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近所の蕎麦屋が閉店したこと

 合理的な理由があるのかないのかはっきりしないまま緊急事態宣言が解除されて以降、少しずつ街に出る機会が多くなった。混み合った電車に乗るのはまだ怖いし、近くを人がすれ違うだけで体が固くなる。それでも徐々に街へ出て、店でものを買ったりするようになった。

 三ヶ月ぶりに髪を切り、行きつけの整体に行った。長期間のステイホームで首も肩も腰も固まり、左肩を動かすと痛みさえあった。久しぶりに会う整体の先生は、痩せたぼくの身体を見ておどろいたようだった。大抵の人は在宅期間中に太るのだそうだ。もっとご飯を食べるように、少しずつ運動するようにと先生は忠告してくれた。

 施術をしてもらいながら、先生といろいろ話をした。これからのこと、これまでのこと。緊急事態宣言中は従業員を休ませざるを得ず、自分一人で患者さんに施術をしていたと先生は言った。

「患者さんの施術をやって、患者さんが帰って一人きりになると、この部屋が広く感じられるんですよね。換気のために開けている窓から風が入ってきて、レースのカーテンがふわっと動いて、僕一人が施術台を片付けて、消毒して、次の予約のお客さんが来るのを待ってる。開設当時もこんな感じだったなって。まだ従業員を雇ってなかったですから」

 ぼくより10歳以上も若い先生の落ち着いた声を聞いて、ぼくは気まずい気持ちになった。彼が苦しかった時期、ぼくは自分の家に閉じこもって何のサポートもしなかった。感染リスクの恐怖を理由にして、彼の一番苦しい時期に見て見ぬ振りをした。

 もちろんぼくの行為は合理的で妥当だった。あのときは他者との接触回避こそが感染爆発を封じ込めるための唯一の手段だった。だが、合理的で妥当だったからといって、自分に近しい人の手助けができなかったという罪悪感が消えるわけではない。

 全国のライブハウスがクラスター感染の発生場所として槍玉に挙げられ、飲食店が店内で営業できなくなり、自粛の名の下に生活必需品を除いて店舗も閉まった。ネットでは毎日そういった店の苦境が伝えられ、政府の無為無策に怒りの声が上がり、店舗維持のためのクラウドファンディングやネットショッピングでの支援情報が流れていた。

 20年以上お世話になったジャズ喫茶や、友人がやっているライブハウスのために、ぼくはBASEで支援グッズを買った。だが全部は無理だ。ミニシアターも、クラブも、ライブハウスも飲食店も、すべてを自分一人で救済することはできない。やがてSNSなどでそういった人々の苦境を目にすることが苦しくなっていった。目の前で困っている人、苦しんでいる人を自分が見殺しにしているように感じられ、目を背けざるを得なかった。

 自分が他人を救うという僭越な考えが良くないのだろう。個人のことは結局個人でやるしかない。だがそういった自己責任論がこの国に蔓延したせいで、死ななくていい人が死に、学ぶべき人が学ぶ機会を奪われ、全員が等しくグローバリズムに飲み込まれて貧しくなったのがこの20年ではなかったか。だからといって互助には限界がある。公助が必要なのに、わずかばかりの融資と嫌々支払う給付金だけで政府は見て見ぬ振りをした。

 今振り返ると、ステイホーム期間中の精神的なつらさというのは、目の前に困っている人や苦しんでいる人がいるのにどうしようもなかった、その無力感や罪悪感が原因だったのだという気がしている。

 施術が終わり、自宅へ歩いて帰る道すがら、近所の蕎麦屋の前を通りがかると扉の前に閉店の張り紙が貼ってあった。もう何十年も前からやっているお店。ぼくがこの町に越してきてから数え切れないくらいお世話になったお店。店の大将はまだ高齢ではなかったはずだが、道路に面したショーケースには木の板が打ち付けてあった。

 目の前で起きていることは、ニュースを目にすることとまったく違う。物事が自分の周囲の現実に侵食してきたような感触がある。

 ぼくは手書きで書かれた閉店の案内を見ながら、無力さを覚えた。このような現実を前にして、日本経済の競争力強化のためには、こういった店や会社は倒産すべきだなどとうそぶく人間は、はっきりいって人間ではないと思う。だがそういった人非人を非難しても、目の前の現実は変わらない。この蕎麦屋は死んでしまい、もう二度と息を吹き返すことはない。

 ぼくたちが今突きつけられているのは、人間性に関わる問題だ。システムのせいではなく、人々の無関心のせいでもない。だが同時に、ぼくたちはそんなに正しく強く美しい存在でないのも事実だ。卑怯で弱く、醜い。そうした矛盾を抱えている。

 ニヒリスティックで自虐的な自己愛に逃避できる人はまだ幸せだという気がする。絶望することも理想を語ることと同様に簡単だ。何かが必要なことははっきりしているのだが、そこへ至る道は遠く、厳しい。目の前で苦しむ人から目を背けて逃げるように歩み去る地獄は、矛盾に満ちた自分から目を背けていることとセットになっている。


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