禁酒日記13日目 桜

朝はトマトとササミのスパゲティ。卵も入れた。ササミを食うと満腹になりすぎて困る。昼は暖かくなったので散歩がてらファミレスへ。夜はスーパーで海鮮丼と鶏の揚げ物料理を買って食う。揚げ物を食ってしまったので夜また40分歩いた。

桜の季節になった。いつからか、亡くなった人のことを思い出すようになった。桜の花が死の観念と結びついているのは何故なのだろう。桜は春の象徴であり、春とは新しい命の象徴だが、日本人にとって桜は死の象徴でもある。大事な人が死んだとき、その年の桜を見ると涙が出た。今年も桜を見ると、死んだ人の事を思い出す。死んだ人は沢山いる。青空に咲く桜の花を見ると、死がなんとも身近に感じられるのだ。

青空と桜は、死んだ人のものだ。死んだ人が現世に帰ってくるのは盆ではないと思う。桜の季節に帰ってくるのだ。そして青空と桜は、精一杯生きた人のものだ。精一杯生きねば、他人に思い出してもらうこともない。俺はおそらく死んだとて桜の季節に誰かに思い出してもらうことはないだろう。人との触れ合いを厭い、関係性を持たなかった。誰の助けにもならなかった。家族もない。独居する部屋かどこかで犬死にするだけだ。そんな人間に桜の季節に現世に戻る権利はない。だから俺はせめて死んだ他人のことはなるべく思い出したい。自分が誰の人生にも影響しなかったことを悔いながら、桜の季節に大事な人のことを思い出したい。

俺はもともとは桜を見てもなんとも思わない人間だった。花の美しさなど一切わからない。それが、人の死の悲しみにくれているときに満開の桜を見ると、桜の姿が心に分け入ってきた。桜を美しいとは思わないが、一斉に花開くその姿は、死んだ人たちからのメッセージのように感じられたのかもしれない。あるいは桜の木が寄り添ってくれているように感じたのかもしれない。桜の花の命は短い。その上少しのことですぐ散ってしまう。そのことが、なおさらあの世との繋がりを感じさせる。桜の花が咲いているときだけ、日本人はあの世と心を通わせることができる。あの世とは、実際に存在する世界とは違うものかも知らない。だが、少なくとも現世を生きる人の心の中にはあの世という観念がある。あの世と心を通わせるにはそれだけで十分だろう。

そして青空もまた死の象徴だ。死んだ人のことを思うとき、人は青空を見上げる。空の向こうに死んだ人たちがいると思い込む。広大な空が死後の世界をも包含しているように感じさせる。それだけでなく、青空を焼く圧倒的な暑さもまた死を連想させる。こちらは盆の季節が影響しているかもしれないし、終戦と原爆の季節が影響しているかもしれない。

いずれにせよ春から夏にかけての季節は繁茂する生命だけでなく死も身近になる季節だ。俺もいつ死ぬかは知らないが、1日1日死に近づいている。やがて生より死の方が親しい観念となる。馴染みのある全てが死の世界へと偏っていき、友人も好きな人もみんな死んでしまう。そうなったら死ぬのが楽しみになるのかもしれない。死んでも誰からも思い出されることのない俺の唯一の特権だ。子孫に対する気掛かりなどとは全く無縁だ(文字通り無縁仏だ)。そして死んだら飽きるほど酒を飲むだろう。

サポートは不要です。