禁酒日記19日目

今日も奇跡的に酒を飲んでない。朝飯はピーマンと卵のペペロンチーノ。唐辛子抜きはどう頑張っても不味い。昼メシはコンビニの白米と納豆とカット野菜とサラダチキン。晩飯はコンビニのカップ麺とおにぎりとパストラミビーフ。そのまま事務所で寝てしまう。起きて、23時過ぎまで仕事。

世の中は歓迎会だ。酔っ払いで溢れている。飲み屋から歌声が聞こえる。自分が酔っ払う時は気付いていないが、俺も街行く酔っ払いどものように何の値打ちもない人間に成り下がっていたのだ。酔っ払いは例外なく死んで欲しいという気持ちになっている。飲まなくなった途端にこのような考えになるのだから都合がいい。

しかし、田舎のスナックに独特の、タバコの匂いと香水の匂いが複雑に入り混じったあの感じは嫌いになれない。あの匂いには人生の悲喜交々が表れている気がする。あの匂いに包まれて朝まで焼酎の水割りを飲んでいたいという気持ちはある。スナックは不思議な空間だ。スナックは美味しい酒を出すわけでもないし美味しい料理を出すわけでもない。歌を歌いまくれるわけでもないし若くてエロい女性がいるわけでもない。美味しい酒が飲みたいならバーに行けばいいし、美味しいメシが食いたければ居酒屋に行けばよい。歌いたいならカラオケに行けばいいし、若くてエロい女と話したいならキャバクラに行けばいい。スナックはどれも中途半端で、どこをとっても客の特定のニーズに応えているとは言えない。

ではなぜスナックが成り立っているのか。スナックに来るような客自身、自分が何を求めているのか知らないのだ。酒を飲みたい日もあるし、ちょっと飯を食いたいときもある。歌いたい時もあるし、ママの気を引きたい時もある。スナックは気ままなんだな。スナックに来るような客は、はっきり言って意志薄弱だ。自分のしたいことや欲しいものがわかってない。自分のこともよくわかってない。内省が足りないし、活力がない。そういう、あらゆる意味で取るに足りない存在だ。だからスナックはそういう取るに足りない存在を許容する場として意味がある。他のどんな業態とも違う特異な価値がスナックにはある。

ただやはり、焼酎を飲まない身でスナックに行くことはできない。スナックは酒を飲んでこそだ。取るに足りない存在が酒で自分の弱さを糊塗して許容されたいと願うのがスナックだ。都合のいいことを考える客ばかりだ。だがそういう弱い存在に居場所があってもいいじゃないか。俺は今酒を我慢しているから、スナックのあの不必要なほど柔らかい椅子は酒の力が必要なやつに譲ってやりたいと思う。

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