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父と再会した話

 父と再会をしたのは5月。そこからすべてが動き出してから、約1ヶ月…それは今まで生きてきた中でも苦行の毎日だった。全身の水分がなくなるんじゃないだろうかと思えるほど、泣いて泣いて泣きまくった。すべての膿を出し尽くして、削ぎ落とし、また戻って絞り出しては、吐き戻して…うっかりすれば精神の崩壊を来すほどのレベルだったかもしれない。でも、おかげさまで無事に乗り越えることができた。


 今回はコミックエッセイ発表からその後まで、順番にゆっくり振り返りたい。


すべての始まりは文鳥のふーちゃん

4月27日(土)、母にLINEをした。

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4月27日(土)、母からLINEに「どんな内容か連絡がきてます〜」と。

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 そこから先は、直接やりとりをすることになり、父の連絡先を人生初めてゲット。震えながら、連日どんなメールをしたら良いかしばらく悩んで…結局送ったのは5月2日(木)だった。あまりにもテンパっていたので、思わずtwitterに投稿したら、優しい言葉をかけてもらって救われたし涙した。

ヤマシタ家で肉会をした時に…

 4月28日(日)夜、この日「第二の実家」であるママスパパスことヤマシタ家ですき焼きパーティーナイトを過ごしていた時に、様々な会話の中でnoteの話題になった。その頃、ちょうどKIRINさん社会人1年目のわたしへ のコンテストの投稿記事で、嬉しいことに初のnoteおすすめなどにもなったことで記事の感想を話してくれたり、色々なnoteにまつわる話をパパスがしてくれた。

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初オススメの魚拓!

 パパス「そうそう、KIRINさん以外にもお題や、別のコンテストもやってるみたいだよ。コミックエッセイとか」

 帰宅後、noteの募集要項を確認してみると、幻冬舎×テレビ東京×note「#コミックエッセイ大賞 」開催のタグを発見。(KIRINさんの時は、twitterシェアから直接リンクの詳細ページを見ていたので、他の募集要項などを把握できていなかった…)


 「ふむふむ…コミックエッセイかぁ…」

 ここで、ふと頭をよぎった。文鳥のイラスト依頼をしようと思っていた父と共同でチャレンジしてみるのはどうだろうか…いやいや、今からなんて絶対間に合わないし、描いたこともないし、そもそも父がイラスト満足に描けるかもわからないし…しかも締め切りは今月末!?ムムム…

…でも、一応父に聞いてみよう。


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すると、父からなんだか陽気な回答がきた。


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 うっ、なんてお気楽なメールなんだ…こっちはランラン♩言ってる場合じゃないんだぜ。

 コミックエッセイはこれまで何度か読んだことがあった。例えば収納術とか、不妊治療とか、子育てとか。どれもとても軽快なトーンで読んでて面白かったし、絵も可愛かった。かなり計算し尽くされていないとできないだろうと思っていたので、始まる前からすでに「むむむ、無理…」と嘆いていた。

 でも、改めて募集要項をよくよく読んでみると…

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 なんとイラストとテキストでも受付可能!

 ギリギリ応募資格はありそうなので、少しの希望と共に挑もうと思った。もしコンテストで賞金が取れたら、父に働いてほしい、父が働いたお金を母へ渡してあげてほしいというわたしの願いが叶えられるかもしれないと思ったからだ。無謀だとわかっていても夢があれば、そこに向かって走っていける。内容、文章も絵も、どれとっても今からではとても満足いくものにはならないだろう。そんなことは、わかっている。それでも挑戦したかったのだ。チャレンジ精神のエネルギーそのものが、父と会うことへのエベレスト級の高い壁をがむしゃらに登らせるだけの原動力になったのだ。その力はわたしの弱って小さくなった心のまわりを強く大きくしてくれた。

 そして、身も心もボロボロになりながら会う日々が始まった。


再会の日

 5月8日の再会の朝、旦那さんが会社に行く前に「がんばってね」と勇気付けてくれていたが、その効果はあっという間にどこかに吹っ飛んでしまった。喉はカラカラ、息ができない、落ち着かない。再びtwitterに助けを求めて呟いた。今回も応援してくれるフォロワーのみんなに救われた。

