテキストをちょくちょくと運んでくるようになり、日毎に膨らんでいく私のお腹の変化を週毎ぐらいで感じ取り、自分事のように感嘆しながら、来たる日に向けた彼なりの備えを進めているようだった。私当人はと言うと、体の声を以前より鋭敏に聞き取るようになっていた。体からの声が以前より大きくなっていたからだ。成分単位で自分が今何を欲しているのか分かるようになっていた。一方では目の前にいる伴侶から、自分は今どのような振る舞いを受けたいのか、自然と心に浮かぶようになっていた。幸福であることに生活の余裕から、そのような微細な欲求の一つ一つを着実に満たすことができていた。半分くらいは自分由来でないようにも思える不可思議な欲求に、微細繊細に応え続けていくことは、そのまま親となる準備と予行であるような気がした。ということで私は逐一マルクに次の遠征ではこれこれを必ず調達してくること、今すぐに私を優しくハグすること、食後に二人分のハーブティーを淹れること、肉から獣の血を抜くこと、残しておくこと、などなど、一個の小さな未来を人質として思うがままに振る舞っていた。マルクはマルクでこれらの一つ一つに申し分なく応えてくれたが、それはこのプロセスが彼にとっても予行演習であったからであろう。出産の時に向けて、私たちは時間がある時には図書室のテーブルに向かい合って座り、相手が今までに読んできた本を手に取り、読み、そんな選書の時間座標が街を出る頃にまで迫ってきた夜には、少し先の未来の相手が読みそうな本の一冊を交換し合った。私のそれは嵐が丘であり彼のそれはサリンジャー、キャッチャーインザライであった。二人の世界観が、静かに隣り合っていく音がした。音に関しても随分鋭敏になっていた。街に居た頃には聞こえなかった音を音として聞き取るようになっていた。ページを手繰る音に合わせて胎児が腹壁を蹴飛ばすような音がして、向かいのマルクは目線を上げずに元気そうだねと言った。嘗て、周囲や社会や人間関係の物音とその変化に向けられていた巨大な認知資源が、今は主にお互いの為にのみ費やされている。社会と人間を失うことによる機能上の退化は避けられないという、漠然とした不安を抱いていた時期もあったが、今ではそのような呪いから完全に解放されていた。残されたものに限りなく集中することで、私達はむしろ進歩した、豊かさに辿り着いたと思う。枝や葉を踏む音でその主人の感情が分かる。植物の発する匂いと色合いで、その下の土の調子が分かる。土そのものを見たり口にしても勿論分かる。テーブルやシンクに残された食器の様子にメッセージが潜んでいる。日記の文字の揺らぎに語りがある。声はそのものが声明である。朝のベッドの残り香に一週間の体調が詰め込まれ、衒いのない直視に愛を見るようになった。遠くから聞こえる狼の咆哮に彼の居場所と求めを知った。翌朝にその地点まで迷わずに辿り着くこともできた。その狼が居たところからは隣街をも見渡せた。もしかすると彼らは、人の代わりに地表を治めることを始めるのかもしれない。彼らの統治は穏当だろう。その隙間隙間を間借りさせてもらえるよう、彼らの匂いが消え去っていった方向へお祈りをした。私はその次の日くらいに、一緒に街へ連れて行ってくれるようマルクにお願いした。彼は黙って私を見返して、その眼差しからは愛と考慮と苦悶が感じ取られた。しかし時が満ちたことを彼も理解していた。夜のバルコニーから黒い地平を見渡しながら、私達は前戯のような議論を開催した。お互いにとって全てが予定調和であるような気がした。
この小屋に辿り着いた朝、マルクの肩越しに夜明けの黒い炎を眺めたその日から、私は街自体には一度も足を踏み入れていない。街の残骸と言うべきなのだろうか、ここに入ること帰ることを、マルクは遂に私に許さず、この生活に生じた唯一の結果的禁止となっていた。君は街に降りてはいけない。橋を渡ってはいけない。ここから先に行っては、来てはいけない。小屋に着いてから三日目に、街へ探索に出て帰って来たマルクが、私を待たせた山の麓で言った。橋の袂だったかもしれない。遠い記憶となって今はもう憶えていない。理由を聞いても曖昧な返答しかなかった。小屋と生活の増築に用いられた近代物資は究極的には全てマルクが搬入したということだ。私は大抵山の麓で彼を迎えた。一日に数度街迄を往復させた日の夜には念入りに彼を愛するようにした。