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壱章 六話 鏡子

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 薄暗い部屋。ブラインド越しに夏の陽射しが射し込む中、落ちたばかりのドリップの香りを、ソファーで微睡むナッツさんに運ぶ。

 五日前、朝帰りの後からナッツさんの口数は至極少なかった。置いたコーヒーカップにも気が付いていないようだ。きっとナッツさんも理解が出来ないまま思考が止まっているのだろう。

「痛ってっ、まったく、何て所に傘立て置いてるんだぁ……おぉーいっ」

 傘立てが倒れた音にそれまでの静黙が消える。慌てて来客者を出迎えようと向かった先、その女性の姿に思わず目を疑った。

 黒のスーツ、なにか妖艶な雰囲気を漂わせているロングヘアーの女性。いや、それだけならば何も驚く必要などはない。髪型が違うだけでまるで鏡のように瓜二つなんだっ、ソファーで横たわるナッツさんとっ。

「ん、君は? あいつは居ないのか?」

 驚きで言葉を失っていると女性は不思議そうな表情を近付けた。思わず目を反らした僕を軽く押し退けソファーまで歩いていく……並んだ顔は似ているどころかまるでコピーだ。

「ん~っ、ナツキ? おいこらっ、ナツキッ」

 その声にナッツさんは目線を動かし女性を視界に捉えるけど随分と反応が薄い。すると一瞬呆れたような顔をした女性が深い深呼吸をしナッツさんの耳元に近付いた。

「すぅううーっ……うらぁあっ、酒井夏稀さかいなつきぃ、それでも私の妹かぁ」

「き、鏡子きょうこネェッ」

――困惑を伏せるように鏡子さんにコーヒーを差し出した僕は夏稀さんの隣に腰を落とした。『それでも妹か』って言ってたなぁ、もしかして双子の姉妹とかなのかな?

「まったくっ、お盆の時期は稼ぎ時なんだぞ、廃業したら養わせるからなっ」

「ご、ごめん。でも」

「あぁ……もう分かったよ。で、報酬はこの子か?」

「いや、そいつはオトコだ残念ながら。相変わらず女好きだなぁ鏡子ネェは」

 あれから身体が軋み痛む事は無くなったけれど、僕の容姿は日々女性のようになってきている。夏休が明けたら大学の友達に何て説明しようかと思案の日々だ。いや、違う。そうじゃなくて何の話しですか? 報酬ってっ。
 無理やり話を誤魔化すように、二人は姉妹なのかと聞くと鏡子さんが尚更耳を疑うような言葉を返してきたっ。

「んあ、腐れ縁の他人だ、レズビアンのセフレではあるけどなっ」

「ちょっ、鏡子ネェッ……ぶ、ぶっ殺すぅっ」

 夏稀さんがソファーから立ち上がり、顔を真っ赤にしながら鏡子さんの襟具りを掴む。ジャレているだけな事は伝わったけど……い、今さらっとすごい事を聞いた気がするぞ、

「ったく……織屋鏡子おりやきょうこ。もう十年以上の親友だよ、この人は。あ、鏡子ネェ、こいつは天久優。いろいろ訳があってさ、一応オトコだよ。これでも」

 僕の顔をマジマジと見て脚を組み直した鏡子さんが夏稀さんの顎を指先で引き寄せた。耽美すぎる二人は見ている方が照れるようだ。性癖はなんとなく分かったような気がする、うん。

「さぁてとっ。いいか、これに日付、見た事、聞いた事。夢に見た事、起こった事を細かく。全てを書いてくれ。この世界オカルトなんて事は早々にはないんだ。ほとんどは偶然、勘違い、思い込み。理論で解決できる。だから全てを思い出せ」

 バッグから取り出したノートをテーブルに置くと鏡子さんは長距離移動で疲れたとスカートから伸びた脚をソファーに投げて横たわる。それは僕の視線をひどく困らせた。

――いつの間にかテレビから深夜放送の映画が流れている。思いの外けっこうな時間を割いてしまったらしい。鏡子さんは余程疲れていたのか、全く起きる気配が無い。しかし寝返る曲線は筆を官能にしてしまいそうだ。

