亜鶴
ハイヒールを履く男

ハイヒールを履く男

亜鶴

今年28歳になるが、つい先日ハイヒールデビューをした。
ハイヒールの話をしたいと思う。

まずこの1年、靴下を履いていない。超面倒くさいのだ。
靴下とは文明から置いていかれてしまった拘束具とまで思うほどだ。

履かないという選択に至るまでにも変遷がある。
左右の柄を合わせないといけないという呪縛からの脱却、(第一期)
最早、図柄も長さも関係無く別に何か履いてたら良いじゃんのゾーンを経て(第二期)
もしかすると無地の靴下を大量に買えば柄がどうこうという問題は無くなるのでは!?(第三期)

そして遂に履かないという最強のゾーンに入った。
結果として日常的に裸足でスニーカーを履いている。
真冬でも関係なくサンダルも履いてしまっている。

この世には気にしないといけない。と、されてしまっている事が
あまりにも多すぎるのだ。

そんな私がなぜハイヒールなどという拘束具の権化のようなものに手を出したのか
そして、手を出した事によって何を感じ、何を考えたのかを記していきたい。

私は幼少期から人一倍足がデカい。
実寸を抜きにして普段履いているスニーカーのサイズは31cmだ。

待望の第一子として生を受けた私に用意されていたベビーシューズに足は入らず
捨てるに至ったそうだ。

幼稚園の頃には皆が使ってる靴箱に靴が入らず
私だけ2段使いを命じられた。(上段に左履き、下段に右履き)
小学生の頃には制定の上履きにはサイズが無く
白ければなんでも良いというルールが新たに制定され
上履きとしてエアジョーダンを履いていた。

足に執着があるのはそういう経験からかも知れない。

昨年、秋頃に沖縄に行った際に知人と話していたのだが
次はどこに行くの?そろそろタトゥーも彫れる限界値が近いんじゃないの?

その時になんとなく次はハイヒールとか面白いんじゃないか
という話になり(その提示をしてきた彼は元々ファッション業界や映像業界に身をおいていたかと記憶している)
ちょうどその頃、私はNetflixで配信されている
ル・ポールのドラァグ・レースという
ドラァグクイーンによるリアリティ番組に心を奪われていて
偶然にも日常においてハイヒールというものを強く意識していたこともあり
急激にハイヒールを履く自身をイメージする事となった。妙にしっくり来たのだ。

とは言え、男性用スニーカーですら国内では店頭で買う事が出来ない足の大きさである事、
ましてやハイヒールである。初っ端からネットで買うにしても
試し履きが出来ない事は私にとってはハードルが高かった。

しかしハイヒールを履くと決めたからには買わないといけない。
手元に無い事には履けない。
出掛けているA(ライフパートナー)のヒールにこっそり足を通してみたこともある。
当然入らなかった訳だが
自身のゲイセクシャルに気づいたキッズが親の目を盗んで
化粧をして遊んだりフリフリのスカートを着てみて一人でニヤニヤする気持ちがわかった気がした。
背徳の遊びだ。

結局、知人の女性たち、そしてA。
色んな方にアドバイスを貰い
とあるネットショップで大きなサイズのヒールが数多く展開されているとの事で、選び買った。

私にとっての初ハイヒールは黒いスエード地の15cmほどの高さのピンヒールである。本当は赤が欲しかったが
服との組み合わせ方などイメージが付かなすぎた事、またヒールを履いている自分をイメージしきれていなかった事もあり無難に黒にした。

ヒールに慣れた人でも多少歩きづらさを感じるだろう
キンキンのヒールである。
自分でも攻めたデザインを選んだな、とは思うがかなり可愛いのだ。

ハードルは高めに設定しておいてそれを如何に乗り越えるのか。
そこを試行錯誤しているのが楽しいのだ。

そしてここ暫く夜中になると片手にアルコールを握りしめ
酔いに身を委ねつつ自己変容の旅をヒールの練習がてら家の周囲を歩く事で楽しんでいる。

ハイヒールはとても良いものだ。

私は今日まで男性として生きてきた。
雄弁よりも寡黙な、いわゆる背中で語るタイプの「漢」と書かれるような男性像に強い憧れがあり、結果で全てを示すような生き方をしたいと思っている。