彼としてはそのような報いは不要であるらしく、私がした分だけの愛撫を私に返してくれた。とにかく私を街の内部や中枢に近づけたくないらしかった。帰還を果たしたマルクはまず川に寄って裸で帰ってきた。洗濯の済んだ衣類の一式をロープで木と木の間に吊るした。それが私の役割だった。しかし今はもう事情が違う。私は私から一つの可能性を生み出す前に、私の所属する世界のあらゆる側面に触れ直し、点検しておきたいのだ。私は自分の意向を出来るだけ、彼が私に手渡してきた本に書いてあったような言葉を使って、慎重に伝えた。すると彼は渋々と了解した。実際上の身重になる前に事は出来るだけ早くした方がいい。この時妊娠という移行期の半分を過ぎていた。翌々日の朝に街へ降りることが決まった。
その夜から翌々朝にかけてマルクは終始無言だった。頭の中の地図と時計で綿密なシミュレーションを繰り返してるようだった。時折彼の指先が宙に図形を描いたりしていて、見知らぬ国の象形文字に思えた。街への降り立ち、完全なる遠征への興奮の熱が湧いてくるのを感じながら、私は改めて小屋の中を見渡し、それから庭園や家畜小屋、膨れていくばかりの図書館を点検して回った。ここに辿り着いてからまだ何年も経っていない。ここに漂着をしてから。限りなく多くのものを失い、喪失をエンジンに、喪失感を燃料にして彷徨い、緑の煉獄の岸に乗り上げて、そこに小さなお城を打ち立てた。天国も地獄も失われた永遠の煉獄では、むしろ全てが自由と意思によって開始され、永続する。社会的にほぼ無重力であり無関係であるここでは全てがそれとしてあり、それが終わるまで凛としている。わざわざ街に降りて対岸を確認しなくても私達の小世界を活かす力学は分かる。しかし一つの始まりを始める前に、それまでの全てが終わったことの残骸を眺め回しておきたいと思った。私は明確な未来を志向するために過去へ直視を必要としていた。臆病であった記憶に槍を投げ込むかのように。
当日の朝はいつの日よりも粛々としていた。自然に培われた自明の理を一つ一つ証明していくかのようだった。パッキングをするマルクの所作は厳かに洗練され、印象派の絵画のような青さもあった。小窓から溢れ落ちる陽の中でバターを塗る。ストーブの熱で焼かれたスペルト小麦が、こんがりとした甘い匂いを放つ間にザリザリとバターを刷り込み、白い陶器の皿に乗っけてジャムを添えた。マルクはまだ荷物の点検をしていて、時間とバターに少しだけしんなりしたように見えた。簡易のガスレンジに置かれた大振りのスキレットではベーコンエッグが蒸し焼きにされている。マルクは焼くより蒸すといった、じっくりとした温和な加熱を好んだ。コップには既にオーツミルクが注がれている。ちょっとした防腐処理のお陰で今でも私達の口に届けられる甘い、それでいて独特なコクも合わせ持つ植物性の乳。臨月を大分前にして私の乳が既に張り始めたのを感じる。マルクがスキレットを抱えて持ってくる。蒸された二つの卵黄が弾けそうにして立っている。この卵は我が家の家禽が今朝産んだものである。ベーコンは山道から街へ降りようとする野豚をマルクが仕留め、燻製にしていたものだ。マルクは、人間が使わなくなった山道を通って、人間が居なくなった街へ降りて行こうとする動物を、よく狩りに出掛けた。山の頂きへと伸びる登山道の方を眺めてみると、動物の一群が降りてくるのが、見えたり、聞こえたり、感じられたりする時があるのだ。マルクは私よりいつも早くそれに気が付いた。ライフルの点検を済ませてから靴を履いている彼の背中を見て初めて、私も遅れて気が付くようなこともあった。マルクは降りて行く動物の気配を鋭敏に察知し、必ず数頭は仕留めて一頭ずつ引き摺って来るか、その場でばらして小分けして、肉と髄をズックに詰め込んで帰って来た。マルクはそのようにして家を出てから帰って来てそして暫くするまで、一貫して仄かに苦々しいような顔つきをしていた。それはどこかしら自然への信仰心を深めていた彼の胸中に生まれ得る、殺生することへの葛藤にそのものに由るのではなく、どうも、彼しか知らない動物達との関係性の真実、山を降りて街を目指そうとする彼らの目的と深層に由来するものであるらしかった。それで私はいつからか、私がいつからか直に触れなくなった、世界の底面か半面に対する、知りたいという強迫観念めいた使命感を、強くしていたのであった。これもまた生理上の変化に対応して強化された本能的使命感であろう。