 その時、眺めていた文鳥動画。勝手にブランコに逆ギレしている小さな姿になんだか元気をもらえた。


 そして、とうとう。


 父と再会した。


 再会した瞬間、なぜか父が黒いエプロンをしているのが目に飛び込んできて「なんだそれ!」と笑いながら話していた。「いつもエプロンしてるんだよね。喫茶店の店長みたいでいいでしょ」…父、恐るべし。いきなり、ネタをぶっこんできた。そもそも父は猛烈にふざけるのが好きで、子どもやお年寄りに大人気キャラである。ホームレスになっても、お金がなくても生き残ってこれたのは、究極のユーモアの持ち主だからだ。

 ダイニングでようやく腰を据えて話をし始めた。この日、コミックエッセイについての打ち合わせを兼ねていたので、父の幼少時代に始まり、わたしが今まで知らなかった人生について話を聞いた。


 この日、父は4回泣いた。


 わたしは久しぶりに泣く父を見て「あぁ、この人も泣くんだ…」と客観的に眺めていた。目頭を抑えて、涙を溢すまいと少し上を見上げて、クシャッと顔を歪めた。なぜ、この人が泣くんだろう。本当はわたしの方が泣きたいのに。今まで散々泣き叫んできたのに。家でも、車の中でも、どこか知らない場所を歩いているとき、ふと思い出しては泣いていた。いざ本人を前にすると泣けなかった。でも、なぜ泣けないのだろう…なんだか悔しい。

 その日は4時間ほど時間を過ごして、父が何も描く道具を持っていないということだったので100均へ買いに出かけた。久々に父と一緒に歩いたが、なんだか心の奥がこそばゆい。歩きたくないような、でも歩けて嬉しいような…

 100均に到着して、すぐに文房具コーナーへ向かった。黒のカラーペン、筆箱、プラスチックの用紙入れ、下敷きで制作を行うことにした。父はパソコンがないので、アナログで描いたイラストを、わたしがスキャンしてデータ化しphotoshopで枠を作ったり、縮小拡大して調整し、コミック化の作業を行う段取りになった。


 帰り際に、父はアメを1つ手渡してくれた。


 帰宅して、18時頃から一心不乱にコミックエッセイの大まかな流れをパソコンに書き出していった。ここで、ようやく思う存分涙した。止めどなく溢れる涙で画面が見えなくなりながら、わたしと父が過ごした時間を振り返った。途中、水分補給をしながら、旦那さんが帰宅する23時頃まで書き続けた。頭が痛い。息も苦しい。それでも、夢中で書き続けた。

 帰宅する前に必ず旦那さんから電話がある。

旦那「もしもし〜お疲れ様〜!今から帰るね!」

わたし「…う、うぅ、お、お、おつ、おつか、、、…(号泣)」

旦那「ど、どうしたの!?大丈夫!??」

わたし「泣き、泣きながら、げ、原稿、か、書いてる〜(号泣)」

旦那「そっか〜(笑) 今日お父さんと再会したり、いろいろご苦労様だったね!」

 帰宅すると、真っ先にボロボロになってノートパソコンの前にいるわたしを見つけて、たくさん頭を撫でて、しばらく抱きしめてくれた。心臓の音がゆっくりゆっくり静かに聞こえてくる。心底、安心した。凍てつく深淵の海の底から、一気に海面に引っ張り出してくれるみたいに、途端に全身に力がみなぎってくる。冷たく血の気もなくなった呼吸も浅かった身体が、熱く、息を吹き返した。

 この瞬間、急にフラッシュバックした。まだ「家族が家族の形をしていた」頃へ。わたしはよく母や父と抱きしめ合っていた。

 何かに挑戦する日の朝の玄関で父と、悲しくて泣いていた背中を包んでくれた母と。

 腫れぼったい目でボーッとしながら、旦那さんとのんびり遅い夕飯を横に並んで一緒に食べた。


コミックエッセイの制作スタート

  修正をしてだいたい大まかな話の流れを作り、父に送ったのは5月11日だった。当初は12話×A面、B面の24話の予定だったが、どう考えても間に合わない…!ここからラフを作り、原稿の肉付けをして、スキャンしたデータを組んで…というか、メインキャラクター作りがまず絶対時間かかるじゃないか…あぁ!どう考えても間に合わない!!(2回目)