その私がハイヒールを履くと決めた時に周囲の女性は皆なぜかとても喜んだのだ。
そして頑張って歩けるようになったら一緒に買い物行こうね。と漏れなく言ってきたのだ。
ちなみにその中で否定的な対応、混乱を見せて来たのは
漏れなく男性であった。とても面白い現象だったなと思う。

挑戦するからには綺麗に歩きたいわけだし、
街で見る重心が低く落ちヒールをコントールするどころかヒールに身体をコントロールされている様な
無様な格好など誰にも見せたくないのだ。

何においても初めての時というのは一度しか無く
その一度目の経験で何を考え、何を得れるのか。は、とても大切だと思っている。
私は既にヒールを手に入れ3週間ほどになるだろうか

初めてヒールを履いて家の外に出た瞬間に気付いた事が多くあるので記していく。

とてもベタな話ではあるが
男性は女性と歩く時はつとめてゆっくり歩いてあげるべきだ。に始まり
満員電車に対するなんとなくの恐怖。知らない男性とエレベーターに乗るという不安感。
その瞬間、男性が絶対的悪として挙げられているのでは無いのだ。
全て理解する事が出来た。

私は中高6年間、実家のある兵庫から京都まで電車通いをしていた。
女性専用車を疎ましく思った事も正直ある。
しかしヒールを履いた事によって
仕方のない生物的受動を理解する事が出来た。
もし女性専用車に乗る事で安心を得れる女性がいるのであれば、女性専用車など不要だという論調は文字通り身をもっておかしいと思える様になった。
あれは女性特権や、女性への特待ではない。
どうしようも仕方のない話なのだ。

初めてヒールで外出した時に私のミスであるが愛犬の散歩がてら出てしまった事もあり、
思っていたよりもフラつき、いつにも増して言うことを聞かず縦横無尽に駆け巡る愛犬を見つつため息が出た。
そして万が一、屈強な何かが私にタックルして来たとしたらもう身体を許すしか為す術が無いなとさえ思った。日々鍛えに鍛えている我が身がヒールを履いただけで生物として圧倒的な弱者になってしまったのだ。

敢えて不便な格好をする事で得られる強さもあるのだろう。
だからきっとハイヒールを履きこなし街を闊歩する女性、
ダンスを踊る女性などが格好良く見え、
ハイヒールは戦う強い女性のアイテム、として周知されているのかも知れない。

そして私がヒールを履いた事で感じた中で一番興味深かったのが
生まれてこの30年弱、地面を面としてしか捉えた事がなかったのだが
当然だろう。スニーカー。サンダル。下駄しか履いた事がなかったからだ。

それがヒールを履いた瞬間にアスファルトのミリ単位の凹凸、側溝など
道の隆起全てを点で捉える事となり、地面を3Dで感じる事が出来た。
物事へのフォーカスの尺度や前提が大きく覆され価値観が再構築されたのだ。

物事への焦点距離が変わる瞬間は面白い。

誰の為でもなくヒールを履いてみて自分の身体性を拡張して遊んでいるのだが
自意識がどんどんと肥大していっている様にも感じる。
そもそもこの文も誰に見せる訳でも無く書き始めたのだが
既に万人に見て貰いたいとまで思い初めている。

コンビニに行く時など楽さを重視してスニーカーなんかを履くわけだが
ヒールを一度経験した事によって
ヒールを履かない我が足はなんて醜いフォルムなのだろうか…と驚嘆したりもする。
それほどヒールとは私には美に全振りしたアイテムに思えるのだ。
恐らくこれは未だ日常使い出来るレベルにまでヒールを身体と同化出来ていない事からくる感覚だろう。

難しく考える必要はないのだ。
私はただ私の為に自分で選び、好きな格好をしているのだ。

ただその結果、その容姿を性的に消費する人間も居たり、
蛮族を見る様な目で見る人間も居たりするのが事実であり、
その事には何の問題も感じない。
私にだって性的に見えるフォルムがあったり、魅力的に感じたり
理解の出来ないファッションがあったりする。

この1年、筋トレに熱を入れた事により誰が見ても大きくなったと言われるほど
身体が筋肉により肥大した。

ある程度身体がデカくなるとSNS上には筋肉フェチのエロい人が湧くと言われている。
私のもとにもその現象が遂に到来したのだ。
性的に見られる事に何の苦も感じないというより、それだけ身体を大きくする事が出来たのだな
という喜びの方が大きかった事もあり、何とも思っていないのだが
海外のとある男性がある日を境に私の身体を性的に見始め、日々の筋トレ備忘録として
インスタのストーリーに今日は胸の日!腕の日!と上げている画像や動画に対し、わいせつなコメントを熱心に残してくれる様になったのだ。