「そういえば夏稀……ナッツさん、ここの二日目の事は記憶に無いんですよね、やっぱり夢なのかなぁ」

「んぁ、夏稀でいいよ。二日目ぇ、あぁ私がお前に話しかけたってヤツか。ハーフねぇ、なんの事だか……あっ、今の状態を予測したとか……ニューハーフっ」

 あ、あのぉ、夏稀さん本気で顔が笑ってますが……いいやっ、そんな事はないはずだっ。純粋に女の子が好きだ、そりゃ経験は無いけど……いやいやいやいや、違う違う。

「ハーフブリード。ブリードは品種、血統。まぁ俗語で化物ってニュアンスだな。一般的な外人の混血はミックスド・ブラッドで、ハーフって呼び方は蔑称なんだ。夢の中で聞かれたんじゃないか? お前は化物かって」

「寝起きでキツい事言うなよぉ、ますます滅入るわ」

 上体を起こした鏡子さんがまだ微睡みから覚めきらない頃、突然窓の外から男性の叫び声が響き渡った。立ち上がった鏡子さんが窓から身を乗り出すと「なっ、シキガミだとぉっ」と部屋を飛び出す。突然すぎる様にまるで分からず立ちすくむ僕に「警察を呼べっ」と夏稀さんが後を追っていく。

 事件を通報するなんて初めての事だ。ドラマや映画ではありがちな状況だけど、僕がこんな経験を実際にするなんて。

 携帯電話を閉じ二人を追って急ぎ部屋を出た。だけどそれは手助けをとか、役に立つなんて立派な気持ちでは無い、まるですがる子供のように二人の影を追っただけだった。

「っ来るなっ、天久は部屋から出るなっ」

 夏稀さんが僕の姿を見るなり声を荒げる。それは脚をすくませてしまう位の気迫だ、訳も分からないまま階段を上り部屋に戻った。未経験、不測の事態。思考がまるで動かない。

 収まらない鼓動のままブラインドの隙間から様子を伺っていると幾多もの赤色灯が闇夜を裂き、喧騒が大きくなっていく。すると視界の先に見慣れた顔が見えた。あっ、あれって……そうか、部屋に戻したのって。篝の常連客、伊丹さんだった。そっか、伊丹さんて警察の人だったもんなぁ……僕の容姿を見られてしまうのは。

「まさかでナッツかよ、第一発見者っ」

「そりゃ家の前でだからな。てか、まさかで伊丹さんかよっ」

「んん~、たぶん同じ死に方だな。こりゃ」

「前に篝で言っていたあれか、凍死?」

「あぁん、俺、篝でしゃべったっけかあ……まぁ、いいや。あ、ナッツ。すまないけど第一発見者って事でいろいろ聞かれてやってくれ。テキトーでいいからさ、あきらかに事件性は無いからまぁチャチャっとな」

 早々に発見者の聴取も終わりさっきまでの喧騒が消えた。まるで何事もなかったように部屋には静けさが戻る。戻った二人を迎えテーブルを対にソファーに腰を落とした。しかし静寂の中で鏡子さんは脚組みに頬杖をし真剣な表情で何かをうかがっている。

「鏡子ネェ、式神って……」

「あぁ、たぶんな。いや、式神、水の陰陽か……関係ないと思うけどな。絡むとやっかいだぞ。夏稀ぃ、こりぁ報酬一晩に一回や二回じゃ足りないからなっ」

「それしか頭にねぇーのかよっ、わかった、わかったよ。好きにしてくれっ」

「あ、お前も女の子みたいだからお前もなっ」

 突飛な欲求に戸惑いながらも僕は不思議な安堵を鏡子さんに感じていた。何だろう……ものすごく強い人、そして何か懐かしいような。

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