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アカシック・カフェ【2-3 翠の扉・枯れるエバーグリーン】

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今回の相談者、浮田様は音楽が趣味の、ごく普通のバーの常連だった。けれど、数ヵ月前を境に段々と無理な飲み方が増え、見かねた矢車の旦那がここを紹介した……らしい。過去を確認はしてないけど、この気の落ち込み様は嘘ではないだろう。
ともかく、そんな浮田様は長い指を組んで語る。視線はケースにも手にも落ちず、俺たちに向いている。

「……こいつは、宇佐野は、本当に小さなころからの付き合いでした。近所の音楽教室に通って、学校でも苗字のせいで近かった僕は、何かとこいつと一緒にいることが多かったと思います。小学校に上がっても、中学に上がっても、高校生になったって、ずっと」

思いつめた感じはいくらか和らいでいる。口をつぐんでいるよりはよほどいいが、暖かな懐古をする軽やかさというよりも、どこか投げやりな印象を受ける軽い口調。指は相変わらず、硬く絡んでいるのに。

「だけど、演奏の腕だけは別格でした。あれは、本当に天才ってやつなんだと思います。僕もまぁ、それなりに練習を重ねたけど、引き離される一方、でした」

短く切り揃えられた爪が、それでも手の甲に食い込むほどに。軽く保とうとする口調が、それでも苦みをにじませるほどに。

「才能の差だと思っていました。センスの違いだと諦めていました。だけど、こうしてCDってひとつの明確な形を見せられると、どうしても」

悔しい。憧れる。僕も出来たんじゃないか。その言葉を、きっと言いたかったのだろうに。浮田様は、それでも言えなかった。言えないだけの後悔、浮田様自身が、宇佐野様と同じステージに自分を上げられない負い目が、あるのだろう。

「大学で、何があったんですか?」

永愛が、勇み足ではない、鋭い早さと真剣な目で問うた。手の中のカフェラテに似た明るいブラウンの瞳が、手がかりを見抜き、俺より一歩早く、袋小路へ潜りかけた浮田様の前を衝いた。機先を制されて、浮田様は一拍言葉に詰まった。

「……大学ではね、何もなかったんです」
「でも、ずっと一緒だったって」
「えぇ。……何もなかったのが、問題でした」

撃ち抜いたそこは、まさに心臓。もはや諦めに近い様子で、息をひとつ、長く吐いた浮田様は指を解いて、そっと時を戻る。肩の力がいよいよ抜けた様子で、熱いコーヒーを少しばかり口にして、核心に触れる。

「大学進学を前に、僕は選択を迫られました。音大に進むか、普通の大学か」
「……」
「どちらにされたんです?」

二年後に己に降りかかる進路選択の話題を前に、永愛の顔が強張る。俺は、そんな未来のことに気を割かずに話の先を、十中八九分かり切っている過去を尋ねる。浮田様もその当然の答えを返す。形式的なキャッチボール。

普通の大学です。えぇ、あんな天才を間近で見続けたら、そんな天才がごろごろいるところなんて行く自信ありませんとも」
「……天才、ね」
「はい。……そうやって、身を退いた末が『何もなかった』ってわけです」

永愛の、思わず口を衝いた復唱にまで律儀に返事をして、浮田様は力なく笑った。ジャケットの彼女とは、違う意味で無責任な笑みだった。……あるいは、自責に潰された笑みだった。

「虫のいい話なのは分かってます。その道を選べなかった時点でダメなのはわかってます。だけど、もしかしたら。あいつと一緒に弾き続けてたら、もしかしたら……。せめて、後悔はしなかったんじゃなかったかって
「だから」
「えぇ。情けない話でしょう?あの時は、平穏が一番だと思っていました……あの時は

斯くして、すべてが繋がる。「つまり」と改めて前置きして、彼は再びコーヒーと、躊躇いを呑み込んだ。それを言うことへの自嘲と、それを超える、無理を承知で縋らんとする真摯さがあった。

もし、あいつと一緒に音大に行っていたらどうなっていたか。なんとか知る方法はありませんか?」
「……そうは、言っても……」

今度は、永愛が言葉を詰まらせた。先ほどは無慈悲な限界を突きつけた我が助手は、一通りの話を聞いて感化されてしまったらしく、やや下向きに目を泳がせているんだろう。アカシックスとしては未熟だけど、人としては正しい共感だ。喜ぶべきなのだろうな。

わかりました

――で、そうホッコリしてもいられない。俺は永愛の師匠であると同時に、依頼を受けたエージェントだ。これだけ自分の弱みを語ってくれた依頼人に、紋切り型の断り文句だけ繰り返して終わりにしちゃ、裏稼業の意味がない。

「出来、るんですか!?」
「え、嘘でしょ弥津彦!」

二人が弾かれたように顔を上げる。俺は希望と困惑の二色に染まった浮田様の視線を正面から受け止め、首を縦にも横にも振らない。するりと立ち上がり、まだ驚愕と疑問に目をぱちくりさせている永愛へ指示を出す。

「永愛、部屋の鍵開けておいてくれ」
「え……ん、わかった」
「浮田様。申し訳ないですが、正確に『それ』を叶えることはできません。けれど、ある程度は保証します。……詳しい話は誓約書を書いてから」
「あ、はい」

永愛は、まだ納得のいっていない様子だったが、それでも俺の声色から何かを感じ取ったのか『助手』としてすぐに立ち上がった。カフェラテの最後の一口を飲み干して、ぱたぱたと隠し部屋の準備に入る。
浮田様は浮田様で、少し小さな字で名前を書く。浮田優作。正確な情報を得て、俺の全知はよりうまく機能するだろう。
俺は、手を軽く握り、開き、息を整える。浮田様が天才と呼んだピアニスト、宇佐野恋のデビューアルバムは、ここまでの話のせいか、いやに重く感じた。意を決して、浮田様に声をかける。引き返せなくなる最後通牒。

じゃあ、行きましょうか。四年、年を取っていいのなら

一陣の風が外を駆け抜け、ドアが軋んだ気がした。勿論、気のせいだけど。
宇佐野恋が微笑んだ気がしたのは、もっと気のせいだ。

>>つづく>>

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