気が着くと山を降りて、街へと続く川の始まりに着いていた。最初にここを、登る方へ歩いた日の複雑な心情が蘇ってきた。破滅を後にして終わりへ向かうような圧倒的な不安。今ここを、降りる方に歩いていく心情もまた複雑であるが優しい。誕生を前にして始まりへ向かうようなそこはかとない不安、意図不明な義務感、大きなデザインに導かれるような既視感、残された純粋なる好奇心、希望の亜種のような高まりと一緒に、川沿いの道を二人とぼとぼと降っていく。道中、沢山の動物の体骨格がそのまま野晒しにされている。彼らは行こうとしていたのか帰ろうとしていたのか、腹も胸も食い破られており、所々骨が割られたり齧られたりしている。私たちは歩みを進め、橋の袂の少し先、街の区画的な入り口に到着した。乾いた臭気の詰まった風がそよいできた。生か死かで言えばここはまだ死の坩堝であるようだった。臭いと呻きが唸りを上げて、ビルの代わりに威光を示しているような気がした。
かと言って記憶に残る最後の有様、黒い祝祭に吠える蝿の王国とは比べられぬほど静かであり、最初感じられた濃密な異臭というのも、半分くらいは自分の過去から引き摺り出されたものであるように感じられた。街は概して乾いており、むしろ清浄であるような気もした。コンクリートに裏打ちされた静謐なる死の世界が広がっていた。いたるところに小中から大に至る動物が風葬されていて、残る肉には名残りのような蛆が湧き、沢山の肉が残る死骸には、それより小振りな他の動物が群れていた。打ち捨てられた肋と骨盤の間に、こんもりとした肉袋の塊が放置されていて、中にはどうも消化され得なかった乾いた異物が、ドロリとした消化液に塗れて、詰め込まれているようだった。胃袋の破けたところからスニッカーズのブラウンの包装が覗いていた。街を回りながらなるほどと思った。人間が街として生み残した罪苦と業を動物達が引き継いだのだ。私たち動物一般は本能の多側面を深いところで共有しているようだった。しかしもしかすると彼らは本当にただ消化を代行しているだけなのかもしれなかった。何にせよ彼らにあり得た目的意識は苦悶の内に薄れ、消え去っているように思えた。大きな仕組みの中で自己目的化された貪りのみが散見された。死骸の上に世代を重ねる奇怪なる小動物の群れ。動物は植物には構成し得ないような惨状を生み出し、そこに恐ろしく適応していくことがある。マルクの眉間の皺の所以も明白だった。
ふと砂の一筋が目前を流れてく。光子を思わせる様な黄金の粒子が、未だ異臭を放つ異常事態の小区画に囚われていた視線を攫い、悩ます者の居なくなったビル風の向こう側へと誘う。その更に向こう側に目を凝らすと光っている星のようなものが見えた。記憶に差し込まれたデジャヴを思い返すようにしながら振り返るとマルクが隣から消えていて、後ろを振り向くと十数メートル手前で片足を宙に浮かせたまま動かなくなっていた。隣にあった私を気遣うように、顎と目線が微かに傾けられていた。自分ら以外の全員を取り除かれた後に、自分の他の唯一の他者を停止させられたことに、私は驚きもしなかった。道筋や物語を生む為には彫刻が必要なのであろう。鑿を振るう手が時間に何を求めて空間を削っていくのか、刃の衝撃を受け容れる側には分からない。風に舞うはずの落葉が空気に繋ぎ止められて宙に静止している。どうして息ができるのだろう、と、胸の鼓動に手を当てた瞬間、ビルの合間から風を割って差し込んできた、真昼の陽光をも掻き消すような更なる強い光に私は照射され、後方に影となって拡大された。前方の上空、信号機くらいの高さに、中国人の大家族全員が勢揃い出来るくらいの大きさの丸テーブルが、ゆらりふわふわと浮いている。これはあからさまな空飛ぶ円盤だ、と思って目を凝らすと完全な球、光を吸収するマットな質感の美しい金属球だった。乗組員全員に完全知性を想定してしまうような完璧に美しい金属球、が照射する光は、向く先を変えて直下の地面へと降り注ぎ、その輝く光の円柱内部を滑り行くように、二体の人型生命が地表へと降り立った。彼らの情報的なボリュームは重力感覚へと変換されて私の輪郭へ襲い掛かった。感じる圧の無目的と自己目的に知的生命としての層の厚さの違いが感じ取られた。