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 そして、2回目の打ち合わせが5月17日(金)決まり、この時までにキャラクターラフを制作してきてもらうことになった。

 父から、キャラクターのラフがきた。

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 うーん、なんか違うな…


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 話が暗いから、せめてイラストは明るいトーンにしたいことや、身の程知らずにもグランプり取るための話をしていた。〆切まで2週間前、まだ1話もできていないのに、異様にモチベーションだけは高かった。それはずっと乗り越えられなかった巨大な壁をようやく人生かけて登り切ったことでの自信と、今なら何でもできてしまうんじゃないかという勘違いからだった。せっかくエベレストを登ったのに、次の日にもう1回麓からエベレストにチャレンジするようなものだ。勘違いでも何でもいいから、自分を鼓舞しないと乗り越えられない


 そんな時、父からのSOSメールが届く。


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 制作の進行上、どうしてもスピード出せない理由はイラストを描いていなかった期間の長さと、脳梗塞の影響で身体の右半身、右目に大きく影を落としていた。こればかりは仕方ない。もし、〆切に間に合わなかったとしても、それでも最後までやり遂げることだけは約束した。


父へ再び失望したこと

 3回目の打ち合わせは5月19日(日)、この日話の方向性を変えることになった。今まで父へのインタビューを毎回行って、その当時の出来事や心理描写の聞き取りの為に毎回インタビューをしていた。

 何気ない会話の中で…

 わたし「正気に答えて欲しいんだけど、今まで、会いたいって思ったことあったの?」

 父「…会いたかったかと言われると、難しいよなぁ〜。ドラマみたいに、空港とかでさ、娘を見送るシーンで泣くとか、結婚式で泣く父親像とかさ、やっぱり自分にはできないというか。」

 そうか、わたしに対しての愛情はないのか

 今更期待していたわけではなかったが…と思いかけて、それは大きな嘘だった。本当は嘘でもいいから、「会いたかった。家族のことが忘れられなかった。」とか、なんとか言って欲しかったのだ。勝手に期待して、期待していた言葉をくれなくて、勝手に失望した。拗らせた恋愛みたいだ…自分自身にも嫌気がさした。

 ラストはハッピーエンドにしたいと思っていたが、土壇場でラストの方向性を変えることになった。再会しても、救いも何もない話。現実に沿ってリアルでそれはそれでいいと思っていたが、本当に虚無でしかない物語になってしまうのかと、少し作業の手が重くなっていった。

 この日の打ち合わせから、もっと父へ対する態度が冷静に、そして雑になっていった。


初めての絵コンテ作り 

 それにしても、構成&ラフに猛烈に苦しんだ。この時、ちょうど「キングダム」を読み始めて、何となく漫画の1ページあたりの構成などを見ながら、あーでもない、こーでもないと言いながら制作していた。

 見よ、このひどい絵コンテを!

 これを1話に付きA面、B面の2本、それを12話分で24本も描くのか…1本あたりに1コマではないので、かなりの枚数になった。うひゃー、なんてものをやり出してしまったんだ…

 うーん、noteに誰かこういうものを書いてる方はいないだろうか?と思って探したら、吉本ユータヌキさんの記事を発見した。か、神様仏様吉本様!記事にならって、順番に制作をスタートした。そして、本当に毎日ムムム…しか言わない日々だった…

①全体のネタ出し → 誕生〜再会までの話の流れを、ターニングポイントごとに区切る
②構成 → 最初は4コマ設定だったが、話の流れの中で区切るのが難しく断念。漫画のように、もう少し場面展開をイラストに落とし込む  
③ラフ → 全体のイラストの手書きで指示書制作。イラストや文章の位置の確定   
④清書 → 父がイラスト仕上げ、修正
⑤デジタル化&完成 → イラストをスキャンしてデータ化。フォトショでイラストと文字を組み立てる作業

 なんとか仕上げることができたが、毎日HPが底を尽きた。

ユータヌキさん、ありがとうございました!


