
パーカーについて
ある日突然自宅にインタビュアーが押し寄せ、玄関が満員電車。
あまりにも満員電車なので仕方なしにリビングへ通し、人数分のブラックコーヒーとカントリーマアム(バニラ味)をテーブルにゆっくり置く。
「お口に合うか分かりませんが」と定型に沿った言い回しと愛想笑いのダブルコンボで場をある程度和ませたところで、Mサイズだと思われる赤のポロシャツを着た体の大きいインタビュアーが一言。
「パーカーについて一言お願いします」
僕にとってパーカーは忘れたくても忘れられない、
「昔の恋人」
のような存在である。
パーカーの好きなところは、何と言っても「フード」である。(僕は基本、パーカーを着るときはフードを被る)
小さいフードはNG。
あれではまったくもってフードの意味を成してない。
フードは被れてナンボ。
被れないフードはフードではない。
ハンドルがない車と一緒である。
使い物にならない。
フードをグッと伸ばせば被れないことはナイが、それだとあまりにバカッぽい。それに不気味。腑抜けた宇宙人ようである。そんなんで歩いてたら街の人達を怯えさせてしまう。
イケないイケない。
それじゃフードは大きければいいのか?
残念ながら大きいフードもNG。
被るとあまりにバカッぽい。それに不気味。なんだろ。邪悪な魔術師。それか殺人犯のようである。
そんなんで歩いてたら街の人達を怯えさせてしまう。
両手にナイフを持ちながら歩いているようなものである。
イケないイケない。
フードは小さすぎず且つ、大きすぎないヤツがいい。
※「基準がわからん!」という方もいると思うのでお伝えしておく。
フードを目深に被った時に、顔のラインから3cmほど前に出るフードが宇宙人にも、魔術師にも、殺人犯にも間違えられない安寧秩序な丁度いいフードである。
余談だが、これまでで1番よかったフードは、A.P.C.(アー・ペー・セー)というブランドのパーカ。着心地、被り心地が最高である。
気になる方いたら是非。
パーカーに傾倒したのは大学生の頃。
当時(今も)心酔していたラッパー「SALU」(さる)がよく着ていたことがキッカケである。
少し大きめなグレーのジップパーカーをさらりと着こなすSALUのカリスマ性といったらない。当時の僕は頭から爪先までSALU一色であった。
それからずーっとパーカーを着ている。
いや、着ていた。と言った方が正しい。
上述したとおり、僕にとってパーカーは昔の恋人なのだ。
もう今は着ていない。破局済みだ。
原因は僕にある。
嫌になってしまったのだ。
洗濯して干す時フードが乾きやすいようにフードを少しだけ浮かせるひと手間と、パーカーを取り込もうとした際に、フードがまだ乾いてないとイラっとしてしまう自分に。
心底イヤになってしまったのだ。自分の愚劣さ不寛容さに。
だから別れた。
チャームポイントだと感じていたとこが要因で、破局なんて皮肉なものだ。
まぁ、恋人たちの間ではよくある話ではある。未来永劫などないのだ。
あれから数年。
新しい恋人(トレーナ)ができた。
今は悠々自適に、新しい恋人と第2の人生を楽しく過ごしている。
昔の恋人(パーカー)を思い出すことも少なくなった。
今の生活に満足している。
話は少しズレるが。
僕は読書の虫である。
暇さえあれば、本の世界に駆け込む。
ここ1年でそのきらいはさらに加速。
飢えたオオカミが獲物を貪るが如く、本に噛り付く日々。
色んなことが知りたくて知りたくて、体が疼いて疼いてショーガナイ。
「哲学」「生物学」「物理学」「社会学」等々。
「知りたい」「知りたい」「知りたい」「知りたい」なのである。
もはや病気の域だ。
※僕はこの現象を「第2思春期」と呼んでいる。
基本1日1冊。多い時だと2冊読む。おかげで視力がグンと落ちた。
今は眼鏡なしでは、人の表情はおろか新聞だって読めやしない。
まったく困ったものである。
とある雨の日、ある本の一文に目が止まった。
「作業中、集中力を高めたいのであれば周辺視野の狭めるのがオススメ。
例えば、パーカーのフードを被ったり・・・。」
「あっ」
動揺した。
今まで心の内奥の内奥に無理に押し込んでいた昔の恋人(パーカー)との数多の思い出が、激しい音を立て勢いよく全身に流れ出したのだ。
「あ、ヤバい」
全身がカァーっと熱くなる。
僕は読んでいた本を閉じ、部屋の隅に押し込んだ。
「落ち着け、落ち着け」
己に言い聞かせるが、流れはさらに激しくなる。
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為す術ナシ。
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「・・・パーカー」
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それ以後、僕は流れに抵抗することをヤメタ。
新作が1月22日に発売予定。
覆水盆に返ります。
今ではすっかり心晴れやか。
あーあ、こりゃまたインタビュアー押し寄せちゃうな。
なんてね。