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コロナ禍で進路を失った話・序文〜カンボジア人美女〜

こんにちは。なんきょです。
最近、朝ドラの放送が再開されてからはすっかり夢中になっています。ハナコの岡部さん演じる五郎、とってもいいですよね。

さて、前置きはこのくらいにして本題へ入って行きたいと思います。
私だけでなく、多くの方がコロナ禍でキャリアプランが狂い、思い通りにいかなかったり今も苦労しながら就職活動を続けている方も多いかと思います。私も当初描いていたキャリアプランとは全く別の進路を歩むことになりました。しかし、私なりにこの非日常だからこそ、自分の人生を深く考察し直したり、あるいは今までになかった角度からキャリアプランを捉えることができたと思っています。私の今までの人生でも4月~9月の半年間はとても苦しかった期間なので、この経験を生かすべく、ここに備忘録として残しておきたいです。この記事がもし誰かのプラスになれたのなら、幸いです。

さて、ここでは序文として私がキャリアプランを定めるまでを見ていきたいと思います。
私は田舎の生まれで大学も生命科学部です。そんな私ですが、将来は国際協力の場で働きたいと考えていました。そのきっかけは駅で道を聞かれたカンボジア人バックパッカーの女性に恋に落ちてしまったからです。彼女とは意気投合してそのまま一緒に温泉(混浴ではないです、残念)に行ったりもつ鍋を食べたりしました。そこでカンボジアでは都市部と農村部との格差が激しいこと、農村部ではいまだに苦しい生活を強いられていることを教えてもらいました。
そのような話を聞いた私は、彼女の母国の発展に貢献していきたい!と思ったわけではなく、国際協力の分野に入れば彼女とワンチャン関係を持てるのではないか?という不純極まりない動機で国際協力業界を志しました。彼女はカンボジアのトップ大学の医学部に所属していて、しかもモデルとダンサーもやっているハイスペック美女です。眩しすぎました。田舎小僧が開発途上国へ目を向けるには十分すぎる動機です。まぁもともと企業に勤めるのは向いてないだろうとか、できれば詩人になりたいとか思っていたので海外に目がいったのはそれなりの整合性があったと思っています。
運がいいことに自分の専攻が作物学であることと、開発途上国では農業が重要な産業であることとで需要と供給が一致していたので、国際協力分野でも農業の知識を大いに生かすことができるとわかりました。

まずはとっかかりとして卒業後は青年海外協力隊に行くことを目指していました。協力隊は個別に募集案件に応募する形なんですが、やはり農業分野での募集が圧倒的に多いです。確実に合格したかったので農業系の資格を取ったりTOEICに励んだりしていました。

さらに学生のうちは農業の知識・技術を可能な限り高めようと思い、地元の農場で1年半の農業研修を受けることにしました。(これがのちに大きな障壁となります)
それ以外の進路には全く興味がありませんでした。就職活動は全くしないで、1人でインドに行って現地の方とビールを飲んだり、出会い系アプリに課金しまくったりしていていました。今思うと愚かです。

そんなに劇的なきっかけではありませんが、当時の僕は自分の進むべき道を見つけたと信じていましたし、今でも信じています。自分の人生を決定づけるようなイベントは、意外とささいなことだったり、覚えていなかったりするようなことなのかもしれません。
私の愛読している雑誌「現代詩手帖」に印象深い言葉があって「探して見つかるようなものは人生の要になり得ない」と、確かにそうなのかもしれませんね。後々書こうと思いますが、自分が国際協力分野を目指す動機について、コロナ禍の中で新しく気づけたこともあります。生い立ちや人間関係も深く関係していると分かりました。

次回はコロナ禍でそんな私のキャリアプランが白紙になる経緯を振り返りたいと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。

※国際協力分野や青年海外協力隊に興味のある方は質問や相談に乗るので、気軽にご連絡ください!

※このマガジンは週1ほどのペースで書いていこうと思います。

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