初めて父の前で泣いた日

 父からラフのイラストが届いては、修正依頼を出す作業が連日続いた。24日(金)、26日(日)、27日(月)、28日(火)、29日(水)まで連日自宅に作業しに父がやって来た。

 作業の合間にほとんど仕上がっていた28日に、わたしがパソコン作業をしている部屋に、父は最後の9話のページを持ってきた。

 「これさ、ラストはこれでいいの?」と父は、心が空っぽの様子の絵のわたしのラストシーンをさして聞いてきた。

 父は結局自分の人生を好きに生きたい人だから、わたしや母のことに愛などないのだと、この連日の父へのインタビューで再確認していた。なので、ラストはハッピーエンドをやめたのだ。それをここ連日、父はずっと気にしていた。


 「なかなか言えなかったんだけどさ、俺はさ、一回も君に会いたくないなんて思ったことないよ。離れ離れの時だってさ、おかあちゃんのことだって、一回ももうこれ以上人生で会いたくないなんて思ったことなんてないんだよ」


 わたしは急に言われて頭が真っ白になって混乱した。


「色々あったけど、それでも根底には、ずっと愛情があるからだよ」  


 わたしは声にならない声をあげながら泣き叫んだ。頭の中でわたしが怒鳴り散らしている。言われて嬉しい言葉なのに、地団駄を踏みたくなるくらい無性に腹立たしい。


 …なんで、なんだよ、もっと早く言えよ。遅い。遅いよ。もっと早く言えばいいのに。なんで今になって言うんだ。もっと前に、もっと何十年も前に言えばよかったんだよ。たった一言でも言えばよかったんだよ…


 父をものすごい剣幕で睨みながら、やっと言葉にした。「言わないと、言葉にしないと、本当に伝わらないんだよ。ずっと伝わらなかったよ。」

 父は初めて泣くわたしの姿を見て、しばらく驚いていた。 



 土壇場でコミックエッセイのラストシーンを書き直した。

 再会して、わたしが再生する物語になった。


そして父は帰り際に、またアメを1つ置いていった。いまだに食べずに家に残っている。


なんとか公開できそう!

 公開日の5月30日(木)の朝、旦那さんの父方のおばあちゃんが前の週に亡くなってしまい、お線香を上げに山梨へ旦那さんと車で移動した。コミックエッセイの制作でこの週はずっと疲れていたため、移動中の車の中はとても眠たかった。そんな中、Netflixの「3月のライオン」を「これ、すごくいいから見よう」と言っておもむろに流し始めた。わたしは半分横になりながら、眺めていた。桐山くんの奮闘記、3姉妹の暮らし、ステキなライバル二海堂くん、こんな先生が欲しかった林田先生などなどいいキャラがたくさん登場する。途中、旦那さんと笑ったりしながらほっこりして見ていた。

 でも、桐山くんや3姉妹の家族の話が出てくると、なんだか今のわたしには受け止められなくて、何かが決壊しそうな感覚に襲われた。この1ヶ月散々向き合ってきて、とうとう今日公開して手放せると思っていたのに。まだまだと呼び戻されたような感覚だった。

 ひなちゃんが夜空の下で泣いていた。わたしも堪えきれずに大泣きした。お昼に車内で食べていたマックセットの中にあったナフキンで涙を拭って鼻を噛んだら、包んでいたアップルパイのいい香りがして泣き止んだ。旦那さんが「悲しくなっちゃったね」と言って、頭を撫でてくれた。

 山梨のおばあちゃん家に到着した。亡くなる少し前に、旦那さんと一緒に病院へお見舞いに行ったのが最後だった。家族が近くにいて、たくさんの孫、ひ孫ができて…97歳の大往生。わたしはお嫁にきてから、おばあちゃんに会うのは数回しかなかったが、敬老に日などにはおばあちゃんの大好きな数独の本をプレゼントしていた。超難関ばかりだったが、スラスラ解いていたらしい…かっこいい。旦那さんの両親とのんびりご飯をして、最後にお線香をあげて自宅へ向かう。おばあちゃん、お空でも難関数独解いてね。

 