私が私の為に。自分の好きなフォルムを手に入れる為にやっている事が性的に消費されるという図式は
例えばミニスカートを履いている女性が押し倒されてしまったり、電車内で痴漢にあってしまったりする状況に似ていると思う。
そしてその嘆かわしい状況に対して
そんな格好をしている方が悪いという狂った意見を押し付けてしまう愚者も居ないとも言えない。
とても良くない事だと思う。あってはならない事だと強く思う。

何度も言うが
私は私の為に好きな格好を自分で選んでいるのだ。

これは大切にするべき考え方だと思う。

ハイヒールの話に戻るとする。
未だ実際遠征するにまでは至っていない。
深夜に家から一番近い大きな交差点まで行って帰ってくる。
もしくはそこを2周3周するに留まっている。
疲労が溜まった際に汚い歩き方になるとすると、それを世間に晒したくないのだ。
これは私の美意識の問題である。

とは言うものの、つい先日、日中に少し時間があり
深夜徘徊から遂に少し思い切って陽の光のある時間に外出をしてみたのだ。
歩くエリアはいつも深夜に徘徊しているコース。

人が多く、皆が私の事を見ている気がした。実際に見ていた人もいると思う。
身長が174cm、ヒールを履くと190cmも超え、単純にデカく目立つのである。
早く帰宅したかった。
まだ早かったのかも知れない。
深夜、すれ違った人に『見られる、見られてしまった』のと
日中に『見せる』との感覚には大きな隔たりがあった。
いつも我が家に配達に来てくれている郵便局のお姉さんとも目が合ったが
文字通り確実に足元を見られた気がした。

綺麗に歩くよりも前に早く帰りたい。その一心で歩を進めたわけだが
住んでいる場所の特性上、家があるのか無いのか分からないおじさん達が徘徊していたりもする。

なんとなく嫌な予感がしながらその横を通り過ぎようとしたら
こちらを見て何かを言っている。ついつい歩を軽く緩めてしまったのだが、こう言っていた。

「デカい女が歩いてきたと思ったら、男かよ。しかもおっさんやないか」

やかましいわという話である。
しかし、かなり心が折れた。思い切って日中にヒールで外出して、ものの10分程度の話である。
あまりに猥雑過ぎる。
そして帰宅したのである。

身の回りには高身長の女性も多く居る。
160cm後半から170cmを超える方も多い。
背が高い事で嫌な思いをした事があるという話も何度も聞いた事がある。

こういう事か、と理解した。

ハイヒールを履くだけで
ハイヒールという観点を通して世間を見るだけでこれだけの発見があるのだ。

ハイヒールはとても良いものだ。

まだ先になるかも知れないが早く履きこなしたいと強く思う。
履きこなせる様になった時に
自分の行動を自分の意識の中でどう昇華させられるのか楽しみで仕方ない。
自分の世界の中での自分をどう処理、理解しそれをどう次に繋げられるかだと思う。
その補完が完了した時に
人は無敵の強さを手に入れられると思っている。

にしても補完の為の鍛錬は果てしなく酷く孤独なのである。
酒を片手に深夜ヒールで徘徊していると言ったが
たまに酔いが強烈過ぎて一体私は何の為にこんな事をしているのだ
そしてなぜこんなにも綺麗に歩けないのだ
と猛烈に悲しくなることもある。なんならちょっと泣いた事もある。

歩いているところを目線からのアングルで動画に撮ってみて帰宅してそれを見る。
膝の角度がダサいな。音が変だな。
もっとこうすればきっと…
Youtubeなんかで「ヒール ウォーキング」「Highheels How to walk」なんて検索して見比べて考える。
筋トレを始めた頃と全く同じで
正解がわかるようで分からない。未だ解答には至っていない。

暗中模索してはいるがそれはそれできっと楽しいのだ。
考える事がたくさんあって良いのだ。
そう信じ、今日も深夜になるときっとヒールで闊歩しだすのだと思う。

色々と考え過ぎなのかも知れない。
思想犯の様になって来たので一旦ここで終わる。

ちなみに今はシラフである。



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