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不幸自慢をしてしまう

こんにちは。なんきょです。

皆さんは‘不幸自慢’という言葉を知っていますか?
「俺は喧嘩が強い」とか「私はブランド物を持っている」とかが自慢なのに対し、不幸自慢は「僕は貧しい」とか「私は運がない」とかいうふうに、自分の弱点や不幸で威張ることです。

自慢してくる人はもちろんいい気はしませんが、不幸自慢してくる人もなかなか困ったものだと思います。まず、反論しづらいですし気を遣ってるふうに接してやり過ごすくらいしか思いつきません。
不幸自慢する人は最高ではなく最低を競ってくるので、各々の能力の高低は問題ではありません。0に近づくほどよいのですから。弱点で武装することは意外と堅実だと思います。老子の「柔よく剛を制す」にも通じるような...いや、それはちょっと違いますね。
意図的に謙虚な姿勢に立って調和を図るような気づかいではありません。不幸自慢は不幸でマウントを取ることですから。

私も友人との関係や先輩後輩とのなかでふと、不幸自慢をしてしまうことがあります。「俺、コロナで進路が白紙になっちゃった」という具合です。そしてその言葉の裏には「だから思い通りにならなかったのは仕方がない。コロナのせいだ」と思う気持ちも多少はあります。
でもそれはとても危険なことだとも感じています。なぜなら周りのせいにすることは、自分の力では解決できないと宣言するようなものだからです。コロナ禍なんて全世界のすべての人々に降りかかっているイベントです。自分だけ早々に降参するよりも、この環境の中で最善は何なのかを考えた方が有意義です。と、頭では分かっていても私はそんなにできた人間ではありません。
今はどうしても「コロナのせいで不幸になった」と思ってしまいます。この状況を客観的に自覚できているので、私はまだ救いがある方だと思います。なんとかコロナ禍を今後に生かすべく、不幸自慢はなるべくしないで過ごしていきたいと思います。

「周りのせいにすることは、自分の力では解決できないと宣言するようなもの」とは言ったものの、全部自分のせいにしたら、全部自分の力で解決できる。ということではありません。
どこまでが自分の責任なのか?という線引きはとても難しく、昔の私は何でも自分のせいにしていたのでとてもしんどかったです。(先日書いた「才能の存在を認めたい」にも少し言及があります)ただ、線引きができたら周りに振り回されることも少なくなると思います。

https://note.com/a8u0i/n/n0c9b89c09070

なんでも周りのせいにしないで、かといって一人で抱え込まないで、その曖昧なバランスが厄介ですが、まずは不幸自慢を減らしてみることが第一歩ではないでしょうか?

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