 帰りの車内で続きの「3月のライオン」を見た。第7話で野球少年の高橋くんと桐山くんのセリフに息が詰まった。

 高橋くん「1年遅れで学校にまた通い始めたのは、どうしてですか?」
 桐山くん「…多分、逃げなかったっていう記憶が欲しかったんだと思います」
 高橋くん「…逃げたり、サボったりした記憶って自分にしかわからないけど…ピンチの時によく監督に「自分を信じろ」って言われるんすけど…でも自分の中にちょっとサボったりした記憶があると、「いや、だってあの時サボっちゃったし」って思っちゃって…それ(自分を信じること)ができないんです。だからうまく言えないけど、そういうのをなくしたかったってことですよね?」   


 そうか。そうだ、わたしも同じだ。


 わたしももうこれ以上逃げたくないから、だからちゃんと逃げなかったという記憶を残しておきたかった。心に焼き付けておきたかった。


 旦那さんは今回のnoteのコミックエッセイのコンテストを応募する前に「挑戦させて欲しい」とお願いした。きっとチャレンジする上で、働いて、家事をして、コミックエッセイ考えての3重は普段の生活に支障を来たすと思っていたし、何よりこんな話が一般公開されたら恥さらしだとか、嫌なんじゃないかと思っていた。でも「いいよ!おもしろそうだし、やってみよう!」とコンテストの詳細を見て、すぐに快諾してくれた。

 旦那さんの取り柄は圧倒的なポジティブと鋼のようなハートだ。そして、大のアニメ好きでNetflixのアニメはかなりのハイスピードで制覇している。おかげでNetflixのトップ画面はどのジャンルにもアニメばかりおすすめされて困っている。コミックエッセイが完成した今日、何気なく見せてくれた「3月のライオン」。もしかしたらずっと前からわたしに見せたかったアニメだったのかもしれない。そして今だからこそ、やっと見せることができたんだ。「3月のライオン」の中に書き切れないほどたくさんの伏線に気付いて、また泣いた。

 旦那さんの大きな懐に感謝した。

泣いても仕方ないから、あきらめて、悲しいから考えないようにして、頭から追い出して、追い出して、追い出して…でも…本当にそれでよかったんだろうか。
ひとはこんなにも時が過ぎた後で、全く違う方向から嵐のように救われる事がある
失敗したって事は挑戦したって事だからな。何もやんねーで他人の事笑ってる人生よりずっとマトモだ
精一杯頑張った人が最後にたどり着く場所が、焼野ヶ原なんかであってたまるか

                        「3月のライオン」より


公開後…

 〆切のギリギリの深夜5月30日〜31日にかけて、1〜9話を一気に公開した。とても緊張しながら、リンクをtwitterとfacebookに拡散した。

 公開直後の深夜、真っ先に以前書籍で旅をご一緒した作家の宮田珠己さんが読んでくれてツイートしてくれた。

 

 「お疲れ様」っていう言葉。普段何気なく使っている言葉が、今までの人生で一番響いた。疲れ果てた身体の隅々までこの温かい言葉が染み渡って、なんだか泣けてきた。宮田さん、本当にありがとう。 


 3組に1組が離婚を選ぶ時代で、家族の在り方や価値観の変移、いろいろな家族がいて当たり前で、その中の1つとして家族のありのままを見て欲しいと思った。

 しばらくして友人から話せなかった家族のことを聞かせてくれたり、離婚経験のある仕事仲間から感想の連絡がきたり、心配してメールをくれたり、応援してくれたり、心を開いてくれたり、親身になってくれたり、優しい言葉をくれたり…どうもありがとう。たくさんの人に感謝の気持ちを伝えたい。もしかしたら、公開したら何かで傷付くこともあるかもしれないと思ったけれど、恐れていたことは1つもなく、ただただそこには温かな時間があった。わたしにとって、このコミックエッセイはわたし自身へのレクイエムである。あんなに苦しんでいた、永遠に手放せないと思っていた「わたし」が、いつの間にか遠くで小さくなって消えていった。まるで最初からそこにはいなかったかのように。

 

 そして、1週間後…


 落ち着いてきたので、そろそろ父にイラスト料を支払おうと思い、改めて原稿を振り返った。身の程知らずなわたし達は本気で「1等賞金とるぞ、おりゃー!印税と賞金は山わけじゃ!」という想定通りならば、父にイラスト料はそれでOKと思っていたが、公開後にあっという間に元のわたしに戻り、冷静さを取り戻し、他の参加者のコミックエッセイのクオリティの高さやストーリー展開の巧さを垣間見てマッハで、身の程知らずだったわたしを猛省したのだ。ごめんなさい…優勝するぞとか思って、なんか本当ジャンピング土下座。

 となると、ここは依頼人のわたしが父にイラスト料を払うべきだ。イラスト料って今はいくらなのだろうか?母からは当時の感覚だと、小さいサイズではモノクロ500〜1000円のところもあったと言っていたが、それは安い仕事の値段のはず。そこでtwitterにつぶやいてみた。


 早速、ご丁寧な返信くれて感謝感謝です。ありがとうございました!

