作文の練習を2年続けて

何かの感想文や報告書など長い文章を書く機会は日常の中で不意に訪れるが、いざそうした時にまったく言葉が出ず、いい大人がこのままではまずいと思ったことをキッカケに2020年から作文の練習を始めた。文の内容は二の次に「毎週日曜日に更新する」のルールだけを決め、ただ無心に筆を動かすことで文字を書くことに慣れようとした。並行して、完成度に囚われず手癖のみを優先した表現を続けるとどのようなことが起こるのか、などのテーマもあったが、基本的にはあまり細かいことは考えず、とにかく漫然と繰り返すことだけを念頭に置いて書き続け、2年が経った。一旦の成果としてはまず、日常会話における言葉の出方が若干スムーズになった気がする。言葉の引き出しが増える、という言い方があるが、正確には、脳内のどの引き出しに目当ての言葉が入っているか自分で把握出来るようになった感じに近い。ひととの会話の最中、言い回しを探して無言で視線を宙空にさまよわせる時間が少なくなった。あとは文章を書くのが早くなった。これはまさに当初目標に掲げていたところなので喜ばしいことだと思う。目標達成。あとはこれをこれからどうするかなのだが、とりあえず今のところはこのままもう少し続けてみようと思う。というか、これは今までなんとなく感じてきて今改めて再認識したことなのだが、やはり2年間もこのような訳の分からない文章を書き続けてきた理由として「感想文や報告書を書くため」というのは無理があると思う。どれだけ報告書に懸けているのだろうか。確かに以前から文章が書けないことへの問題意識はあったが、しかしその意識は恐らく単なるキッカケであって、目的ではなかった気がする。我に帰ると筆が止まって二度と動かない気がして、何故そもそも止めてはいけないのかも含めてなるべく何も考えないようにして書いてきた。なのでそういう意味で、実際のところ何故こんなものを書き続けているのか本当に分からない。とにかく色々なものから眼を逸らしながら書いてきた。知人らは「君の小説おもしろいね」と言ってくれるが、これが小説などと呼べるものだとも思えない。なんだか分からないから続くものもあるのかもしれない。それが良いか悪いかは知らないが。なのでとりあえず引き続きこの何も分からない状態のまま続けていこうと思う。ひとから書いている理由を聞かれたら「わかりません」と返すことにする。辞める時にのみ理由がある気がする。知らないが。

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