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今日はなにを書こう

今日はパソコンのメールアドレスを変えた。

大学をこの春で卒業するため、いつも使っていた大学のアドレスが使えなくなる。新しいアドレスを色んなところに登録し直していると、大学から社会に出るためのなんかの儀式をしているみたいだった。

大学生活は、悪くなかった。

格好つけないでいうと、かなり良かった。


理由は、見える世界が広がったから。英語を話せずとも海外に行けるなんて知らなかった。海外の大学に行く人なんて、雲の上の人かと思ってた。行ってみたい国に訪れるだけで、人生が変わると本気で信じてたけど、そんなことなかった。

高校生のときは、海外に行くことはきらきらしている憧れみたいなもので、海外に行けば私は自動的に格好いい大人になれるものだと思ってた。本気で。

だけど、一切そんなことはなくて、海外でカフェに入るだけでも未だに緊張するし、現地の友達がすぐに出来ることなんてないし、英語が話せない劣等感でゲストハウスのベッドから動けなくなることもしょっちゅうあった。高校生のときに憧れていた世界に立ったとしても、自分自身がガラッと変わる訳ではなく、環境は大きく変わるが自分の中身が一気に変化する訳ではないことを知った。

日本以外の国に行ってみて、知らないことがたくさんあることを知った。現地でのバスの乗り方さえも聞いたり調べたりしなきゃ分からないし、そこでの常識、宗教、生活の仕方は日本と違うことだらけだった。知らないことがまだまだあるんだって気づくたびに、悔しくなってもっと知りたくなって、そうやってどんどん自分の知識や考え方を更新していくことが楽しかった。

大学生活なんて、関わる人が圧倒的に増えるから、世界が広がることは大学生には当たり前なんだろうなぁ。それ以外の理由では、なにがあるだろう。反対に、なにか後悔していることはあるかな。

うん、英語圏に留学に行けば良かった。英語がうまく話せないことが前からコンプレックスだから、大学生活中に克服したかった。二十代のうちに必ず行動にうつしてやる。

あとは、もっと幅広い分野の本を読めば良かった。私は小説を読むことが多いから、もっと学べるような本を読んで知識を蓄えたかった。卒論を書くときに、人工知能についての本を読んで、意外と面白くて、著者の人工知能に対する情熱の強さとか新しい発見ばかりで楽しめたから、興味があまりない分野の本にももっと手を出せば良かった。

って思ったけど、この二つのやり残したことは、大学じゃなくても出来るやんってことに書いていて気付いた。働きながらも挑戦できるやん。

行きたい国に行くことだって、大学を卒業してから出来るし、大学生じゃなくても出来ることなんていっぱいあるやん。たぶん、大学生って肩書きがあるだけで、なんだろう、無敵な状態な気がする。どこの国をほっつき歩いていても、誰からも咎められることはないし、何をしても、まぁ大学生のうちはほっといてやろうって気持ちになる。だけど、働き始めてからだと、どうして社会人なのにぶらぶら遊んでいるんだ、貯金はしなくていいのか、仕事はどうしたんだと、色んな言葉が周りから降ってくる。その状態で、いかに自分のやりたいことが出来るかって思うと、自信がある自分とそうでない自分が半々の状態になる。どれだけくだらない自分のやりたいことでも大切にすることが、肩書を気にせずに無敵に近い状態でいれるコツではないだろうか。


これからの海外渡航はただの旅行ではなくて、なにを知りたいかって目的を持って学んだり、仕事に繋げるような時間に出来たらいいよね。チベットに行きたいから、とりあえず本を買って歴史や現状を学んでいる。同じ世界に住んでて、自分の国の文化や宗教をされている場所がいまだに存在するって思うと、不思議でならないし、何でそうなっているのかって少し知りたくなる。


最後に、今日組み立てた本棚を添えて。すっからかんだ。

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