 こちらを参考にして、ラフの指示書から改めてザッとまとめてイラスト90点から見積もることにした。

イラスト 90点 × 3000〜5000円 = 270,000〜450,000円 

ここでふと思ったのは、この大金をホームレス父に渡していいものだろうか?母へ一旦相談した。

 「10万円超えるの !? あまりよくないんじゃないかしら…」

 大金を手にれて失敗している人だし、今の状況的にお金を渡すと変に癖になってしまうのではないだろうかと母なりに心配していた。それは一理ある。でも、さすが10万は安過ぎる…となると、再度改めてもう少し下げて、せめて20万円以内に収まる金額設定にしてみよう。

イラスト 90点 × 2000円 = 180,000円

 これでも母からはあまりよくない反応だったが、イラスト料とコンテスト参加料ということでこの金額に決めた。(安いと感じるイラストレーターさんもいると思うが、今回は家族間のこともあるので許してほしい)

 後日、調布で父と待ち合わせをした。制作中短時間でかなり会っていたので、なんだか久々に会ったような気がする。お互いソフトドリンクで乾杯をしてミニお疲れ様会をした。ランチをして、またダラダラ1時間ほど話をした。別れ際に「では、今回のギャラを進呈する」と言って、封筒を渡した。渡す時に「あ!後日談に掲載するから、写メさせて!」と言って、なんだか不思議な光景に周囲には写っていたかもしれない。


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封筒を見て、父はかなりびっくりしていた。

「え…こ、こんなにいいの!?」

「うむ、参加料も含んでいるから」

「え…今月の家賃とか大丈夫なの!?」

「わたしの節約術をなめないでいただきたい」

「師匠!一生ついていきます!」

 なんなんだ、このやりとりは。そして、ついてこないでくれたまえ。

 たくさんのことがあったが、何はともあれ、これで無事に全て完了した。とても華々しく、心もスッキリしていた。しょうもない父だが、人生のデトックスに付き合ってもらい、きちんと最後まで真正面から向き合ってもらったことに感謝した。

 帰りの電車の中で、父とこんなやりとりをした。


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  もちろん、予想していたけれど、まったくもって懲りない人だ。


ありがとうの言葉しかない

 全てが終わり、母に報告しに行った。

 実家の近くのカフェで一緒にカレーを食べがら、コミックエッセイの感想、制作過程の出来事、周囲の様子などたくさんの話をした。わたしと母はこのコミックエッセイを完成させてから、確実に変わった。母は離婚をすることを決めて、わたしは父や家族に対してのあらゆるネガティブな感情を手放すことができた。

 母に最初にこのコミックエッセイにチャレンジする話をした際に、「なんのために制作するの?」と訪ねてきた。

 それは「わたし」を取り戻すために必要だったからだ。

 もう1人のわたしを取り戻すまでのプロセスの1つ1つ、「コミックエッセイを完成させる」ことが、大きな心の支えになっていた。父と会うこと、父と話すこと。このたった2つのことが今までできなかった。目標がなければ、何か1つでも達成できず中途半端になってしまったかもしれない。父との共作によって、互いに過ごす時間を取り戻し、たくさんの父との初めての体験ができ、今のこの瞬間、わたしの人生で思い残すことは何もない。やっと人生を動かすことが出来た。わたしが戻ってきた。

 noteを始めて、まさかこんな人生のターニングポイントを迎えるだなんて思いもしなかった。



 公開して1週間後、「それでも、いつの日か #9 」がnote編集部のおすすめ記事になって、心底嬉しかった!ステキな企画をしていただき、心から感謝しています。ありがとうございました!


\コミックエッセイお時間ある時にご覧ください/


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