見られているということのグロテスクな迄の出来事性が拡大されて、存在そのものが神話のように語り掛けて来るのを感じる。そして果たして一体が一対の腕、両腕を、私に語りを促すかのように、ゆっくりと花開き、差し出して来た。二百億光年の奥行きを湛える彼彼らの瞳に吸い込まれながら、私はイメージのままに自己紹介をして、そうさ知っているとでも言うかのような揺めきを見せたその瞳の深淵と、そこから向けられる大きな意図の力の質感に、満月の夜の二回目のセックスを思い返した。彼は自分の片割れの手を取り直しつつもう片方の手を私にさあと投げ出し、その手の一番長い指を私の腹部へと差し向け、当てがい、触れ、その動線は下腹へと降って内部へと入り込み、閉じていた他の四指を開いて私の子宮の輪郭に合わせた。致命的な小器官を押さえられた私は小さく呻き、それに対し彼は大丈夫だからと心に直接耳打ちして、肉体を透過する右手で子宮の内部をまさぐり、中身を手に取り、輝く光の半透明の中から、とぷんと引き抜いた。未熟であるはずの胎児は完全な人型をしていて、開かれた眼で自らを引き出した者の目を見返していた。私は重力に腰掛けるようにして力なくその場に浮いていた。赤子も同じように宙に腰掛けながら異星の人々に私の知らない言語で何か囁きながら私を見つめ、完全なる無所有となった無力であるこちらに、温かさを含む大きなスケールの情感を向けていた。私から引き摺り出された未熟である筈の名も無き赤子は、小さな頭に私を越え出た記憶とシステムを保有し巡らせているようだった。私はあの夜に私に注ぎ込まれたものの肉体的質感のみを思い返した。異星の二人は黄金を思わせる強い光を瞳に宿し、子は秋の陽を思わせるオレンジの燐光を目全体に宿していた。新しい力の柔い微笑み、三日月のようにカーヴした双子の太陽がこちらに光を向けている。どちらともなくありがとうを告げると彼ら三者は一気に金属球に吸い上げられ、その動きよりずっと速い速度で船は空の遠方、宙の彼方へと消えた。この時空そのものからスライドして消え去ったとも思えるような消え方だった。失いの中に育まれた生まれが失われつつも旅立ったことに想いを傾けると、重力のソファーは見えない輪郭を消していて、おっとっとと脚を出す束の間、この街の世界の時間が息を吹き返し、風に吹かれた熊の頭蓋がカランコロンと音を立て、風に舞う葉がビル風に巻かれて向こう側へ消えた。私も二人の世界に帰還した。マルクが私に駆けて来る。重心の変化によろめく私を彼の強い腕が支えた。彼の瞳は向日葵に似ていた。
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ラララウマニオレアロエラルキアンヒエル
( やっぱりとてもいいものたちだったね )
ルリラヲン ルリラエンヘオラコマチリロスシ
( うん やっぱりここにしてよかった )
サマルハシマンオレカナイエルサスケカレマンロロリキエロ
( しかし最後まで見極めるのが大切だったんだ 私達の紡ぎとなれるかどうか )
モレイカウラカサソミナウマンホヘラソシメメミモマ
( 脆弱である私達はよきものを混ぜ込まなくてはならない )
オレイロママミロムイビレン
( 私を孕んだ器はとてもいいものだった )
ロロウン ミヤルトアレハロモスココトリジロクアカ
( そうね もうかえしてあげましょうよ )
ロロウニ ロロウン ミアムアイオンゼムリタルシア
( そうか そうだね 私達に必要だったその時までかえしてあげよう )
マオンバロアイル ルフロンガスタインアクアレボンソワ
( 我が子よ 彼らを可能性の分岐までかえしてやりなさい )
ロワ アウン
( はい わかりました )
小さく頷き、赤子は太陽の目を閉じてから開いた。
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ある日の社会の片隅の黄金の午後、秋に揺られる樹々の間で人々が憩いの一時を過ごしていると、今すれ違おうとする二人の男女の間に静電気が走った。ぱちりとした衝撃に二人は振り返り、互いの瞳の向日葵に目を止め、知らぬ間に過ぎ去った時空の名残に目を細めながら、思わず微笑み、二人を刹那に繋げた電撃に小さく会釈してから、それぞれの行く道に向き直り、またいつかもしかすると交錯する迄を歩み始めた。空飛ぶ真球はよりよきを求めて無限飛行を継続している。